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Youtuberの旅行オタクと方向音痴の魔法少女  作者: エアポート快特
第七章

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112話 生きて

アサがもう一度、拳に力を込め直した。

崩れゆく気配のファーベルへ止めを刺すべく、地を蹴ろうとした、その瞬間だった。

黒い影が、アサとファーベルの間に、音もなく割り込んだ。


「――そら……!」


影の中から現れたのは、無表情のまま、影の刃を構えたそらだった。


「姉さんを……ここで止めさせていただきます」

「どきなさい、そら……!」


アサの声に、明確な怒気が滲む。だがそらは、一歩も引かなかった。


「できません」

「私は、あんたと戦いたいわけじゃない……! でも、こいつを、ここで倒さなきゃ……!」

「それでも、退けません」


そらは影の刃を、アサへとまっすぐに向けた。


「僕は最後まで、ファーベル様にお仕えすると決めましたので」

「――ッ!」


アサが拳を振りかぶる。

だがその一撃は、すんでのところで止まった。

弟の顔を、正面から見据えたまま、拳を振り下ろすことができなかったのだ。


「な、んで……」


アサの拳が、僅かに震える。


「なんで、あんたは……!」


その一瞬の躊躇いが、致命的だった。

全力を出し切った反動が、遅れて彼女の体を襲う。

先ほどまで漲っていた光が、糸が切れたようにすっと消えていった。


「――アサ……!?」


膝から崩れ落ちるアサを、そらは最後まで無表情のまま見下ろしていた。

その瞳の奥に、一瞬だけ、何かが揺れたようにも見えた。

だが、それを言葉にすることはなかった。


「……なに、無茶をしているんですか、スカイ君」


片膝をついたまま、ファーベルは掠れた声でスカイを睨んだ。

しかしその後、ファーベルは一つため息をこぼした後、力なく笑い、遠くあさっての方向を向いた。


「行きますよ。この機を逃す手はありません」

「――はい」


そらの足元に、影が、大きく広がっていく。


「待て……!」


ハルトが力の入らない足を、それでも無理やり踏み出した。


「逃げるのか……!」


その一言に、ファーベルの足がぴたりと止まった。

そらの肩を借りたまま、彼はゆっくりと、ハルトの方へ振り返った。

その顔にもう、いつもの余裕の笑みはなかった。


「――ええ。逃げます」


あっさりとした肯定だった。


「認めましょう。今回は、私の負けです」

「……なんだよ、それ」


ハルトは、拳を握りしめたまま、それでも、掠れた声で問い返した。


「さっきまで、あれだけ……!」


「私は悪魔なので、嘘をつきません」


ファーベルは、傷ついた胸を押さえながら、静かに続けた。


「負けを、負けと認められないのでは、示しがつきませんしね。……それに」


彼は一度、瞼を閉じた。


「今回、私が見誤ったのは、あなた方の"力"ではありません。……この世界そのものを、私は、知らなすぎた」

「世界を……?」

「ええ。人間の絶望も、確率の歪みも、机上でどれだけ理解したつもりでいても、それは所詮、私が遠くから眺めていた景色に過ぎなかった。あなた方が命を賭してまで守ろうとするものの正体を、私は本当の意味では、何一つ知らなかったのですよ」


その声には、皮肉でも負け惜しみでもない、静かな実感だけが滲んでいた。


「だから――一度、この目で、見てくることにします」


ファーベルはそらに支えられながら、ゆっくりと影の中へ沈み始めた。


「見て、くる……? どこを……」

「この世界を。……いえ、この世界だけでは、足りないでしょうね」


彼は最後に、かすかに笑った。


「『パラレルワールド』を、巡る旅にでも出ましょう。……そしていずれ、また戻ってきます。今度はもう少しだけ――あなた方のことを理解した上で」

「待て……! おい、待てって……!」


ハルトが手を伸ばした時には、もう遅かった。

二つの影は、音もなく闇の中へと溶けて消えていってしまった。


崩れた駅構内に残されたのは、倒れたままのアサと力尽きたハルトの、荒い息遣いだけだった。


「アサ……!」


ハルトは崩れるようにアサへと駆け寄り、その体を抱き起こした。

呼吸はある。

だが、指一本動かない。


「……頼む。目を、開けてくれ……」


答えは返ってこなかった。

崩れた新宿駅の跡地に、重い沈黙だけが静かにがっていくのがわかった。


「――アサ」


ハルトは震える手で、アサの頬に触れた。

冷たくなりかけたその頬に、確かな体温を、必死に願うように。


「アサ。……お願いだから、目を覚まして」


答えはなかった。

ハルトはしばらくの間、ただじっと、その寝顔を見つめ続けていた。

そして静かに、身を屈める。


「――アサ。僕は君のことが好きだ。だから――」


ハルトは自らの顔をアサに近づける。


「生きて」


その言葉と共に、ハルトはそっと、アサの唇に自分の唇を重ねた。

一瞬の、静寂。

そして――。


「……ん……」


小さな声と共に、アサの瞼が震えながら開いた。

アサはぼんやりとした瞳で、目の前のハルトを見つめた。

しばらくの沈黙の後、その口元が、小さく、柔らかく綻んだ。


「――ハルト……君?」


涙を堪えきれずに、ハルトはその体を、もう一度強く抱きしめた。

崩れ果てた新宿駅の跡地に、ようやく、希望の光が差し込み始めていた。

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