12話 怪物
薄暗いワンルームマンションの一室。
遮光カーテンが閉め切られた部屋は、万年床の布団と、カップ麺の空き容器、そして壁一面を埋め尽くす鉄道グッズで溢れかえっていた。
PCモニターのブルーライトだけが、主の顔を青白く照らし出している。
ナルトchこと桑原は、血走った目で画面を更新し続けていた。
「……また増えてる」
画面に表示されているのは、銀次のチャンネル『銀次の鉄道旅ログ』のページだ。
登録者数、2540人。
ほんの一ヶ月前まで、500人程度だった弱小チャンネル。
それが、あの「伊勢原編」と「館林編」、そしてその他にも投稿されている数本の動画がバズったことで、たった数週間で2000人も増えたのだ。
「ふざけるな……ふざけるなよ……!」
桑原は、手元のマウスを握りしめた。
プラスチックが軋む音がする。
桑原がYouTubeを始めたのは、今から1年半前だ。
大学に入ってすぐに、自分の膨大な鉄道知識を世に知らしめるためにチャンネルを開設した。
毎週欠かさず始発に乗り、誰も気に留めないようなモーター音の違いや、ダイヤの考察動画を上げ続けてきた。
その努力の結晶が、現在の登録者数2500人弱。
これでも、界隈では「そこそこ頑張っている中堅」として認知されていたはずだった。
なのに。
あいつは。銀次は。
たった数か月、いや、数週間の「ぽっと出」のくせに。
「なんだよ、あの女……」
画面の中では、サムネイルのアサが楽しそうに笑っている。
コメント欄も絶賛の嵐だ。
『アサちゃん可愛い!』
『銀次くんとの掛け合い最高』
『鉄道興味なかったけど、この二人の旅なら見れる』
「鉄道を見ろよ! 車両を見ろよ! 女なんてノイズだろ!?」
桑原は叫びながら、机を叩いた。
許せなかった。
自分が1年半かけて積み上げてきた「正当な評価」が、女を餌にした「媚びた動画」にあっさりと追い抜かれていく現実が。
「俺の方が詳しい。俺の方が鉄道を愛してる。俺の方が……優れているはずなのに」
劣等感が、どす黒い嫉妬へと変わっていく。
銀次の動画を見るたびに、胃の腑が焼けつくような感覚に襲われた。
だが、見るのを止められない。
自分の順位が下がっていくのを、指を咥えて見ていることしかできない無力感。
「……直接、見てやる」
そう思い立って送ったのが、あのコラボのDMだった。
相手のボロを出させてやるつもりだった。
知識で圧倒し、格の違いを見せつけ、あわよくば動画内で恥をかかせてやろうと思った。
だが、結果はどうだ。
実際に会った銀次は、確かに知識は浅いが、人当たりが良く、育ちの良さが滲み出ていた。
そして何より、隣にいたあの女――アサ。
彼女は、桑原のような人種を忌み嫌うこともなく、真っ直ぐな瞳で見てきた。
『なんで人気ないの?』という言葉は、悪意がない分、鋭利なナイフのように桑原のプライドを切り裂いた。
「クソッ……クソッ……!」
編集ソフトを開き、コラボ動画の編集作業に戻る。
本当なら、銀次の失言を使って悪意ある切り抜きを作りたかった。
だが、それをすれば自分が「悪者」になる。
視聴者は敏感だ。嫉妬心を隠し、あくまで「良き先輩」として振る舞わなければ、自分のチャンネルまで傷つく。
だから、必死に体裁を取り繕った。
屈辱に耐えながら、銀次を立てる編集をした。
「……これでいい。今はまだ、これでいい」
動画の書き出しボタンを押しながら、桑原は暗い瞳で呟いた。
モニターの隅に映る自分の顔が、ひどく歪んで見えた。
「もっと……力が欲しい」
あいつらを蹴落とす力が。
自分を認めさせる力が。
好きなことを好きと叫んで、誰からも称賛される、絶対的な力が。
「……お望みですか?」
不意に。
部屋の隅から、声が聞こえた気がした。
PCのスピーカーからではない。もっと直接的な、脳に響くような声。
「……誰だ?」
桑原は振り返った。
そこには、ただ鉄道模型の山があるだけだ。
だが、部屋の影が、以前よりも濃くなっているような気がする。
心臓の鼓動が早くなる。恐怖ではない。これは――期待だ。
「俺は……負けない。銀次、アサ……お前たちを絶対に潰してやる」
桑原は眼鏡の位置を直した。
そのレンズの奥で、理性の光が少しずつ、狂気へと塗り替えられていくのを、彼はまだ自覚していなかった。




