103話 パニック
新宿駅南口、コンコース。
普段なら人波で埋め尽くされているはずのその空間は、今、悲鳴と怒号、そして獣じみた咆哮とが入り混じる、地獄絵図と化していた。
「――こっちだ! 早く避難を!」
異界管理局の先陣部隊――白い戦闘装束に身を包んだ隊員達が、逃げ惑う人々を誘導しながら、同時に、暴走する"何か"へと対応していた。
その"何か"は、つい先ほどまで、普通の通勤客だったはずの姿をしていた。
スーツ姿の男。制服姿の学生。
ベビーカーを押していたはずの母親――その全員が、皮膚を黒く爛れさせ、白目を剥き、獣のような唸り声を上げながら、辺り構わず暴れ回っている。
「くそっ……! 数が多すぎる……!」
隊員の一人が、剣を構えながら舌打ちする。
対応できているのは、まだ十数体。
だが、駅構内のあちこちから、次々と新たな悲鳴が上がり続けていた。
そんな中――。
「――すごい、これ絶対バズるって……!」
雑踏の隅、柱の陰から、スマートフォンを構えた男子学生の集団がいた。
「おい、危ないから離れろ!」
隊員の一人が制止するが、彼らは撮影をやめようとしない。
「いや、こんなの一生に一度っすよ! 映画の撮影か何かでしょ、これ!」
「投稿、投稿! ヤバいのバズってるぞ、これ絶対!」
指先が、軽い調子で画面をタップする。
その瞬間――日本中の、いや、世界中のスマートフォンに向けて、その映像は、既に拡散され始めていた。
『新宿駅で謎の暴動発生』
『これCG? それとも本物?』
『拡散希望 新宿がヤバいことになってる』
たった数分で、投稿は瞬く間に共有され、コメント欄が、驚愕と困惑と、そして興奮の言葉で埋め尽くされていく。
長年、点と点を繋がせないことで守られてきた秘密が、今、無数のカメラを通して、決壊しようとしていた。
「――間に合わなかった、か」
駆けつけたハルトの目に、その光景が飛び込んできた瞬間、乾いた諦めにも似た呟きが漏れた。
「拡散、止められないでしょうね、こうなったら」
ヒマリが、剣に変わるアクセサリーへと手を伸ばしながら、険しい表情で呟く。
「今はそれどころではありません。ハルト君、アサ、今すぐ戦闘準備を!」
アサが、確率操作の力を纏いながら、前方の獣たちを睨みつけた。
「あの人たち……。全員、元は普通の人間、なのよね」
その一言に、ハルトの胸が、鋭く痛んだ。
咄嗟に飛び掛かってきた獣の一体――かつてはスーツを着た会社員だったはずのその何かが、ハルトの目の前で、鋭い爪を振りかざす。
「――くっ……!」
躱しながら、ハルトは、奥歯を強く噛み締めた。
(栗島邸のアキラさんとチハルちゃんは、救えた。……でも、これは)
チハルの時とは、規模も、状況も、あまりにも違いすぎた。
何十人という数を相手に、一人一人に語りかけ、繋ぎ止める時間などない。
「――ハルト君」
ヒマリが、静かに、しかし覚悟を込めた声で呼びかけた。
「あの人達を、救う方法は、今はまだ見つかっていません。それでも、このまま放置すれば、被害はさらに広がります」
「……わかってる」
ハルトは、震える拳を、強く握りしめた。
「戦うしか、ない。……たとえ、相手が誰だったとしても」
その言葉に、アサとヒマリが、無言のまま頷いた。
三人は、互いの位置を確認し合うと、次の瞬間には、雄叫びを上げて突進してくる獣の群れへと、迷いなく踏み込んでいった。
秘密は、既に崩れ始めている。




