101話 思い出
総務省附属の医療棟、簡易処置室。
包帯だらけの腕に、ハルトは顔をしかめた。
「――派手にやられましたね」
ヒマリが、消毒液の匂いを漂わせながら、呆れたように呟く。
「派手にって……。まあ、否定はできないけど」
ベッドの縁に腰掛けたハルトの前には、土方、ヒマリ、アサの三人が並んでいた。
「まず、状況の確認だ」
土方が、手元の資料に目を落としながら切り出した。
「チハル君は、犬吠埼国立病院に搬送。薬物混入による一時的な魔力暴走の後遺症を診るため、しばらく入院となる。栗島アオイ君が、付き添いを申し出て、現在も付き添い中だ」
「アオイ、ずっと病院に……」
「妹のことだ、当然だろう」
土方は淡々と続けた。
「アキラは、確保後すぐに意識を取り戻したが、極度の消耗状態にある。詳しい事情聴取は、もう少し体力が戻ってからになる」
「みゆきさんは……?」
アサが、身を乗り出すようにして問う。
「封印そのものは、解除された。……が、目を覚ますまでには、まだ時間がかかりそうだ」
土方の声に、わずかに慎重さが滲んだ。
「長期間の封印による消耗が、想定より大きい。医療班の見立てでは、早くて数日、長ければ一週間から一ヶ月ほど、との話だ」
「一ヶ月……」
ハルトの脳裏に、ふと、遠い記憶が過った。
土樽駅で、みゆき自身が口にしていた言葉だ。
――完全回復に、早くて1週間、まぁ、一ヶ月は見込まないといけないかもね。
(あの時と、同じことを言われてる……)
奇妙な既視感に、ハルトは小さく眉を寄せた。
「ともかく、当面の危機は去った。ここまでは、よくやってくれた」
土方が、珍しく労いの言葉を口にする。
だが、その声に、ハルトはあまり集中できずにいた。
頭の奥で、何かが――ずっと、ぼんやりと霞がかっていた何かが、輪郭を取り戻し始めていた。
(――アオイ)
栗島邸で、アオイが放った、あの言葉。
『あなたは、力なんていらない子よ。ただの、栗島チハルのままでいい』
その響きが、記憶の底に眠っていた、別の光景と、静かに重なっていく。
――とある晴れの日、宗介と出かけた鉄道旅。
――隣で、電車の窓に張り付くように景色を見つめていた、小さな女の子。
――「アオイは、本当に電車が好きだね」と笑う、女性の声。
――そうだ。
(そうだ……。アオイのお母さんは……)
ハルトは、思わず息を呑んだ。
宗介と一緒にいた女性、あの人は間違いなく、アオイの母親だ。
優しい笑顔がうっすらと、それでいてはっきりと脳裏にこびりついている。
――そうだ。
アオイは、ずっと――。
「――ハルト君?」
ヒマリの声に、ハルトははっと我に返った。
「顔色が悪いですよ。傷が、痛みますか」
「……ううん、違う」
ハルトは、震える声で、それだけを絞り出した。
「今、思い出したんだ。……全部」
「全部、とは?」
土方が、怪訝そうに眉を上げる。
「アオイのこと。……子供の頃、僕、本当に、アオイと一緒にいたんだ。宗介おじさんの再婚相手の、連れ子として」
アサとヒマリが、思わず顔を見合わせた。
「宗介おじさんが死んだあの時――アオイも、アオイのお母さんも……記憶の中からさっぱりいなくなったんだ」
その一言に、部屋の空気が、しん、と静まり返った。
「僕は、その記憶を、ずっと消されてた。多分、あの日、栗島アキラの手で」
ハルトは、拳を強く握りしめた。
「なんで」
ハルトの拳は小刻みに震えている。
「なんでそんなことになったのか……。わからない……けど」
震える声で、それでも、はっきりと言い切る。
「アオイには、ちゃんと伝えなきゃいけない。全部思い出したよって」
窓の外、夕暮れの光が、静かに処置室を染めていった。




