95話 書斎
栗島邸のインターホンを鳴らすと、しばらくして、不機嫌そうな顔をしたチハルが玄関に現れた。
「――は? なんで、あんたまで来てんのよ」
チハルの視線が、アオイの隣に立つハルトへと突き刺さる。
剥き出しの敵意が、真っ直ぐにこちらへ向けられていた。
「久しぶり、チハルちゃん。アオイと一緒に、ちょっとお邪魔しようと思って」
ハルトは、できるだけ柔らかい声を心掛けて言った。
「別に、歓迎してないんだけど」
そう言いつつも、チハルは扉を大きく開け、二人を中へと通した。
素直じゃないだけで、拒絶するつもりはないらしい。
「……広い」
初めて栗島邸を訪れたハルトは、玄関に足を踏み入れた瞬間、驚きの声を漏らしてしまう。
天井の高さも、廊下の奥行きも、自分の家とはまるで違う規模だった。
「……当たり前でしょ? 私達は由緒ある魔法使いの家――秋津家に仕える家柄なのよ。みっともない家でいいはずがないじゃない」
チハルは、腕を組んで顎を上げながら言い放った。
「ごめんね。今の本家が、ごく普通の一般住宅で」
ハルトが、思わず苦笑いしながら謝ると、チハルは鼻を鳴らした。
「……いえ、責めるべきことでも謝るべきことでもないわね。大体今の時代に、こんな広い豪邸なんて時代遅れなのよ」
チハルは、吐き捨てるようにつぶやいた。
「大体、こんな広い家……固定資産税だって馬鹿にならない。お父さんもとっとと売ればいいのに」
「……チハル」
アオイが、抑えた声で名前を呼ぶ。
「お姉ちゃん、哀れまなくていいの。……私は今、幸せだよ?」
チハルのその声には、全くと言っていいほど幸せな気持ちは含まれていなかった。
むしろ、意地を張っているだけのようにしか聞こえない。
「チハル、ハルト君を書斎にご案内してよろしいでしょうか?」
「……まあ、いいわ」
チハルを先導して、ハルトとアオイは続く。
廊下は薄暗く、歩くたびに床板が小さく軋んだ。
やがて廊下の突き当りに、一つの重厚な扉が現れた。
チハルは、ドアノブのカギ口に鍵を差し込む。
ガチャという音と共に鍵が外れると、チハルはドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開けた。
「……ゴホッ、ゴホッ!?」
中に入るなり、チハルは咳き込んだ。
どうやら長く使われていなかったらしく、部屋の中は埃で充満していた。
差し込む光の中を、灰色の粒子がゆっくりと舞っている。
「……アオイ、この埃って」
「……はい。微弱な魔力が含まれています。しかも、悪いエネルギーです。気を付けないと、体力が削られるでしょう」
アオイが、目を細めながら、部屋の奥を見据えた。
「……調べるなら、急ぎか」
ハルトとアオイは、書斎の中を調べ始めた。
チハルには、部屋の外で万が一に備えて見張りをやらせている。
本当はチハルにも調査を手伝ってほしかったが、彼女ではこの部屋の埃に耐えられない。
少しでも影響を抑えるため、彼女を部屋の外へ追い出すほかなかったのだ。
本棚には、古い専門書らしきものがぎっしりと並んでいる。
だが、目につく場所には、それらしきものは何一つ見当たらなかった。
「……見えるところには、流石に重要なものは置かないか……。アオイ、解錠魔法は使える?」
「……解錠魔法自体は基礎的な魔法ですが、この部屋の中で鍵がかかっているところは全て、魔法により特別な細工がされています。人力で解除するのが早いと思います」
「……人力か。手こずりそうだね」
ハルトが、机の引き出しに手をかけようとした、その時だった。
「なるほど。それは困るなぁ」
ハルトとアオイの背中に、冷たい冷気が走った。
声は、すぐ後ろから聞こえた。
「やあ、秋津ハルト君、久しぶりだね。アオイとはよい関係を紡いでそうで、お父さん、安心したよ」
「……栗島アキラ」
ハルトとアオイは、ゆっくりと部屋の入口を振り向いた。
そこには、ねっとりとした笑みを浮かべながら、片腕でチハルを拘束する男――栗島アキラの姿があった。
腕の中で、チハルの顔は蒼白になっている。
「ああ、この子か。この子はね、我が家の期待の跡継ぎなのだよ。チハルには、俺の意思を継いでもらおうってね」
「……チハルちゃんを離せ」
ハルトは、キッと睨んだ。
「ほう、威勢がいいんだなぁ。本家の人間の跡継ぎはこうでないと、仕えがいがないから、結構なことだ」
アキラは、口元だけで笑った。
「……お、とう……さん」
チハルの声が、掠れて震える。
「……アオイ?」
ハルトが、隣を見た。
アオイは、小刻みに震えていた。
「おや、アオイ。久しぶりだね。俺は父親として、悲しいよ。大事な娘が、父親を裏切るだなんて」
アキラは、アオイにニコリと笑いかけた。
「どうだい? 父親の顔に泥を塗った気分は? ああ、そうか。アオイにとって、俺は父親ではないんだっけ?」
その一言に、部屋の空気が、一段と冷たくなったように感じられた。
アオイにとって、アキラは父親ではない――?
ハルトは、その言葉に大きな引っかかりを感じた。
「おや、ハルト君は聞いてなかったのかい? アオイは、栗島家の人間ではない。彼女は、養子なのだよ」
アキラは、愉しげにそう言い放った。




