87話 東京駅
指定された場所は、都心のド真ん中、東京駅丸の内広場だった。
昼時ということもあり、赤煉瓦の駅舎を背に、広場には人が絶えず行き交っている。
スーツ姿のビジネスマン、昼食を求めて歩く会社員、カメラを構える観光客。
噴水の周りにはベンチがあり、そこかしこで談笑する声が聞こえる。
どこにでもある、平和な昼下がりの光景だった。
ハルト、アサ、ヒマリの三人は、その雑踏の真ん中に立っていた。
「……本当に、こんな場所で」
ハルトが呟く。
声は思ったよりも掠れていた。
「土方さんの手配した部隊は、周辺の建物に分散して待機してる。何かあれば、すぐに動けるようにって」
アサが淡々と答える。
だが、その声にもわずかな硬さが滲んでいた。
「こんなに人がいるところで、戦闘になんてなったら――」
ハルトが言いかけたところで、ヒマリが小さく首を振った。
「たぶん、それは心配ないと思います」
「……どういう意味ですか?」
ヒマリは、何も言わなかった。
ただ、いつもより一段低い位置に視線を落としたまま、じっと雑踏の奥を見つめている。
三人の中で、誰よりも「カイト」という名前に反応していたのは彼女だった。
不意に、その視線の先――東京駅の正面玄関、丸の内中央口のど真ん中に、一人の男がにやりと笑いながら立っていた。
いつからそこにいたのか、誰も気づかなかった。
周囲を歩く人々もまた、彼に一瞥もくれない。
まるで最初からそこにいる風景の一部であるかのように、誰の意識にも引っかからずに存在していた。
だが、ハルトたちには、はっきりと見えていた。
金色の瞳。気だるげに崩れた立ち姿。
手首には、鈍い光を放つ金色の腕輪。
見た目は、ただの通行人と変わらない。
スーツにも似た装いで、傍から見れば休憩中の会社員にしか映らないだろう。
だが、その気配だけは、どうやっても人間のそれではなかった。
金色の瞳の男は、一歩、また一歩とハルト達に向けて歩みを進める。
動かないハルト達。
男が三人に、ある程度近づいたとき、男は足を止め、両腕をゆっくりと広げてみせた。
「――我が名はカイト。いずれ王となる者である」
芝居がかった、それでいて欠片の疑いも持っていないような口ぶりだった。
「待っていたぞ」
カイトが、ゆっくりと首を動かす。
三人を順に見渡す視線は、値踏みするような、それでいてどこか楽しげなものだった。
「久しぶりだな、雑魚共。手紙の通り、ちゃんと三人揃って来るとはな」
「お前、この人混みの中で……」
ハルトが警戒しながら周囲を見渡す。
誰も、カイトの異様さに気づいていない。
すぐそばを通り過ぎるOLも、ベビーカーを押す母親も、まるで彼の姿が視界に入っていないかのようだった。
「これか」
カイトは、自分の姿を指差して、面倒くさそうに肩をすくめた。
「見つからないように、多少小細工はしてある。王を目指す者は、民からの注目を容易に浴びてしまうからな」
「……気配を、人間の認識から外してるってこと?」
アサが低く問う。
「察しがいいではないか。周りの連中には、俺様も貴様ら雑魚共も、ただの雑談中の若者にしか見えておらぬ。安心するがよい」
「用件は」
アサが前に出て、迷いなく問う。
カイトはそれに、片方の口の端だけを吊り上げた。
「ことを急ぐでないぞ、浅野の娘」
カイトはそう言うと、値踏みするような目つきのまま、三人の周囲をゆっくりと歩き始めた。
「ほう……」
その視線が、ハルトの左腕――かつて深く抉られ、今は完治しているはずのその場所で、一瞬止まった。
「その腕、負傷しているのか……? いや……違うな。むしろその逆か」
「……何が言いたい」
「しばらく見ない間に、ずいぶんと様変わりしたもんだと思ってな」
カイトは足を止め、腕を組んだ。
「貴様ら三人、揃いも揃って魔力の質が変わっておるな。特にそこの坊主だ。前に感じた時とは、まるで別人の匂いがするではないか」
カイトはそう言って、フハハハと高笑いをあげる。
ハルトは、思わず息を呑んだ。
カイトの視線は、まるで奥底まで見透かすようだった。
「浅野の娘の確率を歪める力も、以前よりずいぶんと精度が上がっているようだ。それと――」
カイトの目が、最後にヒマリへと向く。
「貴様は、変わらず律儀に組織の役割を背負ってるようだな」
「……あなたには関係ないでしょう」
ヒマリが低く返す。
だが、カイトはにやりと笑い返す。
「だが、いい力を持つようになったではないか。貴様が一番遊びがいがありそうだ」
しばらくの沈黙のあと、カイトは大きく息を吐き、両腕を広げた。
「――よかろう」
「え?」
ハルトが聞き返す。
カイトは、金色の瞳を細めて笑った。
「悪くない。悪くないではないか、貴様ら。ちょうど、俺様も暇を持て余していたところだ」
腕輪が、鈍く輝きを増していく。
「暇つぶしに遊んでやろうではないか。貴様らがどこまでその力を伸ばしたのか、王を目指す者である俺様が直々に試してやろう」
「……それが、本題かしら?」
アサが、警戒を解かないまま問う。
「だから事を急ぐなと言っておるだろう、娘。物事には、順番と言うものがある」
カイトは、そう言うと、指を一つ鳴らした。
その瞬間――世界が、変わった。
周囲を行き交っていた人々の姿が、噴水の水音が、車のクラクションが、すべて一瞬で掻き消える。
代わりに広がったのは、色のない、灰色がかった丸の内広場だった。
景色そのものは変わらない。
だが、人の気配だけが、綺麗さっぱり抜け落ちている。
まるで、街ごと時間が止まったかのようだった。
「誰にも邪魔されたくないのでな。結界を張らせてもらったぞ」
カイトが、片手を軽く広げながら言った。
「安心するがよい。外の連中では何も見たり聞いたりすることはできぬ。俺様の固有空間はそこらの雑魚が作るそれより、頑丈なのでな。多少派手にやっても文句を言うものは誰もいまい」
「……この空間ごと、周りから切り離したっていうの」
アサが、周囲を見渡しながら呟く。灰色に沈んだ丸の内広場は、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
「貴様ら人間もよく使う魔法だろう? 何も案ずることはない」
カイトは、金色の腕輪を軽く撫でながら、口の端を吊り上げた。
「安心しろ。貴様を殺すことはしない。……貴様らとの戦いが退屈でなければな」
言葉が終わると同時に、カイトの姿が掻き消えた。
「――来る!」
叫んだのはアサだった。
彼女が右手を掲げた瞬間、目には見えない何かが、確率ごと歪んで空間に軋みを生む。
ハルトの視界の端で、光が弾けた。
ヒマリが咄嗟に展開した護符の結界が、カイトの一撃を受け止め、そして――軋みながら罅割れていく。
「重い……!」
ヒマリが歯を食いしばりながら呻く。
三人がかりで受けた一撃だというのに、それでもなお押し込まれていた。
「ハハッ、いいぞ。前はこの程度、受けることすらできなかったはずだ」
灰色に染まった広場の向こうから、愉快そうな声が響く。
「だが、まだまだだ。俺様を満足させるには、程遠いぞ!」
三人は、互いに視線を交わすことなく、それぞれの位置へと散った。
呼吸を合わせずとも、もう身体が覚えている。
積み重ねてきた時間の分だけ、確かに何かが変わっていた。
人気のない、灰色に沈んだ丸の内広場で、三人と一体の"金色の魔王"による、静かな試合が――今、幕を開けようとしていた。




