86話 金色と手紙
総務省本庁舎、二階。
異界管理局の執務室には、来客用の応接セットとは別に、土方の事務机を囲むようにして椅子が並べられていた。
鬼怒川温泉から戻ってきたばかりのハルトとアサは、その机の前に並んで腰掛けている。
二人のすぐ横では、ヒマリが涼しい顔で、土産に買ってきた日光プリンをスプーンですくって頬張っていた。
「さて。お疲れのところ申し訳ないが」
土方は、机の上で指を組みながら口を開いた。
「ハルト君、それに浅野家のご令嬢。これから、総務省異界管理局の上官として、君たちに必要な情報を提供する」
「ようやく、約束を守ってくれる気になったのね」
アサが、腕を組んだまま淡々と返す。
「最初に提示された条件、忘れてしまったのかと思ったわ」
「忘れてはいない。順を追って説明させてくれ」
土方は小さく頷き、話を続けた。
「最初に、こちらから提示した条件はこうだ。浅野さんとハルト君の二人が、ヒマリと共に一つの班を組み、今回の事案解決に、異界管理局の一員として協力する。その見返りとして、浅野家の先代当主――浅野さんの母君に関する秘密の情報を、浅野さんに開示する」
土方はそこで一度言葉を切り、ハルトへと視線を移した。
「今回、ハルト君が命がけでタイムリープをしてくれたおかげで、判明したことがある。ハルト君が持ち帰った情報と、こちらが独自に調べた内容を照合した結果――秋津ハルトは、本当にタイムリープをした人間である、という結論に至った」
「……本当に信じてくれたんですね」
ハルトが、思わず呟く。
「正確に言えば『ほぼ間違いない』という段階だ。だがまぁ、事務方としては、それで十分すぎる」
土方は淡々と続けた。
「まず、浅野の母君――浅野おとはについて。彼女が六年前、何者かによって封印され行方不明になったという件は、以前から把握していた。魔力の探知が一切できなかったことから、どこか遠方で幽閉、あるいは封印されているのではないか、という説が有力視されていたが、今回ハルト君が持ち帰った情報と今までの調査結果の照合によって、それはほぼ確定したと見ていい」
「……」
アサは、何も言わずに聞いていた。
本人にとってもう何年も前から、覚悟していた話なのだろう。
「そして、もう一つ。浅野家の現当主代行――浅野みゆきについても、現在、何者かによって封印されていることが判明した」
「――え?」
アサが、初めて表情を変えた。
「おばさん、が……?」
「ああ。ただし、おとは殿とは事情が異なる。みゆき殿が封印されている場所は、浅野本家の中――彼女自身の執務室だ。しかし、その封印はかなり強力なもので、解除には術者本人の手が必要になる」
土方は、机の上に一枚の資料を滑らせた。
「そして、この封印にかけられた魔力の波動を辿った結果――秋津家の旧臣であった栗島家の、現当主。栗島アキラの魔力であることが判明した」
ハルトが、思わず腰を浮かせた。
頭の中に、あの人当たりの良い笑顔と、アオイの平坦な声が同時に浮かぶ。
「本人は、二ヶ月前を最後に行方が分からなくなっている。これも一応伝えておくと、現在、栗島邸には高校生になる次女――栗島チハルだけが暮らしている状態だ」
土方は一度言葉を切り、二人の顔を見比べた。
「浅野家に関する情報は以上だ。要点をまとめれば――みゆき殿の封印を解くことが、今回の一件を解決する上での最優先事項であり、そのためには栗島アキラを見つけ出し、身柄を確保する必要がある」
重い沈黙が、室内に降りた。
それを破ったのは、土方自身だった。
「――と、ここまでが本題の一つ。だが、もう一つ、伝えなければならないことがある」
土方は、机の引き出しから一通の封筒を取り出した。
旧式の蝋封が施された、いかにも時代がかった代物だ。
「これが、今朝方こちらに届いた」
「……手紙、ですか?」
ハルトが尋ねると、土方は無言で頷き、封筒から便箋を一枚取り出して差し出した。
ハルトはそれを受け取り、声に出して読み上げる。
「『ご機嫌よう』――」
見覚えのない筆跡だった。
当然だ。
差出人に、心当たりなどあるはずがない。
文面はそう長くない。
指定された場所と日時、そして最後に、こう締めくくられていた。
「『秋津ハルト、藤宮ヒマリ、浅野の娘の三人で来い』」
署名は、ただ一言。
カイト。
部屋の空気がいつの間にか、ピンと張り詰めている。
ヒマリが、プリンのスプーンを止めたまま、微動だにしなくなった。
土方は沈黙を破るように一言放つ。
「この手紙の文面を読む限り、向こうはお前ら3人のことを知っているらしいぞ。心当たりはないか?」
――心当たり。
ハルトは、自らの記憶を遡る。
それは、銚子からの帰り道で起きた事件。
名乗ることもなく、ただ金色の瞳だけを残して消えた、あの悪魔。
自分たちは、あの存在の名前を、結局一度も聞いていない。
なのに、3人の頭のなかでは、あの時絶大な力を誇示し、去っていた『王になる者』の立ち振る舞いが、まるで今も目の前にいるかのように、存在感を持って浮かんでいた。
「……カイト」
アサが低く呟く。
誰も、その名に聞き覚えなどない。
なのに、口にした瞬間、喉の奥に小さな棘が刺さったような感覚があった。
「――知らない名前のはずなのに」
ハルトの脳裏に浮かぶ、まっすぐな金色の瞳と、大きな高笑いの声。
――根拠なんて何もない。
ただの直感だ。
けれどその直感は、妙に確信めいていた。
「土方さん。この差出人について、心当たりは」
ハルトが尋ねると、土方は一瞬、言葉を選ぶような間を置いた。
「こちらでも、正体は掴めていない。ただ――」
「ただ?」
「この手紙には、強い魔力の残滓が残っている。近年、この規模の力を単独で遺せる存在は、限られている。可能性の一つとなりうる、名も知れぬ強大な個体の存在は、以前よりいくつか把握はしている」
名も知れぬ、強大な個体。
その言葉に、ハルトの中で、また別の記憶が疼いた。
ハルトがタイムリープする直前、衰弱しきった自分のもとに、ボロボロの姿でマモンとエンヴィー、そしてラストがたどり着いたあの時。
三人は誰も、何に襲われたのか語らなかった。
語れなかったのか、語らせなかったのか――それすらも、今となっては分からない。
だが、もしあの時、三人をあそこまで追い詰めた「何か」が、今目の前にあるこの署名と同じ存在なのだとしたら。
「そんな相手のところに、僕らだけで……?」
考えを振り払うように、ハルトは声に出した。
「指定してきたのが三人だ。こちらの都合で兵力を増やせば、向こうがどう出るか分からない。ここは、指定通りに行くのが最善だろう」
土方は、そこで一度、視線を落とした。
「ただし――現地の近くに、対応可能な部隊を、待機させておく。……役に立つかはわからないが、何かあった時のための、保険としてだ」
「……わかりました」
ハルトが、静かに頷く。
隣で、アサもまた、拳を握りしめながら小さく頷いていた。
その横顔は、まだどこか、自分の直感を持て余しているように見えた。
「では、決まりだな」
土方は、封筒を静かに引き出しへとしまい直した。
「浅野みゆきの件、そしてカイトからの呼び出し――どちらも、次の局面へ進むための、重要な一手になる。準備を怠るな」
その言葉を最後に、事務室にはしばらくの間、重い静寂だけが残っていた。
最終確認に手間取ってしまったので、投稿が遅れました。




