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EP35〜拠り所〜

挿絵(By みてみん)


 IRIS上層部会議室——。


 この日、神威(かむい)、黒葉(くろは)を含めたIRISの現幹部が全員集まっていた。


 安西は落ち着いていたが、他の正規派はずっとそわそわしている。


 それは各自の目の前に置かれた誓約書。


 ①本誓約書への署名をもって、現幹部が有するIRIS運営上の決裁権、指揮権及び人事権を停止し、飛鳥神威大将、紫導黒葉大将補佐を中心とする新運営体制へ移管する。


 ②2022年3月31日まではIRIS職員としての給与及び、福利厚生を保障する。

 ただし、給与は幹部職における最低基準額へ減額する。


 ③内部監査によって不正受給と認定された報酬及び給付金については、指定された期日までに全額返還する。


 ④2022年3月31日をもって幹部職を解任し、同日付でIRISを退職する。


 ⑤在職中に知り得たIRISの機密情報について、退職後も一切の口外を禁止とする。

 貸与された書面、情報端末、その他の記憶媒体は退職時までに全て返還し、個人所有端末等に保存された業務データについてはIRIS情報管理部門立会いのもと、完全消去する。


 ⑥本件とは別に刑事・民事・懲戒上の責任が認められた場合、本誓約をもって、その責任を免除するものではない。


 その誓約書を見せ、神威は感情を抑えながら、冷静に言葉にする。


「これは最大限の譲歩だ……これまで苦しんだ職員や亡くなった隊員は戻れない」

「だが、お前達にも……守りたい家族や大切な人はいるだろう」

「だから、これまでのことはこれで精算して……真っ当に生きてくれることを願っている」


 正規派の幹部達はもう何も言えなかった。


 本来であれば政府からの追及、経費の不正受給、内部告発で断罪されていただろう。


 安西と同じようにIRISを道連れという考えは起こせなかった。


 ただ、少しでも長く、この椅子にしがみつく為に……受け入れるしかなかった。


「安西さんも……よろしいですね?」


 黒葉が安西に怒りはまだありつつも、押し殺して聞く。


「あぁ……問題ないさ……だが、勘違いするなよ?」


「……何がですか……」


「私は紫導 嵐華(らんか)を認めただけだ、お前達はまだ認めていない」

「だから……変えてみろ……その時は認めてやる」


「……言われずとも」


 だが、安西の顔はどこか付きものが取れたかのような穏やかな表情になっていた。


 安西達はサインをした後、会議室から出ていく。


 残ったのは……神威派の面々。


 神威、黒葉、三枝(さえぐさ)、長谷部(はせべ)、倉田(くらた)の5人だけ。


 やっとここまで来たと思いつつ、これからのことを不安に思う面々だが、未来への扉は少しずつ、明るくなっていた。


 ……


 一方——。


 野良Aランク複数制圧という高難度任務を単独で成功させた嵐華。


 任務後に高熱を出し、倒れた嵐華だったが、数日で回復し、現在は学業優先の「学生運用」へ戻る。


 嵐華の表情が以前にも増して穏やかになり、そんな表情を見て、緋織(ひおり)も含め、クラスメイト達は安堵していた。


「今日もIRIS行くの?」


 クラスメイトが帰る準備をしている2人に聞く。


 ホームルーム後、今日も嵐華と緋織はIRISへ向かう。


 ローテーション上は「非勤務日」だが、これは強制ではなく、2人が選択したこと。


 嵐華は正常に戻った「天使の微笑み」で穏やかに答える。


「うん♪愛里(あいり)と瑞帆(みずほ)の訓練を見てあげたいしね♪」


「嵐華は妹想いなので、それに私が無理をさせませんので、ご安心ください」


 緋織も特に感情を表に出していないが、声は優しかった。


「そうか♪ならいってらっしゃ〜い♪」


 その様子を見れただけでも、安心して送り出せるとクラスメイトも思うのだった。


 しかし、IRISでは任務以外の「別の意味」で少し問題が発生していた。


 紫導グループの訓練に2人は参加し、今日も特に問題はなく、帰る準備をしようとした時だった。


 嵐華は若手の正隊員に声をかけられる。


「あの……嵐華少尉、ちょっとお時間良いですか?」


 嵐華は警戒心は全くなく、微笑みながら答える。


「はい♪なんでしょうか?」


「えっ……と〜良ければ今度の休みの日に食事でもどうですか?」


「食事……ですか?」


「最近大変でしたし、気分転換に……どうですか?」


 嵐華が少し考えていると——。


「ん〜今度の日曜日なら……」


「ストップです……嵐華はデートには行かせません」


 緋織が割って入り、阻止する為に動く。


「デート?食事だよ?」


(……なんでこんなに鈍いんですか……)


 今回のIRIS内紛の件で、嵐華の戦闘モードON/OFFでのギャップが周囲に知れ渡った。


 訓練や模擬戦でも見せていたはずだが、それは育成生と一部の隊員だけの話。


 任務で見せた姿が現場の隊員から伝播し、IRIS全体へ認知されていった。


 嵐華が戦闘モードOFFの時の「無防備さ」が、IRIS内での評価が妙な方向へ跳ね上がっていた……「守ってあげたい女性」と——。


 戦闘モードでは鬼のように強いが、OFFになるとあまりにも危うい。


 その極端さが独身隊員達の妙な保護欲と恋愛感情を刺激してしまった。


 よって、デートのお誘いが発生するようになった……。


 だが、緋織が対応したように妹達が完全ブロック。


 嵐華が自然にOKしようとしてしまう為、緋織達は任務や訓練とは違う疲労感が溜まっていく。


 ……


 紫導家自宅——。


 リビングでは緋織が疲れた様子でソファーに座っていた。


 天井を見上げ、先ほどのデート承諾未遂の件を振り返っていた。


(どうすれば……落ち着きますか……)


 愛里と瑞帆は緋織を心配し、声をかける。


「緋織姉……疲れてるね……」


「嵐華姉のことでしょうけどね……」


「3人とも何か飲むか?」


 神威が風呂から上がり、リビングへやってくる。


「あ……じゃあ、私レモンティー♪」


「私はストレートティーをお願いします」


 愛里と瑞帆がすぐに返事をするが、緋織は黙ったままだった。


「緋織?どうした?」


 神威の声にようやく気づき、慌てて返事をする。


「あ……すみません……考え事をしていました」


「考え事……嵐華か?」


「……ええ……実は……」


 緋織は今、嵐華に起こっている隊員からのお誘いについて話す。


「俺と黒葉が目を離していた間にそうなっていたとはな……」


「いえ、お父さん達は幹部として今、大変でしょうし、仕方ありません」


「まぁ丁度、指示系統も整ってきたからな……現場にも顔を出すさ」


「お願いします」

「お父さんとお母さんが目を光らせれば、少しは落ち着くでしょう」


 神威と黒葉が嵐華への障壁となる。


 そう思わせれば、流石に躊躇するようになるだろう。


 だが、その話で愛里は不思議に思う。


「ねぇ〜緋織姉はお誘いないの?」


 瑞帆も頷く。


「緋織姉も美人なんですから、ないんですか?」


 神威も見る中、緋織は平然と答える。


「単純に嵐華の隣にいるので、嵐華に集中するだけです」

「それに嵐華の方が魅力的なのは確かだと思いますよ?」


「あのラブレター騒動でもあんなもらってるのに不思議だね?」


「高校に入ってからはそんなにありませんよ?」

「3人ほどでしょうか?IRISではいません……ね……」


 ふと炬乃恵の顔が浮かび、言葉が詰まる。


(なんで炬乃恵が出てくるんですか!?)


 黙って聞いていた神威はその変化を見逃さなかった。


「……誰か気になる人がいるのか?」


 緋織は全力で首を左右に振る。


「いえ、いません!!」


 神威は怪しく思いつつも流す。


「……それならいい」

「嵐華のことは何とかしておくから、3人はそれぞれ任務と訓練頑張ってくれ」


 3人は頷き、やっと落ち着くと気を緩めていた。


 そして、愛里はふと階段の方向へ視線を向ける。


「そういえば……嵐華姉下りてこないね?」


「どうしたんでしょうか?いつもならリビングにいると思うんですけど……?」


 2人の疑問に神威は答えを知っていた。


「嵐華は今、黒葉といるよ」


 ……


 神威と黒葉の自室——。


 黒葉と嵐華は紅茶を飲みながら談笑していた。


 この部屋には小さい台所があり、そこで簡単な料理や飲み物を準備出来る。


 そして、今日のお誘いの話を嵐華が話す。


「今日もなんだけど、最近よく話しかけられるんだよね」

「なんでだろ?……任務で大変だったからかな?」

「IRISのみんなはやさしいよね〜♪」


 黒葉は微笑みながらも、内心は穏やかではなかった。


(……嵐華は本当に……あれだけ告白されてるのに予測も出来ないなんて……)

(IRISではあれだけ任務で大変だったんですから……少しでも負担は減らしてあげないと……)


「お母さん?」


「いいえ?なんでもありませんよ♪」

「そうですね……みんな……嵐華が頑張ったおかげでIRISが変わろうとしていることを理解してるからだと思います」

「なので、嵐華はそのままで大丈夫ですよ♪」

「ただ……流石に食事のお誘いはデートと一緒なのは覚えておいてください?」


 黒葉の注意に嵐華は少し頬を赤らめながら頷く。


「よしよし♪良い子です♪」

(でも……もう少し人を疑うことを覚えてほしいものです……)


 黒葉は嵐華の頭を撫で、優しく抱き寄せる。


 黒葉にとっても嵐華にとっても貴重で、大事な親子の時間。


 全員が嵐華の恋愛について心配していたが、他の誰かに恋愛感情が生まれることはなかった。


 もう大切な人がいたから——。


 ……


 白泉学園——。


 氷華(ひょうか)は高校内で、炬乃恵(このえ)と並んで、1、2を争うほどの人気がある。


 それは恋愛対象として——。


 幼馴染という関係性もまた、火に油だった。


 この2人には絶対何かある。


 そういう想像、妄想し、勝手に盛り上がっているグループもいた。


 本人達の意思とは無関係に校内の空気が「カップリング」として認識される時もあった。


 そのことについても、もう慣れている2人は意識しなくなっていた。


 特進クラスの隣同士の席で2人はいつもどおり授業を受ける。


 そして、この授業が終わると、炬乃恵が氷華に話しかける。


「次は選択授業だったな」


「はい、そうですね」


「……また魅了しちまうかもな〜」


「それは知りません……」


 炬乃恵は選択授業は「書道」、そして氷華は「音楽」を選択していた。


 唯一2人が離れる授業。


 そして、氷華が特別人気がある原因がここにあった。


 歌。


「じゃあ、この曲を……葵(あおい)、歌ってみてくれるか?」


「はい」


 音楽教師の言葉に周囲から氷華へ注目が集まる。


 氷華は立ち上がり、歌い始める。


「……♫〜」


 氷華が歌い始めると、音楽室の空気が変わる。


 澄んだ綺麗な声——。


 だが、それ以上になぜか「心が整う」。


 ざわついていた気持ちが静まり、呼吸が整っていく。


 歌い終わると涙を浮かべる者もいた。


「葵……プロの歌手を目指した方が良い」


 授業を受けていた同級生達も頷くが、氷華はいつも少しだけ笑い、首を横に振っていた。


 プロになる気はない。


 IRISで頑張りたいという気持ちもあるが、歌に関しては「一番聴かせたい人」に届けば良い。


 そう思っていた。


 この日も寮に戻ってからはIRISの訓練を行い、嵐華も一緒だった。


(嵐華が見てくれるだけで、今日は満足ですね♪)


 氷華は明らかに嵐華がいてくれる方が調子が良い。


 見ていた教官の花梨(かりん)と右近(うこん)は察していた。


「(あの子達……やっぱり?)」


「(ですよね?)」


((若いな〜))


 女性教官2人は隠していることを長年の恋愛観で見抜いていた。


 そして、訓練も終わり、嵐華が氷華に話しかける。


「今日、寮に行っていい?能力操作で相談があって」


「ええ、良いですよ」


 氷華は即座に返事をする。


 このやり取りは育成生時代から日常と化していた流れ。


 付き合う前も、付き合った後も、表向きは変わらない。


 仲の良い先輩後輩。


 師弟関係。


 信頼出来る相棒。


 周囲は2人が恋人同士だと微塵も思っていなかった。


 花梨、右近、そして炬乃恵だけ。


 2人のやり取りを見ていた炬乃恵は心の中で呟いていた。


(あれでバレねぇんだもんな〜思い込みってすげぇな……)


 ……


 氷華の寮——。


 2人は部屋へ入り、ドアが閉まる。


「……ふぅ……」


 嵐華は一息つき、「本当の意味での戦闘モード」を解除する。


 能力はスイッチで閉じ、訓練が終われば、雷も伝達速度の強化も止める。


 OFFになれば、神経を休ませる為、しっかりとした休養が必要だった。


 だが、IRISにいる以上、気は張り詰めている。


 紫導家の他に安らげる場所……それは氷華のところだった。


 連続した緊急任務。


 高校生活。


 IRISでの責任。


 それらを崩れずに続けられた一番大きな理由は……氷華の存在だった。


 氷華の寮に入った嵐華はいつものようにソファーへ座る。


 隣に氷華が座り……自然に手が繋がる。


 戦闘服も、訓練服も、そして緊張も全て置いてきた感覚。


 肩も寄せ合い、優しい声で嵐華は氷華にお願いする。


「……また歌ってもらって良い?」


 氷華は嵐華と視線を合わせながら、すぐに頷いた。


「……良いですよ♪」


 IRISの寮はしっかりと防音対策がされており、プライバシーは徹底的に守られている。


 よっぽど大きな声でない限り、氷華の歌声が外へ漏れることはない。


 氷華は目を閉じ、ゆっくりと歌い始める。


「……♫〜♫〜」


 作詞も作曲も氷華自身。


 誰にも渡すつもりもない「完全オリジナル」。


 嵐華も目を閉じ、指先はゆっくりと絡み合う。


 呼吸が整い、身体の芯に残っていた緊張が少しずつ削ぎ落とされていく。


 負荷のかかった神経もゆっくりと和らいでいく。


「♫〜♫〜…………」


 歌い終わり、氷華がゆっくりと嵐華の肩に頭を預ける。


 嵐華は癒され、心が幸せで満ちていた。


「……落ち着く……氷華の歌は一番の癒しだよ……」


 氷華は顔を少し赤らめながら答える。


「……ありがとうございます」


 そして、少し視線を下げたまま、言葉を続ける。


「あなたの為に、今後も歌わせていただきますね……」


 それは遠回しな意思表示——「これからも一緒にいたい」という……その言葉を嵐華も理解していた。


「……うん、お互い高校卒業したらさ……一緒に住もうよ」


 氷華は一瞬固まるも、頬を赤くしたまま、小さく答える。


「……検討します」


 口ではそう言いながらも、繋いだ指の力は少し強くなった。


 ……


 他愛のない会話を続けていると、どんどん時計の針は進んでいく。


「……そろそろ帰らないと」


 嵐華が名残惜しそうに立ち上がり、氷華も続いて立ち上がる。


 嵐華がドアのノブに手をかける直前、嵐華が振り返る。


 ほんの一瞬、2人は視線を交わし、唇が重なる。


 短く、静かに恋人であるかを確かめるように。


 唇が離れ、嵐華がドアを開くと、氷華が小さい声で言う。


「……また訓練でお会いしましょう」


 氷華はいつもの「表」の顔に戻る。


 その表情の変化にも、嵐華は嬉しくて微笑む。


「うん……また♪」


 そして、そのまま寮から出る。


 ドアが閉まり、残った氷華はドアに背を向けるようにして、もたれかかる。


 胸に残る余韻を感じ、ゆっくりとこの気持ちを抱きしめる。


(……大丈夫……明日以降もきっと……また会える)


 そう思うだけで心が少しだけ軽くなる。


 ……


 嵐華はIRISの出口でタクシーに乗り、紫導家の自宅へ帰る。


 戦闘モードOFF時での1人で帰宅することの危険を鑑みて、専属タクシーで帰るように約束させられていた。


 タクシーに乗り、嵐華は外の景色を見る。


(本当……過保護なんだよね♪)


 そう思いつつも、心配してくれている家族に感謝していた。


(また……一緒にいたいな……)


 こうして、嵐華も氷華も、次の任務へ、訓練へ向かう活力になっていく。


 雷を纏う前の少女が、もう一度「守る人」として立ち上がる為の——。


 本当の意味での拠り所はここにあった。

次回、EP36〜お風呂〜

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