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紫導家ヒストリー  作者: AliceMa
第1章〜紫導家〜
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32/34

EP28〜守る人、守られる人〜

挿絵(By みてみん)


 紫導家の朝——。


 いつも通りのはずだった。


 朝食を家族で取っている時、愛里あいりは自身のスマホでSNSを見ていた。


(今のトレンドは〜っと……?)


 スマホを動かす指が止まった。


 ずっと画面を見ている愛里を見て、緋織ひおりが注意する。


「愛里、朝食中にスマホに集中するのは良くないですよ?」


「……これ……嵐華らんか姉じゃない?」


「え?私?」


 愛里の言葉に嵐華も反応し、緋織と一緒に愛里のスマホに映っている動画を確認する。


 そこには確かに嵐華が映っていた。


「この動画って……昨日の任務の?」


 動画はIRIS先輩隊員の賢治けんじと共に万引き犯を拘束した任務。


 その任務後の様子がギャラリーに撮られ、動画として拡散されていた。


 内容は——。


 嵐華が任務後に警察官と賢治に笑顔で対応している姿。


 戦闘モードを解除し、天使の微笑みで「お疲れ様でした」と警察に丁寧にお辞儀をしていた。


 それだけで周囲の空気が変わり、整う。


 釘付けになる視線……心臓を撃ち抜かれたように固まる。


「(……なにあれ?)」


 撮影者であろう声が小さく聞こえる。


 ——という動画がSNSに投稿されていた。


 拡散され、雪崩のように「いいね」や「コメント」が増えていく。


 完全にバズっている状態だった。


『すげぇ美女がいた』

『女子高生?』

深山学園みやまがくえんだろ?この制服』

『隣の男は彼氏か?』

『IRISって聞こえた』

『隊員なの?』


 嵐華と緋織が通う高校も特定されていた。


 このコメント欄を見て、嵐華は現実味がない感覚だった。


「……なにこれ?」


 緋織も危機感を覚える。


「……任務後の写真を撮られたようですね……しかも高校まで特定されています」


 瑞帆も緋織と同じ気持ちだった。


「凄く拡散されてますね……」


 神威かむいの眉間にしわが寄る。


「……IRISでも削除要請を出す」

「隊員がこんな形で晒されるものじゃない」


 黒葉くろははいつもの笑顔ではなく、真剣な顔で神威に続く。


「しっかり抗議しておきますので安心してください」


 嵐華は小さく息を吐く。


「……うん、ありがとう」


 座ってる嵐華に愛里が抱きつき、笑顔で喋る。


「大丈夫♪私達が学校までは守るからね♪」


「ありがとう、愛里♪」


「高校からは私が引き継ぎますので」


 緋織が愛里に続き、喋り、瑞帆も頷く。


 姉を守らねば。


 少し不安になりながらも、4人は学校へ通学する為、準備後、家を出る。


 通学中——。


 電車の中……視線がいつもより明らかに刺さる。


 嵐華でも流石に気づいた。


「なんか……凄く見られてる?」


「やはりSNSは危険ですね」


 緋織がそう言うと、愛里と瑞帆と共に嵐華を囲うように護衛。


 あからさまなスマホのカメラを牽制する。


 普段の嵐華なら、気づかず笑顔で緋織達と会話していただろう。


 だが、今日は違う。


 胸がざわついて自然に表情が強張る。


 愛里と瑞帆の中学へ行く最寄駅に到着する。


「じゃあ、私達ここで降りるけど……気をつけてね?」


「何かあれば連絡くださいね?」


 心配する2人に嵐華と緋織は笑顔で答える。


「うん♪大丈夫だから♪学校と訓練頑張ってね♪」


「あとは任せてください」


 愛里と瑞帆が降りた後、嵐華へまた視線が集中していた。


「もうすぐ学校前の駅ですから、頑張ってください」


「……うん」


 2人は注目されつつも、なんとか高校へ到着。


 だが、教室へ入るとクラスの話題はSNSの件一色だった。


「これ、嵐華だよね!?」


「彼氏もIRISだったの!?」


 まだ彼氏疑惑の説明をしていなかった。


 緋織が淡々と説明した。


「あの人は彼氏ではありません」

「任務で一緒だっただけです」

「私も面識がありませんでしたので、勘違いしていました」


 その話を聞いて、クラスメイト達は嵐華に彼氏がいないことに安堵した。


 しかし、SNSの火種は消えていない……。


 ……


 放課後——。


 授業中は特に問題もなく、ホームルームまで終わった。


 今日は嵐華と緋織もIRISは非番の日だった為、自宅へ直帰することに。


「帰りも電車で見られるかもしれませんが、私がいますので安心してください」


「うん、緋織ありがとう♪」


「妹ですから♪」


 下駄箱で靴に履き替え、正門へ向かう。


 すると、正門が騒がしかった。


 見慣れない学生が複数人たむろしていた。


(危険ですね……)


「嵐華、あの人達から距離を取りながら歩きましょう」


「……うん」


 2人は様子を見ながら弧を描くように歩く。


 容姿から見て、不良だった。


 深山学園の女子にナンパを繰り返していた。


 警備員や教師も数名立ち会い、不良を止めようとするも、相手は5人。


 全員、体格も良く、押しの強さと数で場が荒れ始めた。


 嵐華と緋織が通り過ぎようとしたその時——。


「あ、いた♪」


 その一言で空気が変わり、嵐華と緋織は一瞬立ち止まってしまう。


 不良は近づき、一瞬固まっていた嵐華の腕を掴む。


 不良はニヤニヤしながら喋る。


「やっぱ実物めっちゃ可愛いじゃん♪今から遊ぼうぜ?」


 そう言いながら引っ張り、連れて行こうとする。


 緋織が不良が嵐華目的であることを理解。


(SNSを見てきたってことですか!!)


「……やめてください!!」


 嵐華は咄嗟に抵抗しようとする。


 だが、戦闘モードがOFFの状態の嵐華はただの「か弱い女子高生」だった。


 体は鍛えているが、やはり大柄の男には力負けする。


 嵐華が必死に抵抗する中、緋織が即座に不良の手を掴み、払いのける。


 不良は緋織の顔を見て、同じレベルの美少女にテンションが上がった。


 緋織にも触れようとするが、即座に払い除ける。


「やめてください、迷惑です」

「警察を呼びますよ?」


「え〜?いいじゃん♪2人共一緒に行こうよ〜♪」


 しかし、緋織の言葉に歓喜から怒りに変わる。


「……いいかげんにしてください」

「あなたのような人間と触れ合うことも穢らわしいです」


「……あ?舐めてんのかてめぇ!!」


 不良は怒りのあまり、緋織へ殴りかかる。


(この程度なら)


 緋織は臨戦体制を整え、相手の動きを見る。


 その時、緋織の前に人影が出来る。


(え?)


 鈍い音がし、その人影は倒れた。


 緋織の視線を下げると——。


 嵐華が倒れていた。


 緋織を庇い、殴り倒されていた。


「嵐華!!??」


 周囲から悲鳴が上がり、緋織は屈み、嵐華を介抱する。


「嵐華!!しっかりしてください!!」


 嵐華の口元から血が滲み出ており、頬が赤く腫れ始めている。


 それでも、嵐華は震える声で言った。


「……っ……緋織……大丈……夫……?」


(…………)


 緋織の中で「何か」が切れた。


(許さない)


 明らかに怒りの声色になりながらも、嵐華に言う。


「嵐華……少し、待っていてください」


 嵐華を床に寝かせ、立ち上がる。


 そして、不良達へ視線を向ける。


 不良達は全く動けなくなっていた。


 今まで喧嘩でも感じたことがない感覚。


 本物の「殺気」だった。


 緋織が右手を前へ伸ばす。


 次の瞬間——。


 嵐華を殴った不良以外の4人がそれぞれシールドに閉じ込められた。


 紅色の最高硬度……不良が暴れるも、全くびくともしない。


 まさに牢獄だった。


「てめぇ!!」


 残った不良は混乱し、緋織に殴りかかる。


 緋織は小さく拳を振りかぶる。


「これは……正当防衛です」


 シールドで右拳を保護し、コンパクトな動きだが、全力で顔面を殴る。


 まるで岩に殴られたかのような衝撃に不良は倒れ、悶絶する。


 その倒れた形状のまま、シールドを生成し、囲う。


 右拳のシールドを解除し、緋織は呟く。


「……制圧完了」


 その場にいた全員が言葉を失う。


 IRIS正隊員の力を初めて間近で見た。


 その衝撃に脳が追いついていなかった。


 そんな周囲の状態を気にせず、緋織は嵐華の元へ。


「立てますか?まずは保健室で応急処置をしてもらいましょう」


 怒りの声色ではなくなり、嵐華は少し安心し、しゃべりにくそうに答える。


「……うん」


 嵐華はゆっくり立ち上がり、痛む頬を押さえながら、近くの教師に頭を下げる。


「……私のせいで……ご迷惑をおかけし……申し訳ありません……」


 泣きそうな声で謝罪をする。


「大丈夫だから、まずは保健室に行きなさい」


 緋織が嵐華の代わりに答える。


「はい、失礼します」


 そして、2人はそのまま保健室へ歩いて行く。


(嵐華は何も悪くないのに……)


(謝ることなんて何もやってないのに!!)


(あの不良と……SNSのせいだ!!)


 教師も警備員も生徒も……。


 誰1人として「嵐華が悪い」と思っている人間はいなかった。


 むしろ怒りの矛先はシールドで拘束されている不良とSNSの軽薄さに向いていた。


 学校から警察、IRIS——保護者の神威、黒葉へ連絡。


 不良達は警察に引き渡された。


 ……


 IRIS——。


 神威と黒葉がいる大将執務室に内線が繋がる。


 黒葉がオペレーターからの内線に出る。


「はい、大将執務室です」

「はい……え?……嵐……華が?」


 その言葉を聞き、神威も反応する。


 黒葉の手は震えており、瞳も揺れていた。


「どうした?嵐華に何かあったのか?」


 通話が繋がった状態で、震えながら神威に答える。


「嵐……華が……殴られた……って」


 黒葉は涙が止まらなくなる。


 神威は電話を代わり、状況を確認する。


「何があったんだ?」


 オペレーターから学校での出来事を聞き、嵐華が保健室で治療を受けていることを聞く。


「分かった、まだ学校なんだな?」

「ああ……連絡ありがとう」


 通話を終了し、黒葉を宥める。


「まずは愛里と瑞帆を呼んで……一緒に学校へ行こう」


「……はい」


 神威はすぐに教官の花梨かりんに連絡を入れる。


 花梨は現在、右近うこん左近さこんの3人で愛里と瑞帆、氷華ひょうか炬乃恵このえの訓練を始めようと訓練場に集まっていた。


「……分かったわ、すぐに2人は帰らせるわ」


 花梨が電話を切ると、愛里が聞く。


「何か緊急ですか?」


 花梨は真剣な顔で愛里と瑞帆に伝える。


「……学校で嵐華が不良に殴られて負傷したそうよ……今、保健室で応急処置を受けてるわ」


 その言葉に全員が動揺する。


「うそ?……嵐華姉が?」


「まさか……SNSの影響ですか?」


 愛里と瑞帆が動揺する中、後ろで聞いていた氷華も内心動揺する。


(嵐華……そんな……)


 炬乃恵は氷華の肩に触れ、小さく呟く。


「(大丈夫、救急車レベルじゃないみたいだし、緋織もいるだろうしな)」


「(……はい)」


 花梨は愛里と瑞帆にすぐに帰り支度するように指示をする。


 氷華と炬乃恵に対しては、精神状態も考慮し、訓練中止、休養とした。


 愛里と瑞帆はすぐに着替え、神威と黒葉と合流する。


 黒葉はずっと泣いていた……。


 任務で負傷したわけではない。


 ただの理不尽な暴力で娘が怪我をした。


 そのことが黒葉にとってショックが大きすぎた。


「……お母さん」


 車の後部座席で愛里が黒葉の横に座り、手を握り、慰める。


 瑞帆は助手席に座り、神威が運転し、学校へ向かって発進する。


 ……


 嵐華は学校の保健室で応急処置を受けていた。


 口の中を切っていたが、出血は少しずつ落ち着いていた。


 ただ、殴られた左頬が腫れ上がっていた。


 氷で冷やし、今は様子を見る。


 学校側も今日は保護者に連れて帰ってもらうように2人に伝え、保健室で待っていた。


 しばらくすると、神威達が到着する。


 保健室に入り、嵐華の顔を見る。


 椅子に座って、左頬を氷で冷やしているが、口元からの血、頬の腫れ具合から相当な力で殴られたことが分かる。


 神威は拳を握りしめていた。


「……大丈夫か?」


 嵐華はゆっくり頷く。


 黒葉が涙を流しながら屈み、嵐華の右手を優しく握る。


「……嵐……華?」


「……心配かけて……ごめん……なさい……」


「嵐華が……謝ることなんて……ないんですよ?」


「……うん」


 愛里と瑞帆も泣きそうになりながら、嵐華に寄り添う。


「……痛い?なんでこんな……」


「……絶対、許せません」


 緋織は嵐華の横で、俯いていた。


「……私がいながら守れず……申し訳ありません……」


 嵐華がすぐに否定する。


「……緋織は悪くないよ……私が飛び出したから……」


 黒葉は涙を拭き、優しい表情になる。


「まずは病院です、行きますよ?」


 神威は嵐華と緋織の担任教師と保健室の先生にお辞儀をする。


「本日はお手数をおかけしました」

「ありがとうございます」


「いえ……こちらも嵐華さんを守れず……申し訳ありませんでした」


 神威と黒葉は学校側に落ち度がないことを伝え、紫導家は6人揃って病院へ向かう。


 嵐華は検査を受け、結果は「外傷以外は特に問題無し」だった。


 全員安堵し、自宅へ向かう……いや、1人だけ納得していない者がいた。


(…………)


 緋織はただ黙って嵐華と一緒に3列目の後部座席に座っていた。


 緋織が少し怒っていそうな感覚は嵐華も感じていた。


 嵐華も声をかけず、ただ静かに帰路に着く。


 ……


 その夜——。


 夕飯の準備を神威と黒葉、瑞帆が担当し、リビングでは嵐華がテーブルの椅子に座り、その横に緋織と愛里が寄り添っていた。


 愛里はスマホのSNSの状況を確認する。


 嵐華が殴られたことの連絡を受けてからのIRISと深山学園の動きは早かった。


 不良達が通っている学校、保護者に連絡し、厳重な抗議。


 治療費、賠償請求の手続きを始めた。


 さらにIRISで動いたのはSNSの削除要請。


 理由は明白。


『隊員の身元特定につながる投稿』

『未成年の個人情報特定』

『任務現場での無断撮影』


 さらに最後のひと押し。


『嵐華が怪我をさせられた』


 それらが揃ったことにより、投稿は一気に削除される。


 削除されても嵐華が怪我をした情報が拡散され、投稿者側へ批判が集中し、炎上していた。


 SNSを見て、愛里は呟く。


「本当……勝手だよね」

「散々嵐華姉のことで”いいね”とかして騒いでたのに、いざ怪我したら手のひら返してさ……」


「まぁ……投稿した人も悪気はなかったんだと思うよ?」


「はぁ……嵐華姉はもっと怒っていいんだよ?」

「こんな怪我させられたんだから」


「……ごめんね?」


「いや、私に謝られても……本当、嵐華姉らしいけどさ♪」


 嵐華が微笑むが、頬の痛みが酷いのか、すぐに悲痛な顔になる。


「大丈夫?」


 愛里が心配して、嵐華の顔を覗き込む。


「……うん、大丈夫」


 嵐華と愛里が話している間もずっと緋織は黙ったまま。


「緋織姉?どうしたの?さっきから黙っちゃって?」


 愛里が緋織に聞くと……緋織は嵐華にぽつりと言う。


「……私なら……あそこで避けれました」

「嵐華が飛び出す必要なんてありませんでした」


「ちょっと……緋織姉?」


 愛里が反応する。


 嵐華は首を振り、氷で腫れた頬を押さえたまま答える。


「妹が殴られそうになってるのに……見てるだけなんて……無理だった」


 嵐華は真剣に答えた。


 緋織は嵐華ならこう言うと理解していた。


(分かってる……分かってるけど!!)


 緋織は気持ちを抑え切れなかった。


「……ならせめて戦闘モードに入ってから助けてくださいよ!!」

「嵐華が傷つくだけなんですから!!」


「緋織姉!!」


 いきなりの緋織の怒声と愛里の大声に料理をしていた神威達も手を止める。


 即座に戦闘モードに入る。


 それが出来ないことは緋織が一番分かっていた。


 緋織の拳を握りしめ、さらに力が強くなる。


 嵐華は緋織の怒声に驚き、黙っていた。


 初めての妹からの叱責。


 そして、緋織の言葉に何も言い返せない事実。


 嵐華の能力OFFは「完全OFF」。


 雷も使えなければ、反射神経も普通以下になる。


 雷を制御する為に習得した「スイッチ」は嵐華にとって、日常でさえも牙を向いてしまう。


 スイッチをONにしないと使えない。


 雷は専用戦闘服のライトニングバーストを着ないと、自身を傷つけるだけ。


 戦闘モードもスイッチをONにし、さらに集中力を上げ、時間をかけて持っていかなければならない。


 嵐華が一番自覚している。


 体は鍛えていても……ボクシングを習得していても……大柄な男には力で勝てないし、反応も遅れる。


 戦闘モードに入らない限り、咄嗟に自分が習得してきた戦闘技術を満足に使えなかった。


 そして、紫導家の中で圧倒的に守られる立場にいることを——。


 ただ、言葉にされると胸の奥が痛かった……「役立たず」と烙印を押されたようだった。


 嵐華は何も言わず、静かに椅子から立ち上がり、自分の部屋へ戻っていった。


 緋織はようやく我に帰る。


「あ……」

(やってしまった……)


 肩が落ち、視線が床に落ちる。


 自分の言った言葉が、姉を傷つけたのは明白だった。


 愛里は怒りを含み、鋭い声で言う。


「……流石に言い過ぎだと思う」


「……そうですね……分かっています」


 緋織は天井を見上げる。


(どうして私はあんな言葉を……)


 自分でも分からない。


 守りたい気持ちが強すぎて、言葉が刃になってしまった。


 ……


 嵐華の部屋——。


 部屋へ戻った嵐華はベッドに座り、泣いていた。


 自分の不甲斐なさ。


 緋織にあんな言葉を使わせてしまった浅はかさ。


 そして……守られるだけの自分が悔しかった。


 その時、スマホが鳴る。


 画面には氷華の名前があった。


 嵐華は鼻をすすりながら出る。


「はい……もしもし」


『怪我をしたと聞きました……大丈夫ですか?』


「……うん、平気……多分、すぐ治るから……」


 嵐華の声色を聞き、氷華は優しく喋る。


『喋り方が大丈夫ではないですよ?』

『何かあったのですか?』

『私は嵐華の恋人なんですから……なんでもお聞きますよ?』


 嵐華は一呼吸し、落ち着いた後、喋り出す。


「……緋織に酷いこと言わせちゃった……」


 嵐華はぽつぽつと経緯を話す。


 氷華は最後まで遮らず、しっかり聞く。


 そして、少しだけ間を置いて答える。


(嵐華も優しすぎると思いますが……嵐華らしいですね)

『……私には兄弟や姉妹はいません』

『でも……姉が妹を守り、妹は姉を思って慕うのも当然だと思います』

『緋織は……嵐華に無理してほしくないんだと思います……だって……世界で唯一の姉なんですから』


 氷華の言葉を胸の奥で噛み締める。


「……明日、謝ってみる……」


『……ええ、仲直り出来ることを祈っています』


 氷華との電話を終えた嵐華は緊張が解けたのか、そのまま寝てしまった。


 少し時間が経った後、夕飯ができ、黒葉は嵐華を呼びに部屋のドアをノックする。


(返事がない?)


 黒葉はゆっくりドアを開く。


「嵐華?ご飯が出来ましたよ?」


 嵐華がベッドで横になって寝ている。


 黒葉が嵐華の顔を覗き込むと、涙の痕が残っていた。


 だが、寝息は静かで落ち着いているようだった。


 黒葉は小さく息を吐く。


「……今日はゆっくり寝かせましょうか……」


 嵐華に布団を被せ、そのまま部屋を出て、静かにドアを閉める。


 リビングへ戻ると、黒葉の周囲を見る緋織が声をかける。


「……嵐華は?」


 黒葉は優しい声で緋織に答える。


「今日は嵐華は寝かせてあげましょう♪」

「話は明日にしましょうね?」


「はい……」


 緋織は頷くが、胸の奥は重いままだった。


 どう謝れば良いか分からない。


 そもそも、緋織は本気で嵐華を傷つけるような喧嘩をしたり、言葉を使ったことがなかった。


 人生で初めて「姉を傷つける言葉」を言ってしまった。


 夕飯もあまり喉が通らなかった。


 ……


「……ごちそうさまでした……」


「もういいのか?」


「……はい、明日食べます……すみません」


 結局、緋織はあまりご飯を食べることが出来ず、そのまま2階の自分の部屋へ戻る。


「……今日はゆっくりさせるか」


「……そうですね」


 神威と黒葉は娘2人を心配しつつも、今は気持ちを落ち着かせることにした。


 愛里も瑞帆も心配していたが、ただ緋織が階段を上がる後ろ姿を見ることしか出来なかった。


 今まで頼もしかった姉の背中が脆く、小さく見えた……。


 自室に戻り、緋織はベッドに蹲る。


(……私は……)


 どれだけ時間が経ったか、分からない。


 だが、ゆっくりとスマホを手に取り、炬乃恵に電話をかけていた。


『どうした!?』


 ワンコールで出た……。


「…………」


 電話がつながっても、しばらく無言が続く。


『……どうした?なんかあったのか?嵐華の怪我のことは聞いてるけど……』


 緋織は一呼吸し、声を絞り出す。


「……どう謝れば良いか……分からないんです……」


 緋織はゆっくり炬乃恵に経緯を話す。


 炬乃恵は聞き終わると、少し笑いながら答えた。


『俺、兄貴いるけどさ〜喧嘩なんかずっとだったぜ?』

『姉妹でも喧嘩するだろ?』

『ただ正直に言えばいいんだよ♪”酷いこと言ってごめん”ってな』

『嵐華も怒ってねぇって……ただ、姉として妹を守りたかっただけだろ』

『緋織も嵐華を守りたかっただけなんだろ?』

『……お互い優しい、良い姉妹じゃん♪』


 炬乃恵の言葉を聞き、ようやく気持ちが少し楽になった気がした。


 まだ掠れた声だが、少し芯のある声色で喋る。


「……明日謝ってみます……ありがとうございます」


『幸運を祈る』


「……ふふ♪」


 冗談めいた声に緋織はほんの少し笑ってしまった。


 電話を終え、そのまま緋織も寝てしまう。


 だが、その表情には笑みが溢れていた。


 お互いに明日謝ることを決めた嵐華と緋織。


 それぞれの想いを胸に、就寝する。


 ……


 翌朝——。


 紫導家の朝はいつもの匂いで満たされていた。


 神威と黒葉が料理をし、愛里と瑞帆が食器類を並べる。


 だが、空気は違っていた。


 穏やかな雰囲気……でも何か引っかかっているような感覚。


 昨日の出来事がまだ頭の中に残っている。


「嵐華姉と緋織姉……大丈夫かな?」


 心配する愛里に瑞帆が声をかける。


「……大丈夫ですよ……きっと」


 だが、瑞帆も自信がなさげだった。


 2人は2階への階段を静かに見ていた。


 その頃——。


 2階では嵐華は起き、鏡で顔を見る。


 頬の腫れは昨日と比べるとだいぶ良くなっていた。


 やはり回復力は早い。


 だが、胸の奥に詰まったような気持ちはすぐには治らなかった。


(……ちゃんと謝らないと……)


 部屋を出て、リビングへ下りようと階段へ向かう。


((……あ……))


 嵐華と緋織が階段でぱったりと出会った。


 一瞬、お互い目を逸らしてしまう。


 しばらく、沈黙が流れる。


 ……先に言葉が出たのは嵐華だった。


「……ごめん……守ろうとしてくれてたのに……無茶しちゃって……」


(…………っ)


 緋織は返事をせず、ただ一歩だけ近づき、嵐華の左頬に触れる。


 まだ薄く残る痣へ優しくそっと指先を添えて、緋織も口を開く。


「……痛みますか?」


 嵐華はゆっくり頷く。


「……うん」


 短い返事だったが、それだけでも緋織の胸の奥が締まり、苦しくなった。


 緋織は視線を落とし、言葉を探し、震える声で喋り出す。


「……酷いことを言って……すみませんでした……」

「守ってくれて……ありがとうございます」

「でも……無茶しないで……ください」

「せめて……日常だけでも……嵐……華に……傷ついて……ほしく……ないです……」


 言い切った瞬間、緋織の目から涙がこぼれ落ちた。


 嵐華もその涙を見て、同じように涙をこぼす。


 自分の無力さが悔しいのではなく、「妹にこんな顔をさせた」ことが苦しかった。


「うん……ごめん……ごめんね?」


 嵐華は優しく緋織を抱き寄せる。


 お互い抱き合ったまま、静寂な時間が流れる。


 落ち着き、お互いゆっくり離れると、緋織が涙を拭い、いつもの緋織に戻ろうとする。


 声の震えを抑え、声色を整える。


 そして、姉の手を取った。


「さぁ、ご飯を食べましょう」

「その後、ガーゼとかしますよ」


 嵐華は一瞬きょとんとした顔をするが、次の瞬間、いつもの「天使の微笑み」を浮かべる。


「……うん、分かった♪」

「あ、でもご飯食べたらお風呂も入らないと……髪ベタベタ♪」


 緋織も微笑み、笑いながら答えた。


「ふふ♪そうですね♪あとで入りましょうか♪」


 そのまま緋織に手を引かれながら階段を下り、リビングへ向かう。


 キッチンから下りてきた2人を見た神威達はその表情を見て安堵していた。


 神威と黒葉は小さな声で喋る。


「(戻ったかな?)」


「(はい♪)」


 愛里も緋織の表情を見て、安堵し、肩を落としていた。


 昨日見た小さな背中はもうなく、いつもの頼れる姉の姿だった。


「……よかった……」


 愛里が呟くと、横で瑞帆も胸の前で手を握りしめたまま、静かに頷いた。


 嵐華が受けた理不尽な暴力——。


 それは受けた嵐華も、受けなかった緋織も傷ついた事件だった。


 だが、その出来事で2人の絆は姉妹として、また一段と深くなった。

次回、EP29〜逆訪問〜

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