第29話 救世主は窓からやってくる
夜が明けて朝日が輝いた。日が高くまで上がったところでやっと扉が開いた。
「……っ!」
リーザは身体を滑り込ませようとする。しかし予想されていたのかドアはすぐに閉められてしまった。勢いよく割り込もうとしたものだからリーザは右肩をしたたかに打ち付けて目に涙を浮かべる。痺れるような痛みにうずくまって、しばらくすると扉の向こうから声が聞こえた。
「王女、お食事をお持ちしました。運び入れますのでテーブルの方へ」
リーザは考え込むように俯くが大人しく部屋の奥へと向かった。椅子を引いて腰かける。扉が開いて数人の女が顔を見せた。どれも神殿女官らしく、白いドレスをまとっていた。レースもフリルもついていないシンプルな仕立てだ。女官たちはてきぱきと皿を並べるとコップに水を注いだ。
「どうぞお召し上がりください」
それだけ言うと女たちは去っていった。リーザは一瞬迷うが腹のなかが空っぽなのには耐えられない。銀のナイフを手に取ると薄い肉を小さく切り、それを恐る恐る口の中へと運ぶ。
「……美味しい」
少し冷めてはいるがじゅわっと肉汁が広がった。深みのある油だった。後から香辛料のピリッととした刺激がきてくどさは感じない。野菜スープもすくってみると冷たいがほのかな甘みが爽やかだった。
呑気に食べている場合ではないと思いつつも、しかし残すのは悪い気がしてリーザはすべての皿を空にした。野菜の一かけらも残っていない皿を見るととても間抜けな気持ちになった。少し眠気があるのもいけない。
リーザはゆるく首を振りドアへ向かった。少しドキドキしながらノブをひねった。そこまで期待していたわけではないが、案の定動かないのを確かめてふっとため息をつく。
急に連れてこられたと思えば何をさせられるわけでもない――――結局この日は食べて、寝て、それだけで終わってしまった。
次の日も、その次の日も同じだった。そうしてあっという間に七日が過ぎた。戦場にすら呼ばれず部屋に閉じこめられてそれきりだ。
部屋にはほとんどすべてのものがそろっている。椅子もテーブルも寝台も美しく整えられたものばかりだ。窓際には花瓶があって棚には数冊の本すら立てかけてある。一日を過ごすために困ることなどなかった。食事だって水だって時間になれば向こうからやってきた。
しかし不自然なことに変わりはない。
リーザだってただ寝起きしていたわけではない。一度、女官を捕まえたことがあった。皿を下げようとやってきた女官の手首をきつく掴んで振り向かせたのだ。彼女は一重の目を大きく見開いていた。
無駄だと分かっていたけれど「メイを連れてきて」と言ってみた。女はかぶりを振ったので「ウィリアムでもいい」と付け加えたが、それでも女はかぶりを振った。
「どうして、こんなことをするの」
リーザは静かに尋ねる。女は答えに迷ったように視線をさまよわせたので、リーザは質問を変えた。
「私は何をすればいいの」
女は深々と頭を下げる。
「最後のお役目を果たしてください」
最後の役目? とリーザは聞き返した。女官は視線を逸らしたまま唇をもごもごと動かすが何も言わずに一礼する。それを見たリーザはすっと瞳を鋭くさせた
――――彼女はきっと知っている、けれど言えないことなのだ。リーザは彼女の腕を離してやった。肌にはくっきり赤いあとが残っていた。
「ごめんなさい、痛かったでしょう」
指先でするりと撫でると女は驚いたように顔を上げるが、すぐに俯いてしまった。
「いいえ……」
それでは失礼しますと女は背を向けた。小走りで扉のもとに駆け寄って勢いよく開けるが、しかし丁寧に閉める。ガチャリといつもの金属音も聞こえてきてリーザは思わず笑ってしまった。
また一人になったリーザはベッドに腰かけた。部屋は広いから急に静かになったような気がしてしかたがない。音がしないのが気味悪くて、さあ、どうしましょうか――――なんて呟いてみるがどうしようもなかった。
「せめてメイかウィルに会えれば……」
リーザは指と指を絡めながら考えた。どうにかして二人に会う方法。何秒もかけて考えたけれど思いつくことはない。
ひとまず諦めてもう一つの不安について考えることにした。彼女が口にした言葉――――最後の役目。リーザにはたくさんの役目があるけれど、そのどれを指しているのか分からなかった。もしかしたら何か違う特別なものなのかもしれない。
「……最後」
リーザはごろんと寝そべった。白いシーツが足に絡まって皺がよる。
「最後だなんて、縁起が悪いの」
横になった途端にうとうととしてきてリーザはゆっくりと瞼を閉じた。少し目をつむるだけのつもりだった。なのにとても心地が良くて数回息をする間に夢に落ちていた。
コンコン、と何かがぶつかるような音がしてリーザは億劫に思いながら目を開けた。食事が来たのだと思った。けれどそれは違って、部屋のなかは真っ暗だった。自分の手のひらも見えないくらいの真っ暗闇でリーザはあたりを見回した。もう真夜中だ。
またコンコンと音がする。
しばらくすると視界がはっきりとしてきて部屋の様子がよく分かった。テーブルにはいつものように食事が並んでいて、コップのなかは透明な液体でいっぱいに満たされていた。
リーザは静かに立ち上がった。落ちていたシーツを拾い上げてベッドに戻す。それからランプをつけようと部屋の隅へ足を向けた。
コンコン、コンコン。音は次第に大きくなっていく。鼠でも忍び込んでいるのかと思って、リーザはきょろきょろと首を回した。どこから聞こえているのだろう――――リーザはそんなに耳が良くないので、はっきりとは分からなかった。しかたがないのでうろうろとしてみた。部屋の隅に行ったり扉に耳を当てたり、そしてようやくカーテンの向こうに意識をやった。
「外……?」
リーザはカーテンの端を引っ張った。窓の向こうに赤茶色の髪がびゅうびゅうとたなびいているのが見えて、リーザは口をぽかんと開けたまましばらく見つめていた。星の光を受けるそれが綺麗だ、なんて間の抜けたことを考えたりもした。
コンコン、と音が鳴る。窓を叩く音だった。
やっと正気に戻ったリーザは窓を開けて彼女に手を伸ばした。細い窓枠に足をかけている彼女が落っこちてしまいそうで怖かったのだ。しかしリーザの心配など気にもしないふうに彼女はにっと笑ってみせた。
「ご無事でしたか。お怪我はありませんか?」
メイはいつでもそればっかりだ。
「ねえ、ここ四階よ?」
リーザはそう言って少し笑った。呆れたような、けれど彼女が来てくれたのが嬉しくて何を言えばいいのか分からなかったのだ。




