第27話 戦場と手紙
戦場はいつだって苛烈で残酷だ。
砲撃の音が耳の奥を痺れさせる。遅れて爆風が地を撫でていった。
誰もが伏せている。下から伝わる振動に身体の中が揺さぶられるようで気持ちが悪い。はるか前方には土煙が広がり人の影だけがゆらゆらと揺れた。
それからも数度砲撃が続いたがどれも遠くに落ちたらしい。リーザは顔だけを上げた。頬も髪も土まみれだ。
「今だ、進め!」
誰かが叫んだのを聞いてリーザも慌てて立ち上がった。手足がもつれ身に着けている鎧がぶつかり音を立てた。すぐ目の前にいるウィリアムは周囲に視線を走らせると、大きく頷いてみせる。
「リーザ、行くぞ!」
彼が駆けだすのに合わせてリーザも地を蹴った。彼の腕にまきついている赤い布だけを見ながら一心不乱に追いかける。ぬかるんだ土に足をもっていかれ膝をつくが、すぐに起き上がった。
「大丈夫か⁉」
「うん! 進んで!」
怒鳴らなければ声も聞こえないほどあたりは騒然としている。被害を確認しあっているのは予備部隊だ。その間を縫うようにして衛生兵や補給兵たちが駆け抜けた。リーザたちもその流れに混じり、前を目指した。
もう、どれだけ走っているのだろう。砲撃のたびに伏せて、また立ち上がって、走って――――ふくらはぎが鋭く痛んだ。それでも止まることはできずリーザは浅く呼吸した。
「前方、見えた! リーザ!」
声につられて顔を上げる。更地にぽつりと、うずくまる兵がいた。少しも動きを見せない。リーザたちはたどり着くとすぐに兵を安全なところまで移動させた。ちらりと様子をうかがうが、まだ意識はあるらしくしきりに何かを呟いている。頭からはおびただしい量の血が流れていてそう長くはもたないだろう、とリーザは思う。生臭さにうっと息を詰めながらしかし目は逸らさない。
「王女、お手を!」
すぐ隣の男は、リーザが頷くより早くその手首を掴むと、強引に魔力を奪い取った。男がまとうローブ――――大神殿の紋章が入ったそれは強風にたなびいている。
もうすっかり聞き慣れたルーディア語は傷を塞ぐためのものだ。リーザは眩暈を堪えながら兵を見つめた。まだ血は残っているが傷はすっかり塞がっているはずだった。
「これで大丈夫です。意識を取り戻せば、自力で動けるでしょう」
「分かったわ、早く次へ!」
リーザは急くように腰を上げた。しかし男は片膝をついたまま神妙な顔つきで空を睨んだ。ドキリとして、ゆっくりと顔を上げる。鉛色の空が遠く遠くまで広がっていた。
「……結界はどう」
リーザが尋ねると、男は「ええ」と頷く。
「無事です。敵からの干渉を受けていますが、今のところ問題はありません。先ほどの補強で間に合ったようです」
「良かった。でも、念には念を入れないとね」
「はい。もしあれが欠けでもしたら……」
いえ、縁起でもありませんね。男は言いかけたまま立ち上がり「先へ進みましょう」と声をかけた。そうすれば数人が一斉に動き出す。
リーザは駆けながら、言葉の続きを思った。
――――もしあれが欠けでもしたら、魔術大戦がはじまりかねない。
「撤退! 撤退!」
どこかで響く誰のものでもない声にリーザは振り返った。いつのまにか解けていた髪がたなびいてリーザは「あ」と声を零した。知らないうちに長く伸びたそれを見て、呆然としてしまう。ウィリアムに名を呼ばれはじかれるようにして足を動かした。
ここにあるのは耳をつんざく爆音と、雄叫び、それから硝煙と砂埃の臭いだけだ。
こんな日々がもう二年も続いていた。
戦争は、終わらない。
城塞に帰還すると真っ先に駆け寄ってくる影があった。見慣れた赤茶色の髪を乱しながら彼女はほっと息を吐いた。
「おかえりなさいませ」
安心しきった表情を見て、リーザはにこりと笑う。
「ただいま。メイ」
リーザより遅れて城塞に入ったウィリアムも片手をあげて挨拶する。メイは軽く会釈し、そしていつもと同じことを聞いた。
「お二人とも、お怪我はありませんか」
リーザは困ったように笑う――――この質問は苦手だ。横髪を指に巻き付けながら「少し?」と小声で言えば、彼女が眉を下げた。どこも痛くないよと言いたかったけれど、どうせ着替えのときに見られてしまうから誤魔化せない。リーザの身体は擦り傷だらけだ。
「ウィリアム様は?」
視線を向けられた彼は、ばつが悪そうにそっぽを向いた。
「俺は騎士だから……怪我をするのも仕事のうちっていうか……」
ぶつぶつと呟くが、メイはそれを許さない。
「いいえ。怪我をせず、リーザ様をお守りしてこその騎士ですよ」
「はい……おっしゃる通りで」
「騎士である以上、怪我は仕方ありません。けれどもしあなたが犠牲になったとして、そうしたら誰がリーザ様をお守りするのですか。自分の身のことも考えてください」
説教はくどくどと続いた。ウィリアムは助けを求めるようにリーザを見たがどう口をはさめばいいのか分からなくて視線を逸らした。巻き込まれてはたまらない。彼は非難するように唇をぱくぱくと動かしたが、メイの「聞いているのですか」という声にびくりと肩を揺らす。
「聞いています、聞いています」
「もう、仕方のない人ですね……」
メイは呆れたように首を振る。それから改めてリーザの方を向いた。
「な、なに。私にも何か言うことがあるの」
表情を硬くするが、メイは首を振った。様子をうかがうようにあたりを見回し人気がないことを確かめてから、腕にひっかけているかごに手を伸ばす。中をあさって白いものを取り出した。
「……手紙?」
リーザが小さく問うと、彼女は頷いた。
「今のうちにお受け取りください。読み終わればすぐに――――」
分かってる、とリーザは呟く。
「暖炉に放り込んでおくよ、いつもみたいに」
「ええ。くれぐれも用心してください。横流しが知られれば、次はありませんから」
リーザは忠告とともに二通の手紙を受け取った。裏返すと丁寧な文字で日付と送り主の名が記されていた。リーザは思わず読み上げる。
「――――アリスティド・ディラック」
彼は思いのほか美しい字を書く。リーザはそっと封を切った。中にはそれぞれ一枚ずつ便せんが入っていてさっと目を通し始める。
――――こういう風に時々アリスティドから手紙が届いた。リーザがそれを知ったのはごく最近のことだ。戦地への手紙はすべて軍が管理しているが、何故か彼からの手紙は捨てられてしまっていた。だからリーザは返事を書くどころか存在すら知らないままだった。それでも彼は送り続けてくれたから、二年近くたってようやく気付くことができたのだ。
彼からの手紙が届かない理由は分からない。けれどきっと裏に何かある――――真意は掴めないままだ。
手紙の内容はごくごく普通の、当たり障りないことばかりだった。花が咲き始めたとか、まだ雪が解け残っているとか、外からの本が届かないとか――――何でもない日々の話。
リーザは読み終わると一息ついた。いつの間にかメイとウィリアムが話をやめてリーザの方を見つめていた。
「……読む?」
リーザが差し出すと、二人は首を振った。
「いえ、結構です。私には別に届いていますので。……偽名でしたけれど」
「俺にもこの前一通届いたからいいよ。やっぱり偽名だったし、便せんのほとんど悪口で埋められてたけどな!」
リーザは不思議そうに腕を組んだ。
「……どうして私のものだけ本名を使うんだろう? 偽名ならもっと好きなこと書けそうなものなのに」
「さあ? でも、管理人にも何か考えがあるんじゃねえの。もともと何考えてるか分かんねえような奴じゃん」
「何考えてるか分からないっていうのは否定しないけれど……本当に、どうしてだろうね」
リーザは困ったように笑うと手紙をローブの中に隠した。あの男は昔からそうだ。いつも大切なことは言わないままなのだ。そういうところにずっと振り回されてきた。ふと思い出してしまって大げさにため息をつく。
「言ってくれなきゃわからないことだってあるよね」
リーザが歩き出すと二人は何も言わず追ってくる。泥だらけのリーザは頬を拭うと部屋に向かう。着いてまず最初にすることは決まっている。この手紙をゆらゆら揺れる炎のなかにくべるのだ。
「……私、絶対に帰るよ」
リーザは呟く。
「アリスティはとても怖がりで、寂しがりやだから。ちゃんと帰らなくちゃ――――」




