第26話 王女殿下は図太くて図々しい
夜が明けて、朝が来て、二人は何ということのない穏やかな日々を過ごした。
冬はすぐにやってきて目に見える景色すべてを白く染め上げた。それでも足りずどんよりとした空から雪が舞い降りてくる。雪はいっそう深く積もる。
暖炉のない図書館は空気が凍り付くほどに底冷えした。アリスティドは毛皮でできたローブをまとい慣れた手つきで本棚の整理をしているが、リーザはガクガクと震えるだけだ。彼はちらりと振り返るといつものようにため息をついた。
「いい加減に慣れろ」
「むり、むり、むり」
ぶんぶんと激しく首を振る。彼のと同じローブを抱きしめるとまた身体を丸めた。
「今日こそ手伝うとか言っていたくせにそれか……。この調子だと冬が終わるぞ」
アリスティドは冷ややかな視線を向けるとまた本の整理に夢中になった。一冊一冊確かめ、紙に何かを書きつけている。リーザはよろよろと腰を上げ彼の背後から覗き込んだ。
「今、何してるの」
アリスティドは視線を向けないまま答える。
「書物の過不足を調べているところだ」
「過不足……? 減っちゃうのは分かるけど、増えることなんてある?」
「それがあるから不思議だよ。単に俺が数え忘れたのか、誰かがねじ込んでいくのか……。まあそんなことをする意味も分からんが」
「アリスティへのプレゼントだったりして」
彼は神妙な顔でうつむいた。ただの冗談よ、と言いそびれたリーザは苦笑いする。
それから彼は黙り込み、仕事を続けた。一度集中してしまえば他はおかまいなしなところは少しも変わらない。リーザは隣に並んだまま本棚を見上げた。背よりもはるかに高いそれがずらりと並んでいてアリスティドの仕事が終わる日など想像もつかなかった。途方にくれてしまったリーザは彼のローブを軽く引っ張った。
「ね、そろそろ休憩にしない?」
アリスティのホットミルクが飲みたいな。そう言えば、彼はしかたがないといったふうに首を振る。
「そう言えばいいというわけではないぞ」
「だって美味しいんだもの」
リーザがはにかんだのを見て、アリスティドは紙とペンを手放した。彼は前よりも意地を張らなくなったと思う。
ホットミルクを飲み終わったリーザは一息ついた。彼女より早くカップを空にしていたアリスティドは「で?」と短く問いかけた。
「何か、話すことがあるんだろう」
リーザは少し驚いたように目を丸くした。
「どうして分かったの?」
「お前があれを飲みたいと言い出した時は、たいてい、ろくでもない話がある時だ」
普段は紅茶だろう、お前は――――彼はそう言うと、リーザの手からカップを取り上げた。テーブルの真ん中に置くと彼はベッドの端に腰かけた。
「それで、手短に済むのか」
「えっと、済まそうと思えば済ませられるよ」
リーザは視線を伏せ、少し考えを巡らせてから再び彼を見た。それからふっと微笑を浮かべて何でもないことのように言った。
「もう少ししたら、私は出陣する」
六年ぶりだね、と呟いた。アリスティドはぽかんとした顔でリーザを見つめていた。
「出陣?」
「そう、出陣」
リーザは小さく頷いた。アリスティドは勢いよく立ち上がるとリーザの肩を掴んだ。
「待て、そんな話は聞いて――――!」
「うん、だろうね。そう思った」
彼の言葉を遮るとひとまず座らせた。唖然としている彼とは反対にリーザはひどく落ち着いていた。こんなことはもうとっくに想像がついていたのだ。
「私も昨日聞いたところなの。……従軍者のなかにアリスティの名前はなかった。お父様がどういうつもりなのかは知らないけど、たぶん、都合の悪いことがあるんじゃないかな」
ぽつりぽつりと話すが彼は視線をさまよわせるだけで聞いていない。やがて彼は力なくうなだれた。
「ふざけるな」
「……うん」
「ふざけるなよ。……やっと覚悟を決めたところなんだ。何年もかけてようやく腹をくくったんだ。なのに、なんでこんな」
アリスティドの気持ちは痛いほどにわかる。リーザは深く息を吐くと腰を上げた。彼の前に立ちその顔に両手を伸ばす。寒さでほんのり赤くなった鼻先にちょんと触れると、頬を包み込んだ。
「ねえ、聞いて、アリスティ」
無理やり上を向かせて、視線を交わらせた。
「私、約束する。必ず生きて帰ること」
リーザはにっと不敵に笑う。彼は瞬きした。
「こんなところで終わるつもりはないよ。私はアリスティを一人にしない。絶対に」
だって私、しぶとくて図々しいらしいから。そう言ってリーザは彼の身体に腕を回した。彼は座ったままだからいつもより低いところに頭がくる。リーザは「子供みたい」とくすくす笑った。そしてぎゅっと腕に力を込めた。アリスティドが息苦しそうにするので、少し緩めて、けれど離してやるつもりはない。
「……ああ、そうだな」
アリスティドはふっと息を吐いた。
「お前は本当にしぶとい」
彼はリーザの肩に顔をうずめてくつくつと喉を鳴らした。リーザは自慢げに微笑んだ。このしぶとさで生き残ったし、ついにはアリスティドの愛を勝ち取ったのだ。
二人は身体を話して視線を合わせるとどちらからともなく笑った。いくつか言葉を交わすが他愛もないものだった。リーザは彼の瞳をじっと見つめた。とろりと輝く金色が美しくて、その視線に射抜かれると動けなくなってしまう。好きだった。
――――月日は巡って、その日はあっけないほど簡単にやって来る。リーザは笑みと約束だけを残し城を発った。




