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第25話 愛してる


 身を焦がすほどの眩しい夕日に照らされ、リーザがふと目を開けると、そこは見慣れない場所だった。


「……ん?」


 リーザは思わず目をこすった。しかし夢ではないらしく意識ははっきりするばかりだ。ベッドに寝かされていることに気が付いて上半身を起こした。こめかみのあたりがズキンと痛んだので左手でさすろうとするが上手く動かない。あれ、と首を傾げつつ今の状況を整理する。ベッドのすぐそば、椅子に座る銀髪の男――――アリスティドは壁にもたれたまま、うとうとと舟を漕いでいた。


 つい寝顔に見とれてしまうが、いつまでもこうしているわけにもいかない。彼の身体を揺り動かした。


「アリスティ。ねえ、アリスティってば」


 しばらくされるがままだったが、はっと目を開くと勢いよく立ち上がった。リーザはびくりと肩を揺らす。彼は気まずそうに目を逸らし、それから倒れた椅子を起こした。


「おはよう、でいいのかな。アリスティ」

「……もう夕方だがな」


 そっか、とリーザは笑った。まだ何もわからなかったけれど、すべてが終わってしまったことだけは理解していた。







 彼は一杯のホットミルクを作り、差し出した。湯気の立つそれに息を吹きかけ、少しずつ口に含み流し込む。とたんに身体がぽかぽかとするのでリーザは静かに息をついた。


「ありがとう、アリスティ。美味しい」

「もともとあったものを火にかけただけだ」

「ふうん」

「……それより、頭の整理は終わったのか?」


 最後の一口を飲み干してからこくんと頷いた。空っぽのカップを返すと彼はテーブルに置きに行く。その間リーザがきょろきょろと見回すと椅子やらベッドの上やらに本が散乱しているのが見えた。


「何から聞きたい?」


 彼は思い出したように振り返り、言う。


「そうだなあ」


 聞きたいことが多すぎて思いつかない。とりあえずここはどこ、と苦笑いしてみせる。


「……ああ、まあ、そうだな。ここは俺の部屋だ。図書館の奥、と言えば分かるか?」

「あ、うん。分かる。でもどうして?」

「どうして?」

「だから、どうして私、ここで寝ていたの?」


 リーザが指遊びをしながら尋ねるとアリスティドはまた椅子に腰かけた。


「お前はあの女の魔術――――呪いを受けて、倒れた。それは分かるな」

「……うん」


 リーザは二度頷く。


「あの後図書館のなかで解呪した。だがなかなか目を覚まさなかったからここに置いた。俺が近くにいる方が都合がいいからな」


 痛いところはないか、という問いにいくつか答えた。彼はその度に相槌を打ち「それならすぐに治まる」と返した。


「……ねえ、私、どんな呪いにかかったの」

「眠り、だ。あれは文字通り永遠に眠り続けさせる。とは言え即死はしないものだから何とか処置が間に合ったというところだな」


 リーザは小首を傾げた。


「それってエヴァが手を抜いたってこと?」

「さあな。そんなものあの女に聞いてみないと分からない。……ったく、本当に、本当に手間がかかった。呪術の使い手とは聞いていたが、まさかあれほどだったとはな……。ヤマを越えるまで三日間徹夜したぞ、俺は」


 アリスティドは足を組むと不機嫌そうにぼやいた。しかしそう言うわりには彼の目元にくまはなくむしろ健康なくらいだ。リーザが不思議そうな顔をしているのに気が付いたのか、彼はそっけなく付け加えた。


「お前は十日間眠っていたんだよ、そこで」


 十日間! リーザは思わず叫んだ。


「そっか。迷惑かけたんだね。ごめん」


 困ったように笑いながら謝罪する。アリスティドは何も言わなかったが、少し視線をさまよわせ、それから組んでいた足を戻した。リーザの方を真っ直ぐに見て彼はゆっくりと口を開く。


「迷惑をかけたのは俺の方だ」


 悪かった、と彼は小さく頭を下げた。リーザは何度も何度も首を振った。


「違う、どうしてアリスティが謝るの! あれは何にもできなかった私が悪いの!」


 アリスティドはぐっと両手を握りしめる。


「そんなわけがないだろう! そもそも俺があの女の力を測り損ねたのが原因だ。お前はたまたまあの場に居合わせただけで、それなのに俺はお前を巻き込んだ」

「それでもアリスティはちゃんと守ってくれたじゃない!」

「逆だ! お前が俺を守ったんだ!」


 リーザは思わず腰を上げそうになった。


 二人の会話は平行線をたどった。それぞれが同じことを繰り返すだけでお互いの言うことを聞き入れるつもりは少しもない。その無意味さに先に参ってしまったのはアリスティドの方だった。彼は髪をガシガシかくと盛大なため息をついた。


「……それにしても、お前、よく分かったな」

「え?」

「あの女が詠唱するより前に動き始めただろ」


 リーザはああ、と手を打った。


「分かるよ。だって強い魔力だと身体がぞわぞわするもの。それこそ居ても立ってもいられないくらい。……この身体も役に立つね」


 リーザはにこりと笑う。嫌味などではなかった。本当に、思ったことをただ言葉にしただけだった。しかし彼の瞳にはかげりが浮かぶ。そのきまり悪そうな表情にリーザは眉を下げた。


「ね、アリスティ。そんな顔しないで」


 そろそろと腕を伸ばし彼の手の上に重ねてみる。彼は少し驚いたようにリーザを見るが結局何も言わなかった。彼の指先はどこかひんやりとしていて薄氷が張っているようだ。


「あのね、卑下したわけじゃないんだよ。私、自分じゃ何にもできないけど、あの時アリスティを助けられた。――――あなたの助けになれる私でよかったって思うの。心から」


 精いっぱいを口にするが、アリスティドは切なげに目を細めた。だからそんな顔させたくて言ったわけじゃないのに、とリーザは妙に虚しくなるが、彼が微笑んでくれることはなかった。リーザはむっと唇を尖らせた。


 二人そろって口を閉ざせば部屋はしんと静まり返る。そのどんよりと淀む空気が嫌でリーザは立ち上がろうと左腕を突っ張った。しかし痺れは取れないままだ。肘のあたりからカクンと折れてそのままベッドに転がってしまう。アリスティドが少し腰を浮かした。


「いいよ、いいよ。大丈夫――――」


 片手で遮る。彼はまた椅子に座る。何度か瞬きすると、彼は長く細く息を吐いた。そして意を決したように、その薄い唇を開いた。


「ずっと、恐れていた」


 リーザは何のことか分からなくて、聞き返そうとしたが、それよりも早く彼は続きを口にする。


「……本当に、ずっと、恐れていたんだ。傷つくのも傷つけるのも、愛するのも失うのも。すべて。何もかも」


 淡々とした声でアリスティドは言う。皮肉げに笑うと力なくうなだれた。銀髪が彼の目元を覆い隠し影を落とした。リーザは言葉を失って呆然と彼を見つめた。身じろぎもできなくて、ただ彼の金瞳を探していたがよく見えないままだ。


彼はそれなのに、と呟いた。それなのに。


「お前の存在が日に日に大きくなっていく。理由など分からないまま、自分でもどうにもできないほどにまで。だがその度に失ったときのことを考えて、怖かった。……お前の言葉に、表情に、振る舞いに、何も思わなかったわけじゃない。それでも後で傷つくくらいなら最初からほしくなかった。認めるわけにはいかなかった……」


 窓からの光が途絶える。日が沈んだ。赤く焼けていた空が紫を帯び始める。彼は顔を上げた。柔らかな夕陽が彼を照らしていた。


「だからさっさと手放してしまいたかったんだ。お前など遠くにやってしまって、俺はまた一人になればいい。今までずっとそうしてきたのだからこれからだってそうすればいい。こんなことで悩まずに済む。しかしそれもできないまま何年も、何年も経って――――だから今回こそ、離れるつもりだった」


 アリスティドはふっと笑う。憂いと悲しみと、切なさで満ち満ちている。針で刺されるような痛みがあった。どうしてだろう、自分のことのように痛い。アリスティドは静かに、自分に言い聞かせるように呟いた。


「すべて、終わるはずだった。これでやっと楽になれると思っていたんだ。思っていたのに――――結局、苦しい」


 彼はそう言って、自嘲じみた笑みを崩すとそれきり黙り込んだ。リーザは目元に熱を感じて唇をきつく結んだ。そうでもしないと泣いてしまいそうだった。リーザは戸惑いながらも唇を開く。声が少し震えた。


「ねえ、アリスティ。そんなことを言われたら私、また勘違いしちゃうよ」


 ――――私だってもう間違いたくないし、傷つきたくないの。あんなのはもうこりごり。リーザは困ったように笑った。これでおしまい、そういうつもりで。なのに彼はまだリーザを見つめていた。とろけるような蜂蜜色の視線はリーザだけをとらえていた。それをどれだけ望んでいたか、きっと彼は知らない。


「お前が……」


 アリスティドは瞳を揺らす。


「まだ俺を好いていてもいなくとも、それが愛でなくて恋だったとしても」


 彼は確かに言葉にする。


「俺はお前を愛している。本当は、もうずっと前から」


 それがすべてだった。これ以上必要なものなんて何一つなかった。リーザはただただ息をのむしかなかった。両手で顔を覆って、言葉にならない言葉を呟いて、何度も呟いて、それから顔を上げた。やっぱりアリスティドがそこにいた。夢ではなくてリーザはまた胸を詰まらせた。


「私で、いいの?」


 恐る恐る腕を伸ばした。彼の身体に触れようとして、けれどそんな勇気がでなくて、宙でぴたりと止める。


「本当に、私で――――」


 アリスティドはその手首を握ると優しく引き寄せた。言葉はぷつんと途切れてリーザはあっと声をあげるが、抱きしめられているということに気づくと口をつぐむ。その代わりに空っぽの両手を彼の背中に腕を回した。触れるだけでは足りなくて、ぎゅっとフードを掴んだ。彼は腕に力をこめた。


 幸せだ――――今までのままならなかったことすべてを忘れてしまえるくらい幸せだった。もう死んでもいいとさえ思った。右目からぽろりと涙が零れ落ちて止まらない。彼はなだめるように「リーザ」と呼びかけた。


「――――!」


 リーザはとうとう声をあげて子どものように泣きじゃくった。アリスティドは困ったように身体を離そうとして、けれどリーザがしがみつく。アリスティドは耳元でもう一度リーザの名を呼んだ。


 空は濃紺に染まりきる。お互いしか見えないほどの暗がりで、しかしランプは灯らない。二人はずっとそうしていた。体温を感じながら二人は言葉を交わす――――すれ違い続けた何年もの時を取り戻すように、そしてすぐにやってくる別れを予感しているかのように。決して甘いものばかりではなくともリーザは幸せだった。


 夜は静かに深まった。



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