第22話 だから期待してしまった
リーザは扉を三回ノックして扉を開けた。
「こんにちは、アリスティ。お仕事はどう。進んでる?」
軽く片手をあげて挨拶するとアリスティドは信じられないものを見るような目つきでペンを置いた。
「返事がないのによく入って来るな」
「どうせ居留守だって分かっているからよ」
リーザは少しむっとした顔で反論した。ここはアリスティドにあてがわれた仕事部屋だ。小さな机と椅子、それから仮眠用のベッドが置いてあるだけの殺風景な部屋だった。
リーザは寒い寒いと呟きながら扉を閉めベッドに腰かけた。その気ままさにはアリスティドもため息を吐く。
「淑女の何たるかを叩きなおしてもらった方がいいな、お前は」
彼はティーカップを手に取り紅茶で唇を湿らせる。いつも似たようなことを言うが大して気にしていないのは明らかだから、リーザは軽口を叩くだけで済ませた。
「相変わらず何もないんだね、この部屋」
「どうせいても半日だ。置くだけ無駄だろう」
「そんなこと言わずに何か飾ってみればいいじゃない。ほら、絵なら枯れないし、お世話しなくても大丈夫だし」
「あいにく守備範囲外だな」
アリスティドはそう言ってくるりとリーザの方を向いた。リーザが不思議そうな顔で見れば、彼もまた不思議そうな顔で小首を傾げた。
「わざわざここに来たからには、何か用があるんだろう?」
彼はすらりと長い足を組み、口の端を吊り上げた。
「頼むから、ただ寄ってみただけとか言い出すなよ。お前はそこまでの暇人ではないと信じているからな」
「……だったら、そのまま信じ続けもらって構わないよ。ちゃんと用事があって来たから」
「手早く済ませろよ」
「それは保証できないかな」
素直に返せば、アリスティドは「こっちは忙しいんだ」とぼやきながらインクボトルに蓋をした。ペン先のインクを丁寧にふき取ってペン立てに戻す。書きかけの書類を裏向け紙の山に重ねるとようやく椅子を回転させた。
「それで? 要件は?」
つまらない仕事をするときと同じ顔で問いかけてきた。その顔というのはつまり、あまり熱のこもっていない目で眉間に軽くしわを寄せているということだ。いつでも好きなときにため息がつける顔とも言えた。
なんてわかりやすいとリーザはうっすら笑う。そしてそんな顔で聞くような話ではないとも思った。
リーザは重い腰を上げ、窓際までてくてくと歩いた。とても小さな部屋だから数歩あればこと足りた。おもむろに開けっ放しになっていたカーテンを引っ張ってみる。それはシャッと鋭い音を立てながら光を遮り、部屋はまた少し暗くなった。
「要件、なんて大したものじゃないんだよ。今言わなきゃいけないことを言いに来ただけ」
リーザは軽い前置きをしてからゆっくりと振り返った。金髪を結い上げる深紅のリボンがたなびいた。
リーザは一瞬だけ目を伏せて、それから彼を真っ直ぐに見る。
もう深呼吸は必要なかった。緊張は消えていた。ここまできて臆病になれるほど期待していないのだ。リーザは毒でも吐き出すようにその言葉を口にした。
「私はあなたを愛しています」
にこりと微笑んでみせる。この言葉はリーザにとってはありふれていて、それでも特別なものだ。
黙って聞いていたアリスティドは無表情だった。ただその目はとても冷たくて、残酷だった。ほんの少しの動揺もあった。白銀の髪をすきま風に揺らしながら彼は嘲るように口角を上げる。
「何の用かと思えば……。六年前の焼き直しだな。――――愛と恋の違いも分からない小娘が何をぬかす」
「やっぱり同じことを言うんだ」
「お前が何も変わっていないからだろう」
そんなことない、と呟く。
「私、変わった」
「どこが?」
「昔よりずっと、あなたに執着してる」
アリスティドの顔つきがいっそう険しくなった。それに気づいていながら何も知らない風に続けた。
「ねえ、アリスティ。私あの日からずっと痛々しい恋をしているの。あなたに。あなたも知っているでしょうけれど。だから今さら隠したりしない」
私、好きよ。あなたが好き。
囁くような声で言う。アリスティドは「子供じみてる」と唇を固くした。
「……お前こそ、それが恋だと分かっているなら俺に押し付けるな」
「分かってる」
「俺に期待するな」
「分かってる」
「……前にも言ったはずだ。それは独りよがりなものだ。お前の都合であって、俺には何の関係も――――」
「分かってるよ、そんなの!」
つい大声を出してしまってリーザははっとする。だが引き下がることもできなくてスカートを握りしめたまま俯く。
「分かってるよ。……分かってるけど、どうしようもないの。だって、だって私、アリスティがほしい」
リーザの絞り出すような声が、部屋中に響き渡った。
「わがままだって知ってる。押しつけだよねこんなのは。私はアリスティの気持ちなんてなんにも考えてない。知ってるの。ごめんね。本当にごめん。……だけど自分じゃどうしようもないくらいほしいの。私、アリスティがほしくてほしくてたまらないの。六年前からずっとそう!」
まくしたてるように言い切ってリーザはふっと笑った。縋るような笑みだった。
「だって、アリスティが期待させたのよ……」
彼の耳飾りが音を立てながら揺れる。
「私のことどうでもいいなら、あの時結婚させていればよかったじゃない。あなたは何もしなくてよかった。それなら私、きっと諦められた。ちゃんと諦めるつもりだった! だけど、アリスティがそうさせなかったんでしょ――――私は特別なのかもしれないって、あなたが私に思わせたの!」
一息に言い切って、ぜえぜえと肩を揺らす。二人して黙り込むからずいぶんと長い間が空いてしまった。何もかもぶちまけてしまったことを情けなく思いながらリーザは顔をあげ、アリスティドを見た。傷つく覚悟はできていた。やはり期待などなかった。けれどほんの少しでも響くものがあったなら――――そんな浅ましさに喉が渇く。
「――――あ」
リーザは息を零す。アリスティドが目を見開いていた。輝くような蜂蜜色の瞳はどろりと淀み、そしてみるみるうちに力をなくした。銀髪が一筋、肩から滑り落ちる。彼は呆然としたままからっぽの瞳でリーザを見つめていた。
「何か、言ってよ……」
ほとんど泣きそうな声で言うと彼もまた苦しげな顔を見せた。たまらないとでも言いたげに目を逸らし、彼は薄く唇を開く。
「すまなかった」
淡々とした声だ。
「――――あれは忘れてくれ」
彼からはそれだけだった。それ以上何もなかった。リーザも十分だと思ったからもう何も聞かなかった。
部屋は静かだった。このまま崩れ落ちてみようか、とリーザはぼんやり考えていた。さめざめと泣きながら恨み言を口にすれば彼はどんな顔をするのだろう。「これだから」と呆れるのか、感情の重さに戸惑うのか――――そのどちらでもないのか。試してみる気にはなれなかった。震える息を整えるだけで精一杯だったのだ。
傷つく覚悟ならとっくにできていた。でもそんな覚悟は現実の前にはあっけなかった。鼻の奥がツンとして痛かった。リーザは両手をきつく握りしめる。
「だったら」
左目からぽろりと涙がこぼれる。
「だったらあんなこと、してくれなくてよかったのに。私、勝手に舞い上がって馬鹿みたい……」
リーザはそっと顔を覆った。思うより涙は出てこない。それでも上手くしゃべれなくてリーザは懸命に息を吸った。喉がヒュっと鳴った。言いたいことはたくさんあるのに言葉にするのはとても難しい。
馬鹿みたい、ともう一度呟いた。アリスティドはひどく切なそうに瞳を閉じた。いつもみたいには嘲笑ってはくれない。
リーザは部屋を出ていくに出ていけなくてしばらく鼻をすすっていた。その間彼は何も言わずに窓の方を眺めていた。ところどころ小さな穴の開いたカーテンから、光が零れだしていた。
「――――」
アリスティドが何か呟いたような気がしてふと顔を上げるが、彼は肩肘をついたままぼんやりとしているだけだ。すきま風が足首を冷やしていった。




