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第21話 勝てなくてもいい


 翌朝、リーザは城中の誰よりも早くベッドから抜け出して鏡の前に立った。まだぼんやりとしている目をこすり鏡の中にいる自分をじっと見つめる。目尻はやや赤いが、いつもと変わらないリーザがそこにいた。


「良かった」


 リーザはぽつりと呟き、それからあまりの底冷えに身体を震わせた。ふと窓の外を見れば木の葉に霜が降りていた。リーザは小さく首を傾げる。試しにはーっと息を吐いてみれば真っ白だ。


「どうりで寒いと思った……」


 今朝はずいぶんと冷える。腕をさすりながらベッドに戻り薄いシーツで身をくるんだ。それをずるずると引きずりながらクローゼットの中をあさったが、ドレスばかりが詰まっていて上着になりそうなものは一つもない。リーザは手のひらをこすり合わせた。


 今さらベッドに戻ることもできず、ひとまず椅子に腰かけた。読書でもしようかと思ったが机上にあるのは聖典だけだ。リーザは机にだらしなく突っ伏した。


「雪……はまだ降らないよね」


 冬になれば窓の外は一面銀世界だ。何もかも消え失せてしまったかのような、息を呑むほど美しい光景になる。ただあの寒さには敵わない――――皮膚が裂けるような季節はもうすぐそこだ。


 手持無沙汰のリーザは足をぶらぶらさせながら窓の外を見つめていた。時々手を握ったり開いたりするが指先は冷え切ったままだ。関節のあたりがズキズキと痛んだ。


「……もしかして魔力を流せば、身体も温もるかな」


 なんてことはない、ただの思い付きである。ほとんど暇つぶしのようなものリーザは歌でも歌うような心地でルーディア語を発する。甘いソプラノの詠唱が終われば部屋中に光の玉が現れた。ふよふよと浮かぶそれは柔らかな光を放っていた。


「やった、上手くできた」


 へにゃりと笑って立ち上がる。リーザの魔術は見た目の美しさばかりで何の役にも立たないがそれでよかった。リーザにとって魔術とはそういうものだった。


 ふと光の玉に手を伸ばした。逃げもしないそれを爪でツンとつつけば穴が開いて、あっけなく割れてしまった。「あっ」と声を出すがもう遅い。光は宙に溶け消えた。


 リーザは眉を下げ、腰を下ろした。

 ふーっと長いため息をつき、そしてたった一つの覚悟を決めた。







 昼頃、神殿に赴いたリーザはいつものように沐浴の間へと向かう。


 女官に囲まれてドレスを脱ぎ去り、代わりに白い布でできた簡素な服を身にまとった。ますます薄着になったリーザは一瞬身体を震わせるが、何でもないような顔で水面を見つめた。水面はそよ風に波立ち眩しいほどにキラキラと輝いていた。


「王女、お時間です」

「ええ」


 マレイから差し出される大杖を受け取りぎゅっと握りしめる。少しざらついた木の感触が心地よくほのかな温もりさえ感じた。


 急かすような視線を受けたリーザはふらりと一歩を踏み出した。二歩、三歩と続きついに右足が水に触れた。ちょんとつついてそろりと差し込む。爪先に鋭い痛みが走る。身体中の血が凍り付きそうなほど冷たい。それでもリーザは歯を食いしばり懸命に進んだ。


 中央までやってくると、大杖を抱きながらぼんやりと立ち尽くした。うっすらと紫がかった唇が神への祈りを短く紡ぐ。上を見上げれば抜けるほどの青空だ。


 昼の鐘が鳴り、儀式を終えたリーザは水から上がった。


 肌にべったりと張り付く服を脱ぎ捨て布で水滴をふき取った。それから元のドレスを身に着け、髪も結いなおした。背後でもぞもぞと手を動かしている彼女はメイほど器用ではないらしく何度も何度も髪を梳いていた。すっかり身支度を整えたリーザに、マレイが歩み寄った。


「王女、外までお送りいたします」


 先ほどまで女官たちに指示を飛ばしていたマレイだが、その表情にはどこか疲れが見える。リーザは眉をひそめた。


「見送りならいらないよ、マレイ。今日はちょっと寄るところがあるから……」


 さりげなく断ったつもりだ。しかしマレイは意にも介さず「でしたらそこまでご一緒します」と言う。リーザは苦笑いを浮かべた。


「マレイだって忙しいでしょうに」

「王女のお世話は仕事のうちですので、どうぞお気になさらず」


 リーザがそろそろと歩き出せばマレイはすぐ後ろをぴったりとついてきた。その様子はまるで雛鳥なのだがどちらかと言えば彼女は母代わりだ。なんだかおかしくて身体のどこかがむずむずとした。


 ちらりと振り返ればマレイは小首を傾げた。少したるんだ目元が次の言葉を待ってたから、リーザは笑みを浮かべた。


「いつもありがとう、マレイ。……でもたまにはちゃんと休んでね。マレイが働き者なのは知っているけど、心配になっちゃうから」


 マレイは少し驚いたように瞳を揺らしたがすぐに厳格な女官長の顔に戻った。それからばつが悪そうに俯き、母の表情をちらつかせ、かすかに口角を上げた。


「今夜はゆっくりと休ませていただきます」

「うん、そうして」


 リーザは満足げに頷いた。


「それはそうと王女、どちらへ向かわれているので?」


 この上の階、と短く答える。


「魔術師たちの部屋ですか。この時間ですと皆、ほとんど出払っていますよ」

「大丈夫よ、いるのは確認してあるから」

「……となると、ディラック様ですね」

「当たり。そんなことまで知っているんだ」

「女官長ですので」


 冗談でも言っているような口調なのににこりともしないのが彼女らしい。リーザはくすくすと笑ってしまった。その上マレイが不服そうな顔で「何かおかしなことでもありましたか」と聞くものだから、リーザはますます笑いが止まらない。


「いいえ、何にも!」


 ひとしきり笑ったあとで、リーザはぽつりと呟いた。


「私、これから負け戦をしに行くんだ」


 一瞬間が空いて、微妙な沈黙が生まれた。マレイはよくわからなかったのか「それは大変ですね」と当たり障りのない返事をした。それが面白くてやっぱり笑ってしまいそうになるがさすがのリーザも堪える。誤魔かすように横髪を指に巻き付け手遊びをした。


「マレイはそんなことしないよね、たぶん」


 冷え切った手を覆った。


「もちろん私だってしたくないよ。だってどうせ駄目だってわかってるのに、そんなの馬鹿みたいじゃない。……したくないけど、でも私はもうそうするしかないから、仕方ないの」


 リーザは虚空を見つめた。黙って相槌を打っていたマレイはふと足を止め、リーザもつられて立ち止まり彼女を見遣った。彼女は清々しく笑った。


「良いではありませんか、負け戦でも」


 思ってもいないような返事に「え」と驚きを零す。マレイは同じ言葉を繰り返した。


「人には、負けると分かっていても戦わなければならない時があるのです」


 きっとそれが今なのですよ、とマレイは付け加えた。いつもの清潔さは鳴りを潜めていたからリーザはあっけにとられてしまった。


「マレイはそうしたことがあるの?」

「私にも譲れないものがありますので」


 彼女の細い瞳が感傷に浸っていた。リーザは知りもしない彼女の半生に想いを馳せた。


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