第20話 誰かを呪った日
夜はエヴァを迎えた晩餐会だった。
食事をしながらの歓談────エヴァは相変わらずあの優美さで、控えめに笑みを浮かべては誰もの目と心を奪い取っていた。おかげで食事は至って穏やかな雰囲気のままに終わったが、リーザとしてはやはり違和感のようなものを感じて仕方がなかった。
彼女の美貌が恐ろしい、というのはもちろんのことだが、それはそれとしてエヴァの考えていることがよくわからないのだ。
“森の魔女”といえば世と人を疎んで閉じもこもった一族の当主である。そんなエヴァがあれほど友好的で立派な淑女だというのはイメージに反している。さすがに本人に聞くわけにもいかないから黙ってはいたが────。
晩餐会の後、公務に勤しんでいたリーザは一人廊下を歩いていた。食事でとれかけた口紅を気にするが真夜中の城内を歩く人はほとんどいない。リーザのそれは杞憂でしかなかった。ちょっとした虚しさに襲われつつぐっと伸びをした。
「疲れた……」
ぼやいてみるが返事はない。今日は楽な一日だったはずなのに身体が重い。今すぐにでもベッドに飛び込みたい気分だったが部屋はまだまだ遠い。薄暗い廊下はずっと奥まで続いていて先は見えない。リーザは何度目かのため息をついた。
「早く帰って、早く寝よう」
声に出しても答えてくれる人はいないので、「そうだ、そうだ」と自分に返事をした。やはり虚しくてリーザは苦笑してしまった。
「でも、どうしようっかなあ」
早く帰りたいのはやまやまだが、そうなると図書館の前を通らなければならない。彼と鉢合わせることはないにしろ微妙な気まずさがある。できることなら避けたいが逆方向から回り込めば時間がかかるのだ。リーザは目をつむった。
「寝たいんだけどなあ……」
呟きが静かな廊下に反響する。リーザはいろいろなものを天秤にかけて、結局は近道を選んだ。黙って通り過ぎればいいだけ――――横髪を耳にかけながら言い聞かせる。
気持ちが定まれば自然と速足になる。靴音を響かせながら廊下を突き進んだ。
次の角を曲がればもう図書館だ。冷静でいようとするのにそわそし始めた心が恨めしい。リーザは目を伏せたままさらに足を速めた。腕を大きく振りながら身体を回転させた。角を曲がる。顔は上げずになるべく急いだ。カツカツと靴音が鳴った。
何も考えずに通り過ぎようとしたがふと足を止めた。床に一筋の光が浮かび上がっていた。暗闇に慣れていた目が少し眩む。無意識のうちに光を辿って、それから後悔した。図書館の扉はほんの少し開いていて、中からは人の声が聞こえてきた。
「――――で、あれは――――」
「そう――――だが――――」
耳を澄ます。片方はアリスティドでもう片方は女性だろう。気づいて、リーザはとっさに気配を殺して視線を向けた。やめておけばいいのに、なんて止めてくれる人はいなかった。
そろりそろりと忍び足で近づき隙間から中を覗く。ランプの眩しさに目を細めながら声の主を探す。自分のどうしようもなさには辟易する。それでもそうせずにはいられない。
アリスティドは正面のテーブルに座っていた。夜だからか埃避けのマントは着けていない。右肘を突きながら何か話していた。視線は一点に注がれていて、その先をなぞればエヴァがいた。彼女は本棚を見上げて感嘆の表情を見せている。
「……っ」
リーザは口元を覆った。想像ならとっくにできていたけれど、目にしてしまえばそれなりに苦しいものがあった。早く離れたい。なのに足が動かない。矛盾に気づいていながらリーザはそのままでいた。傷つくと分かっているのに隙間から漏れる声に耳を傾けていた。
「……ディラック様、まだお時間よろしいのですか? もうだいぶん夜も更けましたよ」
「構わん。徹夜になら慣れている。好きなだけいればいい」
「でしたらお言葉に甘えて。……それにしても今夜は冷えますね。もうすぐ冬ですからしかたがありませんが、手がかじかみます」
エヴァが困ったように笑う。背表紙をなぞる彼女の指先は赤い。
アリスティドは椅子を引いて立ち上がった。上着を脱ぐと無言で彼女の肩にかけまた座る。エヴァは目を見開きすぐに微笑んだ。
「ありがとうございます」
「……明日にでも返せ」
「そうさせていただきます」
エヴァは上着を抱き寄せる。ドクン、と心臓が音を立てた。一瞬遅れて痛みと苦しさがやってきた。もう見ていられなくてリーザは目を逸らす。扉のすぐそばの壁にもたれかかってずるずると座り込んだ。コツン、と頭をぶつける。
「――――なんで」
疑問が暗闇に溶けていく。誰も答えをくれない。リーザは手のひらに爪を立てた。ギリギリ食い込んで傷を作った。リーザは一度だってあんな風にしてもらったことはなかった。
目元が熱をもつのがわかったけれど今更止められるようなものではない。
彼に優しくしてもらえるエヴァが羨ましかった。羨ましくて、本当はとても妬ましかった。羨望なんてとっくに掻き消えていた。だってエヴァは愛されている。例えばリーザが寒いと言ってみたところで彼はきっと「そんな薄着でいるからだ」と笑うのだ。
「う、う……」
ぽろぽろと零れる涙を乱暴に拭って、すすり泣きを噛み殺す。
もう分かっていた。これは嫉妬だ。リーザはエヴァに嫉妬しているのだ。始めて抱く他人への悪意はこんなにも惨めで虚しい。リーザは髪をかき乱した。
「こんなの、知りたくなかった」
祈るように指を組む。
「知りたくなかったのに……!」
何粒もの涙が頬を伝って、唇に触れる。
妬みなんて知らないまま、ずっと美しいだけの恋をしていたかった。ただ好きでいられればそれでよかった。恋をすることは幸せなことだと信じていた。でも本当は、恋しく思えば思うほど誰かを呪わずにはいられない。そしてそんなことを願ってしまう自分が何より許せなかった。
いまだ二人の声が聞こえている。何を話しているかは分からない。時々笑い声が響く。リーザはうずくまったまま嫉妬と自己嫌悪で満ちているの自分の心を慰めていた。そんなことすらどうしようもなく惨めだと思った。
リーザの四年間は、たった一瞬で奪われたのだ。




