↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
血を吸わない者  作者: ぎんか
第一部 覚醒編
PR
6/29

第6話 冥沢郷

 山道を抜けた途端、木々の向こうに家々が見えた。


 瓦屋根の古い家が、谷間に沿っていくつも並んでいる。石畳の細い道、井戸端で立ち話をする老女、軒先に吊るされた干し柿。それは蓮が想像していたような、おどろおどろしい異界ではなかった。ただの、少し時代から取り残されたような山村の風景だった。


「……ここが?」

「冥沢郷(めいたくごう)だ」


 男はそう言って、集落の入り口に立つ古い鳥居のようなものをくぐった。蓮と柚葉も、後に続いた。


 道を歩くと、すれ違う人々の視線が、こちらに集まるのが分かった。露骨に見るわけではないが、明らかに意識されている。特に柚葉に対する視線は、好奇心とも警戒ともつかない色を帯びている。


「人間を連れてくるなんて、珍しいこと」


 通りすがりの老女が、小さく呟くのが聞こえてきた。悪意よりは驚きを感じさせる声音だった。

 男は集落の奥にある、少し大きな屋敷の前で足を止めた。


「ここで待っていろ。話をつけてくる」


 男が屋敷の中に消えると、蓮と柚葉は縁側のようなところに腰掛けて待った。


「思ったより普通だな」

「うん。もっとこう、お城みたいなところを想像してた」


 柚葉が周囲を見回しながら言った。蓮も同じことを思っていた。テレビや映画で見るような、豪奢で不気味な吸血鬼の世界とは、まるで違っていた。


 しばらくして、男が屋敷から出てきた。後ろに白髪の老人を伴っている。


「この方が、郷の長老の一人だ」


 老人は、蓮の顔をじっと見た。値踏みするような視線だった。


「黒瀬灰斗の息子か」

「はい」

「血が飲めないと聞いたが」


 単刀直入な問いだった。蓮は一瞬、答えに詰まった。


「……はい。一度も飲んだことがありません」


 老人は眉根を寄せた。何かを考え込むように、しばらく黙っていた。


「珍しいな」


 その一言に、蓮は少しだけ身構えた。


「珍しい、ですか」

「いや」


 老人は言い直した。


「珍しいというより――聞いたことがない」


 その言葉に、蓮は身構えた。珍しいのではなく、聞いたことがない。それは、前例すらないということだった。


「教えてもらえませんか。血の吸い方を」


 蓮は思い切って聞いた。老人は、蓮の顔をもう一度じっと見た。


「教えて身につくものではない。血を吸うのは、教わることではなく、自然に発現するものだ」

「発現しないから、困ってるんです」


 老人はしばらく黙っていた。蓮の頭の中をのぞき込むかのように見つめてきた。それから、静かに首を振った。


「無理に吸おうとしないほうがいい」

「なんでですか」

「……お前さんを見ていると、妙な気がするだけだ。うまく言えんが」

「妙って、どういうことですか」

「分からん。分かっていたら、こんな言い方はしない」


 老人はそう言うと、それ以上は何も語ろうとしなかった。その言い方は、蓮を納得させるものではなかった。老人はそのまま屋敷の中へ戻っていった。

 案内の男が、少し気の毒そうな顔で蓮を見た。


「他にも、話を聞ける者を当たってみよう」


 それから半日、蓮たちは郷の中を回った。何人もの吸血鬼に会い、同じような質問を繰り返した。答えは、どれも似たようなものだった。


「血が吸えない半吸血鬼?聞いたことがないな」

「無理に吸おうとするものじゃない。時が来れば自然とできる」

「お前さんの場合は……ちょっと分からないな」


 誰に聞いても、明確な答えは返ってこなかった。そもそも、同じような事例が記録に残っていないらしい。


「変だな。こういうことは、普通なら書き記してあるはずなんだが」


 一人の老人がそう呟いたのを、蓮は聞き逃さなかった。


「記録が、ないんですか」

「……あるはずなんだがな」


 老人はそれ以上言わず、話を切り上げてしまった。その曖昧さが、かえって蓮を不安にさせた。

 

 柚葉がスマートフォンを取り出し、画面を確認して小さく声を上げた。


「……圏外だ」

「やっぱり?」

「うん。帰ったら連絡しないと」


 柚葉はそう言って、スマートフォンをポケットにしまった。家々の窓からは電灯の明かりが漏れ、どこかで発電機らしき低い唸りが響いている。異界というより、山奥で電気だけを自前で賄っている集落、という感じだ。

 見た目はどこにでもある日本の山村なのに、電波だけは一切届かない。その事実が、この場所の異質さを静かに物語っていた。

 広場を歩いていると、一人の老女がすれ違いざま、柚葉をじっと見つめる。


「……やっぱり、珍しいのかな」


 老女が行き過ぎてから、柚葉がぽつりと呟いた。


「何が?」

「私」

「まあ、珍しいんじゃない?蓮は平気そうだけど」

「俺は吸血鬼だからな」

「私は人間だけど、別に怖くないよ」


 柚葉はあっさりと言った。その口調には、気負いも強がりもなかった。ただ、事実を述べているだけのようだった。 

 こういうところが、すごいと蓮は思う。自分なら、きっと怖がってしまう場面なのに。

 ただ、柚葉の手が、さっきから蓮の服の裾を軽くつまんでいることには、蓮は気づいていなかった。


 夕方近く、蓮たちは郷の広場のような場所にいた。柚葉は少し疲れた様子で、石段に腰を下ろしていた。


「誰も、はっきり教えてくれないね」

「ああ」

「みんな、なんか避けてる感じもする」


 柚葉の言う通りだった。表面上は親切に応じてくれるものの、話が核心に近づくと、誰もが微妙に言葉を濁す。それが偶然なのか、意図的なものなのか、蓮には判断がつかなかった。

 広場の隅で、蓮はふと、地面にうずくまる小さな影に気づいた。


「……猫?」


 痩せた野良猫が、脇腹をかばうようにうずくまっていた。近づいてみると、脇腹の毛が血で汚れている。何かに引っかかれたか、噛まれたような傷だった。


「大丈夫かな、これ」


 柚葉が心配そうに覗き込んだ。猫は弱々しく鳴くだけで、逃げる元気もないようだった。

 蓮は、なぜかその猫から目が離せなかった。理由は分からない。放っておけないという気持ちだけが、強く胸の中に湧き上がってきた。


「……ちょっと、様子見てみる」

「大丈夫?引っかかれるかもよ」

「平気だと思う」


 蓮はゆっくりと手を伸ばし、猫の脇腹にそっと触れた。

 その瞬間だった。

 指先から、何かが吸い出されるような感覚があった。同時に、猫の体がびくりと震えた。

 蓮の胸の奥に、ずしりと重いものが残った。あの夜、父に触れたときと同じ感覚だった。


「……今の、何?」


 柚葉が、驚いた顔で蓮を見た。


「分かんない」


 猫はゆっくりと立ち上がった。さっきまで苦しそうだった呼吸も、少し落ち着いている。


「……楽になったのかな」

「分かんない。俺にも」


 蓮自身にも、何が起きたのか分からなかった。傷口も、さっきと変わっているような、変わっていないような、はっきりしない見え方だった。猫はそのまま、ゆっくりとその場を離れていった。


「蓮、今、猫に何かしたよね」

「したっていうか……勝手に、何かが起きた」


 蓮は自分の手のひらを見た。何も変わったところはない。それなのに、確かに何かが、自分の中から抜けていったような感覚があった。

 その様子を、少し離れたところから見ていた者がいた。

 郷の住人らしい若い男が、木の陰から、じっとこちらを見つめていた。蓮がその視線に気づいたときには、男はすでに背を向けて歩き去っていた。


「あの人、見てたよね」

「ああ」


 蓮の胸に、不安が広がった。あの男は何を見たのだろう。


 案内の男が、戻ってきた。


「今日はここまでにしよう。宿を用意してある」

「もう少し、探せないですか」

「暗くなる前に休んだほうがいい。続きは明日だ」


 有無を言わせない口調だった。蓮は仕方なく頷いた。

 宿へ向かう道すがら、蓮はさっきの猫のことを、男に話すべきかどうか迷っていた。話せば、何か分かるかもしれない。けれど、あの視線を思い出すと、迂闊に口にしてはいけない気もする。

 結局、蓮は何も言わなかった。


 その夜、あてがわれた古い部屋の布団の中で、蓮は天井を見つめていた。

 猫に触れた瞬間の感覚が、まだ指先に残っている。

 自分には、何かがある。それが何なのか、父を救える力になり得るのかどうかは、依然として闇の中だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。