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血を吸わない者  作者: ぎんか
第一部 覚醒編
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第4話 吸い方が分からない

 日曜日の朝、玄関のチャイムが鳴った。

 蓮が出ると、そこに立っていたのは柚葉だった。


「なんでいるんだよ」

「なんでって、昨日の話でしょ」


 柚葉は当然のように言って、勝手に靴を脱ぎ始めた。蓮は慌てて止めようとしたが、柚葉はもう玄関に上がり込んでいた。

 休日の柚葉を見るのは、なんだか新鮮だった。いつもの制服とは違う、動きやすそうな私服姿。見慣れているはずなのに、一瞬だけ目を離せなくなった。蓮は、そんな自分を不思議に思う間もなく、柚葉の表情がいつもより少し硬いことに気づいた。


「……昨日から、ずっと考えてたのか?」

「うん」

「怖くないのかよ」

「怖いよ」


 あっさり答えられて、蓮は逆に言葉を失った。


「でも、蓮のお父さんが大変なんでしょ」


 柚葉はそれだけ言った。


「ちょっと待てよ、本気だったのかよ」

「本気に決まってるじゃん」


 柚葉はまっすぐに蓮を見た。その目には、いつもの茶化すような色がない。


「蓮のお父さん、大変なんでしょ。私にできることがあるなら、やる。それだけ」


 蓮は言葉に詰まった。柚葉がこうなると、何を言っても無駄だということを、長い付き合いの中で知っていた。


 リビングに柚葉を通すと、ちょうど沙奈が台所から出てきた。


「あら、柚葉ちゃん。いらっしゃい」

「おじゃまします。……あの、蓮のお父さんのことで」


 柚葉がそう切り出すと、沙奈の表情が曇った。


「蓮から聞いたの?」

「はい。力が必要なんですよね。だったら、私の血を」

「柚葉ちゃん」


 沙奈が遮るように言った。優しいが、有無を言わせない声だった。


「気持ちは嬉しいわ。でも、そんなに単純な話じゃないの」

「単純じゃなくても、試してみないと分からないじゃないですか」


 柚葉は引かなかった。沙奈は少しの間、柚葉の顔を見つめていたが、やがて短いため息をついた。


「……蓮、リビングで話してきなさい。私は台所にいるから」


 それだけ言って、沙奈は台所へ戻っていった。

 二人でソファに座ると、柚葉は自分の手首をこちらに向けた。


「はい」

「はい、じゃないだろ」

「早くしないと、決心が鈍るから」


 柚葉は本気で言っているようだった。蓮はその手首を見て、それから柚葉の顔を見た。柚葉は目を逸らさなかった。


「……本当に、いいのかよ」

「いいって言ってるじゃん。何回聞くの」


 蓮は深呼吸をした。手のひらに、じんわりと汗がにじむ。

 柚葉の手首が、目の前にある。

 こんなに近くで見ることなんて、今までなかった。細い手首。その下で、脈が規則正しく動いている。


「……なんか、変な感じだな」

「何が?」

「お前の血を飲むって考えると」

「私は別に変じゃないけど」

「俺が変なんだよ」


 蓮は苦笑した。

 吸血鬼なのに血が怖い。

 ずっと、自分はそういうものだと思っていた。けれど、父を助けるために必要だと言われると、その「できない」が急に重く感じる。

 どうすればいいのか、まったく分からない。牙は生えていない。吸血鬼が血を吸うところなど、実際に見たこともなかった。


「……どうやるんだ、これ」

「え」

「だから、どうやって吸うんだよ」


 柚葉は目を丸くした。


「知らないの?」

「知るわけないだろ。父さんはコップで飲んでるし、俺、人の血を吸ったことなんて一回もない」

「……そっか。そうだよね」


 柚葉は少し考えてから、自分の手首をまじまじと見つめた。


「テレビとかだと、こう、がぶっと噛みついて」

「牙ないんだけど」

「あ、そうか」


 柚葉は困ったように笑った。深刻な空気だったはずなのに、その笑いにつられて、蓮も少しだけ緊張が緩む。


「じゃあ、口つけるだけでいいんじゃない?」

「それで、力になるのか?」

「知らないよ、そんなの」


 二人でしばらく黙り込んだ。柚葉は手首を差し出したまま、蓮はそれを見つめたまま、時間だけが過ぎていく。


「……やっぱ、無理そう?」

「分かんない」


 蓮は柚葉の手首に、恐る恐る顔を近づけた。皮膚の下に血管が透けて見える。心臓が、自分のものなのか柚葉のものなのか分からないくらい、大きく脈打っていた。

 唇が触れる寸前で、蓮は動けなくなった。

 目の前に、赤いものが透けて見える。それだけで、頭の芯がぐらりと揺れた。


「……ごめん」


 蓮は顔を離した。


「無理だ」

「え」

「見ただけで、目が回る」


 情けない話だったが、本当のことだった。柚葉の手首から視線を外しても、まだくらくらしている。


「マジで?」

「マジで」


 柚葉は手首を引っ込めて、まじまじと蓮の顔を見た。


「顔、真っ青だよ」

「うるさい」

「無理しなくていいのに」

「無理してるわけじゃない。本当に、できないんだ」

「……じゃあ、今日はやめとく?」

「今日は、っていうか……たぶん、ずっと無理だと思う」

「なんで分かるの?」

「分かるよ。十五年できなかったんだから」


 言ってから、蓮は少しだけ後悔した。


「ごめん」

「なんで謝るの?」


 柚葉は首を傾げた。


「私、蓮に血を飲んでほしいわけじゃないよ。お父さんを助ける方法になるならって思っただけだから」


 蓮は俯いた。柚葉がどれだけ力を貸そうとしてくれても、自分にはそれを受け取ることすらできない。


「……やっぱり、俺には無理なんだよ」

「そんなことないでしょ」


 柚葉はきっぱりと言った。


「今、やり方が分からなかっただけじゃん。無理って決めるの、早すぎ」

「じゃあどうすればいいんだよ」

「知らないけど」


 柚葉はあっさりと言って、それから少し考えるように顎に手を当てた。


「誰かに聞けばいいんじゃない?ちゃんとした吸血鬼に」

「ちゃんとした吸血鬼って、誰だよ」

「蓮のお父さんの、そのまた知り合いとか」

「知り合いか…父さんに、聞いてみるか」


 台所の方から、沙奈がこちらの様子を窺っている気配がした。蓮が振り返ると、沙奈はさっと視線を逸らした。


「母さん、聞こえてた?」

「……少しだけ」


 沙奈はためらいがちに、リビングに戻ってきた。


「柚葉ちゃん、ありがとう。気持ちは本当に嬉しいわ」

「でも駄目でした」

「そうね。……たぶん、そういう問題じゃないと思う」


 沙奈の言い方に、引っかかりを覚えた。


「そういう問題じゃないって、どういう意味だよ」

「蓮に必要なのは、誰かの血を分けてもらうことじゃないの。……うまく言えないけど」


 沙奈はそこで言葉を切り、何かを確かめるように蓮の顔をじっと見た。


「母さん、それ、どういう」

「ごめんなさい、今の忘れて」


 沙奈は慌てたように首を振り、何かから逃げるように台所に戻っていった。 

 蓮は、土曜の朝に母が慌てて隠していたものを思い出した。本だったのか、書類だったのか、はっきりとは分からない。けれど、あれも、今の母の態度と同じ種類のものだった。


(母さんは、何を隠してるんだ)


 柚葉が、小声で聞いてきた。


「お母さん、なんか知ってそうだね」

「みんな、何か知ってそうなんだよ。俺以外」


 その言葉には、思っていた以上に苛立ちが滲んでいた。柚葉はそれを咎めるでもなく、ただ隣に座り直した。


「じゃあ、聞き出そうよ」

「無理だって。父さんも母さんも、絶対に教えてくれない」

「本人に聞いて駄目なら、他を当たればいいじゃん」


 柚葉は、あっけらかんと言った。


「蓮のお父さんの知り合いとか、蓮の知らない親戚とか。どこかに、教えてくれる人がいるかもしれないし」


 蓮は苦笑いした。


「……お前がいると、なんか、できる気がしてくるから困る」

「褒めてる?」

「さあ」


 蓮はソファに深く沈み込んだ。血は吸えなかった。父を助ける方法も、まだ見えない。それでも、今度は誰かに聞いてみようと思った。

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