第28話 回収の後で
ゼンとの一件から、二週間が過ぎた。目立った動きは郷からもなく、蓮の日常は、表面上はいつも通りに戻っていた。灰斗の店の手伝いをし、学校に通い、柚葉と一緒に帰る。ただ、蓮の中には片付いていないことが一つ残っていた。
ある夜、蓮は自室で禁書の写しを開いていた。亙の記録の最後のページ――力を使い続けるうちに、少しずつ歪んでいき、最後には異端者として裁かれた男。その記述を読むたびに、蓮の頭には、いつも同じ人物が浮かんだ。
柚葉だった。
柚葉を助けようとして、何も知らないまま力を使ったとき、蓮は自分の一部を柚葉の中に残してしまっていた。あのときから、蓮はずっと、それをどうするべきか考え続けていた。
放っておくべきではない。それだけは、はっきりしている。
だが、回収するという行為自体が、また別の形で柚葉に介入することにならないか――その恐れも消えなかった。力任せに引き抜けば、支配型と同じことをしてしまう。柚葉の意思を無視して、また何かを一方的に変えてしまうことになる。
翌日の放課後、蓮は柚葉を河川敷に誘った。
「話したいことがある」
「……何」
柚葉は、蓮の表情から何かを察したように少し身構えた。
「柚葉の中に残ってるもの、取り出せるかもしれない」
「……取り出す?」
「相手を助けるやり方は何通りかあって、自分だけが全部引き受けて、相手には何も残さないやり方がある。今回は、それでやる」
柚葉は川の流れを見つめた。しばらく何も言わなかった。
「蓮の体は、大丈夫なの」
なんと返事すべきかわからず、黙っていた。
「灰斗さんに使ったとき、倒れそうになってたでしょ。見てたんだから。それを、また今度は私に」
「平気だ」
「平気なわけないでしょ。無理してるの、いつも顔に出てるんだから」
柚葉の声が、少し尖った。
「今度は、私のために無理するってことでしょ」
すぐには答えられなかった。
「……そうだよ」
「怖くない?」
「怖い」
正直に答えた。
「自分がどこまで持つのか分からない、というのが本音だ。消したあと、柚葉の気持ちが変わるかもしれないのも、怖い」
「だったら、やらなくてもいいじゃない!」
「でも、このままにはしておけない。俺の一部を柚葉の中に残したままなんて、俺には耐えられない」
柚葉は、蓮の顔をじっと見た。それから、軽く頷いた。
「……分かった。でも、辛いと思ったら、すぐやめて」
「約束する」
蓮は、柚葉の手を取った。
指先から、いつもの重い感覚が伝わってくる。今回は、引き出す方向だった。柚葉の中に残っていた何か――蓮自身の欠片のようなもの――が、少しずつ、こちらへ戻ってくる感覚があった。
同時に、体の奥が、鉛のように重くなっていく。
蓮は、歯を食いしばった。柚葉の中に残っていたものは、思っていたより、深く根を張っていたのかもしれない。
どれくらい経っただろうか。ようやく、その重い感覚が、蓮の中で静かに収まった。
蓮は、額に汗を浮かべたまま、息をついた。
「……終わった」
「大丈夫?」
柚葉が、隣から顔を覗き込んだ。
「平気。ちょっと、疲れただけ」
蓮は、荒い息のまま、柚葉の顔を見た。
「柚葉、今、どう感じる」
柚葉は、自分の胸に手を当てた。しばらく、目を閉じて、何かを確かめるようにしていた。
「……分からない」
「……そうか」
「何かが軽くなった気はする。でも、それが、蓮の一部が消えたからなのか、それとも、ずっと引っかかってたものが今日はっきりしたからなのか、区別がつかない」
柚葉は、目を開けて、蓮を見た。
「それに、正直、もう気にしてない」
「……え?」
「蓮の一部が残っててもいなくても、今、私が蓮のことをどう思ってるかは、変わらない気がする。それが本物かどうかなんて、多分、これから先もずっと、完全には確かめられないんだと思う」
柚葉は、川の方に視線を戻した。
「だったら、確かめようとするより、信じる方を選ぶ。私は、そうする」
蓮は、何も言えなかった。
しばらく二人で黙って座っていると、柚葉が、ふと蓮の手を見た。まだ小刻みに震えている手を、両手でそっと包み込む。
「……冷たい」
「力、使った後は、いつもこうなる」
「じゃあ、しばらくこのままでいい?」
柚葉は、そう言って、微笑んだ。
夕暮れの川面が、橙色に染まっていた。
柚葉は手を離さなかった。蓮も、離してくれとは言わなかった。




