第29話 選ぶということ
柚葉から力を回収してから、三ヶ月が経った。季節は冬に差しかかり、蓮の通学路にも、乾いた木枯らしが吹くようになっていた。
郷からの使いは、あの日以来、一度も来ていない。ゼンからも便りはなかった。終わったわけではないのだろう。嵐の前の静けさなのか、本当に潮目が変わったのか、蓮にも灰斗にも分からなかった。でも、店のベルは毎日同じ音で鳴り、いつもと同じに時間は過ぎて行く。
あれから、蓮は力を使うとき必ず相手に確認するようになった。困っている人間を見つけても、すぐには手を伸ばさない。「治すこともできるけど、どうする?」と、まず尋ねる。断られれば、それ以上は何もしない。それが柚葉との一件から蓮が学んだ最低限のルールだった。ただし、確認したあとの引き受け方までは、変わっていなかった。
ある夕方、灰斗の店の手伝いをしていたとき、灰斗が棚の整理中に指先を紙の角で切った。小さな傷だった。血も、ほんの一滴。
蓮は、その一滴から目を逸らしかけて、すぐに指先へ視線を戻した。そして反射的に尋ねた。
「治すか?」
「いや、いい」
灰斗は切った指を軽く振った。
「このくらい、放っといても治る」
「……分かった」
蓮はそれ以上は何も言わなかった。相手が要らないと言えば、それで終わりだ。
棚に手を伸ばす灰斗の背中は、倒れた夜のそれより、少しだけ広く見えた。
その灰斗が、ふと真顔になって振り返った。
「最近、お前が誰かに力を使うとき、必ず自分だけで背負おうとしているのが気になっている」
「……別に、それでいいだろ」
「よくない」
灰斗の声は静かだったが、はっきりしていた。
「相手に確認するようになったのは、いいことだ。だが、負担の引き受け方まで、お前が一人で決めていいことにはならない」
「どういうことだよ」
「効率型を使えば、お前の負担は減る。相手にも多少は残る。だが、その相手が『それでもいい、一緒に引き受ける』と言うなら――それも相手が選んだことだ。お前が勝手に全部一人で背負うと決めつけることが、本当に相手の意思を尊重していることになるのか」
言葉に詰まった。
「……じゃあ、どうする?」
その問いに灰斗はすぐには答えなかった。静かに蓮を見ていた。
「俺にも正解は分からない。それを決めるのはお前だ」
その夜、蓮は柚葉と電話で話していた。灰斗に言われたことを、そのまま伝えた。
「……自分で全部背負うのって駄目なのかな」
「駄目じゃないと思うけど」
柚葉の声は、いつも通り軽かった。
「でも、それも結局、蓮が一人で決めてることでしょ」
「……そうか、そうなるのか」
「一緒に考えればいいじゃん」
「……は?」
「誰かを助けるとき、どうやって引き受けるか。蓮だけで決めなくても、その都度、相手と話せばいいんじゃない。私とだったら私と。他の人とだったら、その人と」
蓮は電話越しに、しばらく黙っていた。
「それ、めちゃくちゃ面倒くさくないか」
「面倒くさいよ。でも、蓮が一人で抱えて、いつか潰れるよりはいい」
柚葉は、あっさりとそう言った。
「蓮は、いつもそうやって、自分一人で決めて、自分一人で背負おうとする。力のことだけじゃなくて」
その指摘は、蓮の胸にまっすぐ刺さった。反論できなかった。
電話を切ったあと、蓮は自室の天井を見上げた。灰斗の言葉と柚葉の言葉が、頭の中で重なっていた。
もう、一人だけで決めて、一人だけで背負おうとは、しない。
翌週の放課後、蓮はいつもの通学路を歩いていた。前を歩いていた見知らぬ女性が段差に足を取られてよろめいた。手をついた拍子に手首をひねったらしい。顔をしかめて、その場にしゃがみ込む。
以前の蓮なら迷わず駆け寄って力を使うか、あるいは怖くて目を逸らすか、どちらかだった。
今は違う。
蓮は女性のそばに膝をついた。
「大丈夫ですか? ……痛み、少し和らげられるかもしれません。触ってみても?」
女性は驚いた顔で蓮を見た。それから、痛みに顔をしかめながら頷いた。
「……お願い、していい?」
「はい」
「やり方が二つあります。俺が全部引き受けて、あなたには何も残さないやり方と、少しだけ負担を分けてもらうやり方です」
女性は戸惑った顔をしたが、手首を押さえたまま、少し考えた。
「……何も残らない方で。お願いします」
「はい」
蓮は、女性の手首に指を添えた。重い感覚が指先から腕へ上がってくる。
女性が手首を回して、「あ、本当だ」と笑った。
「お大事に」
蓮は、重くなった腕をだらりと下ろして、それだけ言った。
ポケットのスマートフォンが震えた。柚葉からだった。
〈今日、帰りにコンビニ寄ろ。肉まん食べたい〉
蓮は、まだ重い指で返信を打った。
〈いいよ。俺が奢る〉
-完-
『血が苦手な吸血鬼の話』は、これにて最終話です。
「誰かを助けたい」という気持ちは、きれいなものです。でも、その優しさが相手の意思を置き去りにしたとき、助けは別のものに変わってしまう。蓮という少年を通して、そんなことを書きたいと思っていました。
答えを出し切らない終わり方になりましたが、蓮と柚葉は、これからも「一緒に決める」ことを続けていくのだと思います。
最後まで読んでくださった皆さまに、心から感謝します。
またどこかで、お会いできますように。




