第21話 人を癒やす力
◇◇◇
――その男は、人を癒やす力を持っていた。
名を、亙といった。冥沢郷の外れ、川沿いの小さな家に、年老いた祖母と二人で暮らしていた。血を飲むことを好まず、それでも郷の役に立ちたいと願う青年だった。
亙が初めて自分の力に気づいたのは、幼い頃、祖母が高熱を出したときだった。何もできず、ただ祖母の手を握っていた亙は、自分の中の何かが、祖母の苦しみに向かって流れ出すのを感じた。翌朝、祖母の熱は嘘のように引いていた。
それから亙は、郷の中で困っている者があれば、迷わず手を差し伸べるようになった。
ある日、木から落ちて腕を折った幼い少女が、泣きながら亙のもとへ運ばれてきた。
「この傷なら、治せる」
亙はそう言って、少女の傷ついた腕にそっと触れた。少女は目を閉じ、痛みに耐えるように顔をしかめていたが、しばらくすると、その表情が緩んでいった。腫れが引き、傷が塞がっていく。少女はおそるおそる腕を動かし、それから、ぱっと顔を輝かせた。
「動く!痛くない!」
「よかった」
少女は満面の笑みで、亙に抱きついた。
「ありがとう、ありがとう!」
少女は何度も礼を言った。亙は、はにかみながら、少女の頭をそっと撫でた。
老いた猟師の傷を癒やし、流行り病に伏せる子供の熱を取り、足を痛めた娘が再び歩けるようにした。誰も、彼の力の正体を深くは知らなかった。ただ、困ったときに頼れば必ず応じてくれる、心優しい若者として、郷の誰からも慕われていた。
「亙のおかげで助かった」
そう言われるたび、亙は少し照れたように笑って、頭を下げた。
「大したことじゃありません。俺にできることが、たまたまあっただけです」
力を使うたび、熱を少し奪われたように体の芯が冷える。相手の苦しみが自分の中に流れ込み、代わりに自分の何かが向こうへ流れていく。それが何なのか、亙には分からなかった。
それでも、困っている人を放っておけない。
――目の前の誰かが笑顔になるなら、少しくらい、自分の何かが減ったって構わない
亙は、本気でそう思っていた。
やがて郷の外れの小さな家には、助けを求める人々が絶えず訪れるようになった。亙は、そのすべてに応え続けた。誰かを癒やすたびに感じる、あのかすかな寒さのことは、次第に気にならなくなっていった。
それから幾月も経った、ある夜のこと。
亙は自室で横になったまま、朝から晩まで人を癒やし続けた一日の疲れを、なかなか拭えずにいた。目を閉じても、眠りは訪れない。
――このまま、続けられるのだろうか。
そんな考えが初めて頭をよぎった。
助けを求める者は、日を追うごとに増えている。断ることは、亙にはできなかった。困っている誰かを前にして、力を出し惜しみするなど、考えたこともなかった。とはいえ、体の奥に積もっていく冷たさに、確実に辛さを感じるようになっていた。
そんなある日、郷の長老の一人が、亙のもとを訪れた。長く患っていた足の痛みを、どうにかしてほしいという頼みだった。亙はいつものように、痛みを引き受けた。
その夜、亙は高熱を出した。動けないほどの寒気に、一晩中震え続けた。祖母が心配して、何度も様子を見に来た。
「お前、無理をしすぎだよ」
「大丈夫です、これくらい」
そう答えながらも、亙の胸の中には、初めての疑問が芽生えていた。
――俺が助けるたびに、俺だけが削られていく。これは、本当に正しいことなのだろうか。でも、誰も助けなければ、誰も俺を頼らなくなる。それは、それで怖い。
数日後、また一人、若い男が骨折の治療を求めてやってきた。亙が触れようとしたとき、ふと、こんな考えが浮かんだ。
今までのやり方は、相手の苦しみをそっくりそのまま自分が引き受ける方法だった。それなら逆に、相手の中にある「治ろうとする力」そのものを、外から強く引っ張り出してやればいいのではないか。そうすれば、自分が丸ごと肩代わりする必要はなくなる。
試してみると、たしかに効果はあった。体の芯に、冷たさが残る感じは、これまでよりずっと弱くなった。傷の治りも、変わらず早い。
骨折を治療された男は、少し眉間を寄せて自分の腕を見つめていた。
亙はその様子が気になり聞いてみた。
「……もう、痛みはないですか」
「ええ。もう大丈夫です」
男は何か言いたげに口を開きかけたが、そのまま礼だけを言って帰っていった。
これはいい方法を見つけた、と亙は思った。誰も傷つかない。それどころか、これまでより多くの人を助けられる。
男の反応は気になったが、痛みがなくなったのなら、それでいいのだろう。
亙はそう考え、次の人の治療に取りかかった。
一方で、骨折を治療された男は、自分の体が少し自分のものでなくなったような感覚に悩まされるようになった。痛みはない。傷も塞がっている。それなのに、体の奥に、誰かに触られた跡のような、拭えない違和感が残っていた。眠っていても、ふと体の内側がざわつくことがあった。
男自身、それが何なのか説明できなかった。ただ、亙の顔を見ると、その違和感が強くなる気がした。数日後、街ですれ違ったとき、男は亙を避けるように道を逸れた。
亙はそれに気づかなかった。あるいは、気づかないふりをした。
「相手のためを思ってやったことだ」
亙は自分にそう言い聞かせた。結果として傷は治ったのだから、これでよかったのだと。骨は繋がり、痛みは消えた。それ以上、何を望むというのか。
亙は、この新しい方法について、誰にも話さなかった。
次に助けを求める誰かが来たとき、亙は迷わず、同じ方法を使い続けた。今までと同じように傷は治る。それなら、やり方の違いをいちいち説明する必要もない。だから亙は、相手に選ばせなかった。
断られることのない笑顔で、次々と人々の痛みに触れていった。郷の人々からの信頼は、いっそう厚くなった。




