第18話 標的にされる家族
放課後、柚葉は駅前の商店街を歩いていた。
蓮からは、一通り話を聞いた。郷の人間が動き出したこと。しばらくは用心してほしいこと。ただ、蓮は「何か分かったらすぐ連絡する。それまでは、いつも通りにしていてくれ」とも言った。急に学校を休んだり、人を避けたりすれば、かえって目立つ。そう言われて、柚葉は頷いた。
蓮から連絡があるまで、いつも通りに過ごすつもりだった。
今日は残り少なくなってきたルーズリーフとバインダーを買おうと思い、商店街の端にある馴染みの文具店に向かっていた。
「柚葉さんですよね」
声をかけられたのは、人通りの少ない路地に差し掛かった時だった。振り返ると、見覚えのない男が立っていた。歳の頃は三十代半ばだろうか。カジュアルな格好をしていて、細身であること以外は、特に特徴のない人だった。表情はにこやかだが、目だけが笑っていない。
どこであった人だろう、と思いながら立ち止まった。
「……どなたですか」
「あなた、黒瀬蓮の力を受けていますね」
心臓が止まりそうになった。柚葉はとっさに後ずさる。
「誰のことですか?よくわからないです、すみません」
「隠さなくても大丈夫です。私は、ただ、確認しに来ただけなので」
男は一歩踏み出した。
「郷を捨てた男の息子が、今度は人間に力を分け与えている。それがどういうことか、あなたにも分かりますよね」
柚葉は答えなかった。答える代わりに、踵を返して走り出した。背後で男の声がした。
「逃げても無駄ですよ。私たちはもう、あなたを含めた皆さんの生活範囲を把握しています」
角を曲がるたびに、柚葉は後ろを振り返った。追ってくる足音はない。それでも足を緩められなかった。商店街を抜け、人の多い駅前ロータリーに飛び込んでようやく、柚葉は足を止めた。息が上がっていた。
人混みに紛れると、少しだけ体の力が抜けた。ここまで来れば、大丈夫のはず。
けれど、男の声が耳の奥に貼りついて離れなかった。
――皆さんの生活範囲を把握しています。
それは、今日逃げ切れば終わる話ではないという意味だった。明日も、明後日も、ここで暮らしている限り、この人混みの中に、同じ目をした誰かが紛れているかもしれない。
スマートフォンを取り出し、蓮の連絡先を表示したまま、柚葉はしばらく指を動かせずにいた。蓮に知らせれば、蓮はきっとすぐに来る。でも、それでいいのか。自分のことで、また蓮を巻き込むことにならないか。
――迷っている場合じゃない。
震える指で、通話ボタンを押した。呼び出し音が二回鳴っただけで、蓮が出た。
「柚葉?どうした?」
「……蓮」
柚葉の声は掠れていた。
「知らない男に声をかけられた。私のことを知ってた。蓮のことも……」
電話の向こうで、蓮が息を呑む気配がした。
「今どこにいる」
「駅前。でも、もう男の姿は見えない」
「動くな。今からそっちに行く」
通話が切れた。柚葉はロータリーのベンチに座り込み、膝の上でスマートフォンを握りしめたまま、蓮が来るのを待った。十分もしないうちに、息を切らした蓮が改札口から走ってくるのが見えた。その姿を見た瞬間、張り詰めていたものが緩んだ。
「柚葉!」
「……早かったね」
柚葉が力なく笑うと、蓮は何も言わずに隣に座り、肩に手を置いた。その手が微かに震えていることに、柚葉は気づいた。
「男は、何て言ってた」
柚葉は路地での出来事を、一つずつ話した。話し終えると、蓮はしばらく黙っていた。
「ごめん」
「なんで蓮が謝るの?」
「俺のせいだから」
その一言に、柚葉は抵抗感を覚えた。慰められているはずなのに、置いていかれたように感じる。
「違うよ」
「でも、俺が力を使ったから――柚葉にまで、こんなことが」
「蓮」
柚葉が遮った。
「私が怖かったのは、男の人だけじゃない。蓮に電話して、来てくれるまでの間。もし蓮にも何かあったらって、そっちの方が怖かった」
蓮は何も言えなかった。
「それに」柚葉は続けた。
「蓮が謝ることじゃない。私が巻き込まれたのは、蓮のせいじゃなくて、私が蓮を選んだからだよ。だから、蓮だけで背負わないで」
その言葉に、蓮は驚いたように柚葉を見た。
「……ひとまず帰ろう」
蓮はそう言って立ち上がり、柚葉に手を差し出した。柚葉はその手を取った。二人並んで歩く帰り道、いつもと同じはずの夕方の街が、今日はどこか違って見えた。
蓮は、隣を歩く柚葉を見た。
郷は、自分だけでなく、柚葉まで見つけた。




