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血を吸わない者  作者: ぎんか
第二部 発覚編
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第17話 穏健派の疑念

 家に着くと、蓮は靴を脱ぐのももどかしく、居間に駆け込んだ。


「父さん!」


 灰斗と沙奈は、夕食の支度を終えたところだった。蓮の剣幕に、二人とも驚いたように振り返る。


「どうした、蓮」

「郷の人間に会った。父さんの居場所が、割れたって」


その一言で、灰斗の顔色が変わった。皿を配っていた手が、途中で止まる。


「……どんな男だ」

「若い男。灰色っぽい着物みたいな服で、郷に行ったとき、木陰から俺たちを見てた」

「名前は」

「知らない。名乗らなかった」

「何か言っていたか」

「郷には、人間との共存を認めない連中がいるって。それで……」


蓮は、一瞬だけ言葉を切った。


「父さんのことを、裏切り者だって」


灰斗は、答えなかった。

時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえた。沙奈が、ちらりと灰斗の横顔を見る。


「……そうか」


否定は、なかった。


「……とうとう、か」


 灰斗の声は、驚きよりも、覚悟していたことがついに来たというような、落ち着いた響きだった。それが、かえって蓮を不安にさせた。


「父さん、知ってたのか」

「いつか、こうなるとは思っていた。お前が郷に足を踏み入れた時点で、可能性はあった」

「なんで、あの時、教えてくれなかったんだよ……」

「言っても、お前を怖がらせるだけだと思った。それに、確証があったわけでもない」


 蓮は、拳を握りしめた。知っていたなら、なぜ止めなかったのか。そう問い詰めたい気持ちと、今さらそれを言っても仕方がないという諦めが、胸の中でせめぎ合っていた。


「これから、俺たちは、どうなるんだよ」


 声が、思ったより弱々しく出た。灰斗は、そんな蓮を見て、少しだけ表情を和らげた。


「大丈夫だ。すぐにどうこうなるものじゃない。それに――お前一人に、背負わせるつもりはない」


 その言葉に、蓮は少しだけ胸の苦しさが軽くなった。


 沙奈が、黙って灰斗の隣に腰を下ろした。その表情は、落ち着いていた。二人とも、蓮が思っていたよりずっと前から、この事態を予期していたらしい。それが、頼もしくもあり、同時に、自分だけが何も知らずにいたことへの疎外感も残った。


「これから、どうすればいいんだ」


 蓮の問いに、灰斗はしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。


「郷には、共存に反対する者だけじゃない。中立の立場を取る者たちもいる。長老の一人に、俺の古い知己がいる。連絡を取ってみる」

「その長老は、何を知ってるんだ」

「分からない」

「じゃあ、どうするんだよ。何も分からないまま――」

「ひとまず明日、連絡を取る。それまでは、普段通りにしていろ」


 夕食は、ほとんど減らないまま冷めていった。


 その夜、蓮はなかなか寝つけなかった。壁の向こうから、両親の低い話し声が途切れ途切れに聞こえた。内容までは分からない。ただ、母の声が一度だけ、強くなったのが分かった。


 翌日も、蓮は上の空のまま授業を受けた。柚葉には、まだ何も話せなかった。


 灰斗が連絡をつけた相手から返事が来たのは、その日の夜になってからだった。郷からの使いが、家を訪れた。白髪の老人だった。穏やかな物腰だが、その目には、値踏みするような鋭さがあった。


「灰斗殿の頼みとあらば、無下にはできぬ」


 老人は、そう言いながら、居間の椅子に静かに腰を下ろした。蓮は、その落ち着き払った態度に、かえって緊張した。味方であるはずの相手なのに、どこか値踏みされているような気配。


「だが」


 老人は、蓮の方へ視線を向けた。


「噂は、こちらにも届いておる。お前が、他者に触れて何かを癒す力を持っていると」

「……はい」

「その力、お前自身は、どこまで制御できておるのか」


 その問いに、蓮は、すぐには答えられなかった。


 これまで、力を使うたびに、少しずつ扱いが上手くなってきたとは思っている。だが、本当に「制御できている」と言い切れるのか。柚葉に起きている変化。学校の後輩たちに起きている小さな異変。あれらは、蓮が意図して起こしたものではない。


「使えば使うほど、うまくなってる気はします。でも……」

「でも?」

「使った相手に、何か起きてることが、あります。俺が望んだわけじゃないのに」


 正直に言葉にすると、それがどれほど頼りない答えかを、蓮自身が一番よく分かった。


「……分かりません。制御できてるとは言い切れません」


 老人は、その答えに対して責めるでもなく、小さく頷いた。


「正直でよろしい。だが、それは同時に厄介なことでもある」

「厄介、というと」

「郷では、力の性質そのものが、時に脅威と見なされる。強いか弱いかではない。制御できるか、できぬか。制御できぬ力は、たとえ善意で使われようとも、いずれ誰かを傷つける」


 老人の言葉は、静かだったが、蓮の胸に重く突き刺さった。


「反共存派だけが、お前を警戒しておるわけではない。中立の者たちの中にも、お前のことを危ぶむ声はある。灰斗殿への恩義があるゆえ、今は静観しておるが……それも、いつまで続くか分からぬ」

「俺は、悪いことをしようとしてるわけじゃない!!」


 蓮は、思わず声を荒げた。

 老人は、少しだけ目を細めた。


「分かっておる」

「じゃあ、何が問題なんだよっ」


 蓮の声が、大きくなった。


「誰かが怪我をしていたら、治したいと思うだろ。苦しんでいる人がいたら、助けたいと思うだろ。それの何が悪いんだよ」


 老人は、すぐには答えなかった。


「……善意だからこそ、厄介なのだ」


 蓮は言葉を失った。


「自分は正しいと思っている者ほど、力を止める理由を失う。だから、恐れられる」


 その言葉に、蓮は何も言い返せなかった。

 柚葉や後輩たちの顔が頭をよぎる。自分では「治している」つもりでいたその力が、本当に、善意だけで済むものなのか。


「今は、灰斗殿への義理立てとして、様子を見よう。だが、蓮殿。お前自身が、その力とどう向き合うか――それを、決めておくことだ」


 老人は、そう言い残し、夜の闇の中へ姿を消した。


 残された居間には、しばらく誰の声もなかった。灰斗は目を伏せ、沙奈は、そっと蓮の肩に手を置いた。その手のひらの温かさだけが、今の蓮には、かろうじて支えになった。


 蓮は、自分の両手を見た。


 柚葉に触れた手。

 猫に触れた手。

 後輩たちに触れた手。


 今まで、誰かを助けていたと思っていた。

 けれど、それだけではなかったのかもしれない。


 「……俺の力って、何なんだろう」


 蓮の呟きに、灰斗は答えなかった。


(第二部・完)

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