第15話 幼馴染の異変、加速する
柚葉の様子がおかしいと、蓮がはっきり気づいたのは、体育の授業でのことだった。
バスケットボールの試合中、蓮は相手チームの選手と接触し、右足首をひねった。とっさに顔をしかめ、コートの隅にしゃがみ込む。周りの生徒たちが「大丈夫か」と駆け寄ってくる中、蓮は足首を押さえたまま、痛みが引くのを待っていた。大した怪我ではない。少し休めば動けそうだ。
その瞬間だった。少し離れたベンチに座っていた柚葉が、突然、同じように右足首を押さえて声を上げたのだ。
「痛っ……」
柚葉は椅子から崩れるように体をかがめ、自分の足首を両手で握りしめている。周りにいた女子たちが驚いて駆け寄る。
「柚葉、どうしたの?ぶつけた?」
「ううん……違う、と思う。急に、ズキッて」
柚葉は自分でも困惑したように、繰り返し足首をさすっていた。特にぶつけたわけでも、捻ったわけでもない。ただ、痛みだけが、理由もなくそこにあった。
「柚葉、大丈夫か?」
蓮は自分の痛みも忘れて、柚葉のもとへ駆け寄った。柚葉は不思議そうに首をかしげながら、足首をさすっている。
「うん……なんか、急に。もう治まった、けど」
その表情には、恐怖よりも困惑の色の方が強かった。周りの生徒たちは「柚葉、蓮に感染したんじゃない?」と冗談めかして笑っていた。
自分の足は思った通り、保健室へ行くほどではなかった。授業が再開してから、足首を動かしてみた。痛みは、もうほとんど引いている。
それでも蓮は、何度も自分の右足首に目をやった。そして、さっきの柚葉の顔を思い出す。
同じ場所、同じ瞬間だった。まるで、自分の痛みが、そのまま柚葉のところへ移ったみたいな。
――そんなはずがない。
そう思いながらも、蓮の頭には、いくつか思い出されることがあった。
退院した日の帰り道、柚葉が声に出していないことを言い当てたこと。最近、何度か「なんとなく分かる」と言われたこと。全部、同じことの続きなのではないか。
偶然と片付けるには、あまりにできすぎていた。体育の授業が終わるまでの間、蓮はずっと上の空だった。ボールが自分の方へ飛んできても反応が遅れ、二度ほど顧問に注意されたほどだった。
その日の放課後、蓮は柚葉を教室に呼び止めた。誰もいなくなった教室で、二人きりで向き合う。窓の外からは、運動部のかけ声が、遠く聞こえていた。
「柚葉。さっきの、体育のとき」
「ああ、足首のこと?びっくりしたよね」
柚葉は、笑いながらそう言った。だが蓮は、笑えなかった。
「びっくりした、じゃないだろ。あれ、俺が痛めたのと、まったく同じ場所だったんだぞ」
「……そう言われると、確かに変か」
「変とか、そういうレベルじゃない。最近、こういうこと増えてないか」
柚葉は、少し考え込むように黙った。
「……そういえば、昨日もあった」
「昨日?」
「蓮が体育館で転びそうになったとき、私、廊下にいたのに、急に足がすくんだんだよね。あのときは、たまたまだと思ったけど」
「……そんなことがあったのか」
「あと、月曜の帰りに、蓮が忘れ物したこと気づく前に、私、なぜか『あ、傘忘れてる』って分かったし」
柚葉は、思い出すように一つずつ挙げていく。数えるたびに、その表情から、少しずつ余裕が消えていくのが分かった。
「……こうやって数えると、結構あるね」
「そんなに気づいてなかったのか」
「だって、いちいち騒ぐようなことでもないし」
柚葉は、少し考えるように視線を上げた。
「最近はさ、蓮が何か言おうとして黙ると、だいたい分かるんだよね」
「何が?」
「『これ言ったら怒られるかな』とか、『今の言い方まずかったかな』とか」
「……それ、分かるのか」
「うん。なんとなく」
柚葉は悪びれもせずに笑った。
「だから、前より話しやすくなったくらい」
「俺は話しにくくなってるけどな」
「そう?」
「自分の頭の中、勝手に見られてるみたいで落ち着かない」
「でも、私も蓮のこと、全部分かるわけじゃないよ」
柚葉は、少し真面目な顔でそう付け加えた。
「なんとなく伝わってくることもあれば、全然分からないときもある。だから、そんなに構えなくていいと思うけど」
「……そういうものなのか」
「そういうものだと思う」
柚葉は、あっけらかんとそう言った。まるで、それが日常の一部であるかのように。
「本当に、平気なのか」
「平気だよ。だって、私が選んで、蓮に助けてもらったんだもん。これくらい、別に嫌じゃないし」
柚葉は、自分の足首を、じっと見つめた。
「私は嫌な感じはしないよ。蓮の考えてることが分かるのも、痛みが伝わるのも、なんていうか……遠くにいても、繋がってる感じがして」
「柚葉…」
「だから、蓮が気にするほど、私は困ってないってこと。本人が嫌じゃないなら、それでよくない?」
その言葉を聞いて、正直ほっとした。
怖いと言われると思っていた。気持ち悪いと言われるかもしれないとも思っていた。
でも、柚葉はそう言わなかった。
「……そっか」
教室を出て、二人並んで昇降口へ向かう。靴を履き替えながら、柚葉は普段と変わらない調子で、明日の宿題について愚痴をこぼしていた。
校門を出て、夕焼けに染まる通学路を、二人並んで歩いていく。
「明日の数学小テスト、絶対難しい問題でそうだよね」
「なんで?」
「だって先生、今日の最後の問題、皆が解けなくて妙に嬉しそうだったじゃん」
「……ああ」
蓮は笑った。こうしていると、何も変わっていないように思える。柚葉が隣にいて、くだらない話をして、明日のことを話している。
その途中で、柚葉がふいに言った。
「蓮、さっきからちょっと安心してるでしょ」
「……分かるのか」
「なんとなく」
まただ。けれど今度は、蓮も嫌な気持ちにならなかった。むしろ、少しだけ安心した。自分が何も言わなくても、柚葉には伝わる。自分が説明しなくても、分かってもらえる。それは、思っていたよりずっと楽だった。
柚葉が「嫌じゃない」と言うなら、それを信じたかった。
そう思えば、胸の奥に残っていたざらついたものも、少しだけ薄くなる。
柚葉は笑っている。いつもと変わらない。
だったら、きっと大丈夫だ。
そう思いたかった。
あの痛みが、柚葉の意思とは関係なく起きていたことからは、目をそらしたまま。




