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【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺~【幕末妖かしバディ】  作者: Yumiko
第二幕・時花神

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時花神(1)



 流行神はやりがみは、時花神ときのはなかみ


 一時の華として、やがてすたれて運命さだめの――。




 ――また、来たわね。


 男が近づくにつれ、こはるの背筋に緊張が走った。


 両親の営む菓子屋で、こはるが職人として店に立つようになって、早一月。


 最初にこはるの未熟な菓子を買い、うまいと褒めて勇気づけてくれたのは、虚しいことに〈化物〉だった。


 麗しい神主に化けたそれは、旨いと評判の父ではなく、常に売れ残ってしまうこはるの菓子ばかりを買っていく。


 一度、恐る恐る理由を尋ねてみたところ、「気合いが入りすぎていて面白い」と、よくわからない答えが返ってきた。


 確かに、肩に余計な力が入るのか、造形が少しいびつになっているのはいなめないのだが。


「いつもありがとうございます、神主さま」


 そう言って、三日と空けずにやってくる奇妙な常連に、淡々と品物を渡す。


 本当は、嗣巳つぐみという名だと知っている。背の高い総髪の男が、そう呼び掛けるのを聞いたことがあった。


 嗣巳――鳥のつぐみから名付けたのだろうと、合点がいった。


 こはるは頭を下げつつ、早朝の雨でできた水溜まりを、こっそりと横目で見た。


 嗣巳の足元に、数多あまたの生き物を縫合したような、奇怪な獣の姿が映っていた。


 絵でしか見たことはないが、ぬえと呼ばれる化物によく似ている。


 これが、この男の正体なのだ。


 こはるは気づかれないように、両手を握り合わせた。


 こはるは昔から、〈水〉を介して奇妙なモノを視る。


 それが化物の正体を映しているのだと、早い段階で悟ったこはるは、騒がず、視えないふりをしてやり過ごしてきた。


 化物は、そこらじゅうに居る。けれど、視えていると気づかれなければ、向こうもまたこちらを視ないのだ。


「――また、徹夜でもしましたか?」


 はっと顔を上げると、いつもは世間話などせずに去っていく嗣巳が、こはるを振り返っていた。


 言われたことを反芻はんすうして、顔が一気にでた。


 そんなに、やつれて見えるのだろうか。


 化物相手とはいえ、それは初恋もまだないこはるの自尊心を、著しく傷つける言葉だった。


「うちにも、徹夜をするのが居りまして。いつか倒れてしまうぞと言っても、聞きやしない――のは、貴女も一緒なんでしょうね」


 お身体に気をつけて、と最後は儀礼的な言葉で締めくくって、嗣巳が背を向ける。


「あ……」


 ――貴方も、お気をつけて。


 たったそれだけの言葉を、こはるはいつも言い逃してしまう。


 怯えているわけではない。化物とはいえ、常連ともなれば多少の情は湧く。


 ではなぜ、と考える間もなく、嗣巳の前を、鮮やかな小袖が遮った。


「神主さま、この間は父がお世話になりました。化物除けのお札、本当によく効いて――」


 この辺りでは裕福な薬問屋の娘――かさねが、物怖じもせずに、嗣巳の腕に触れていた。


 かさねは、こはるの幼馴染みでもある。こはると違って恋多き彼女は、気に入れば一直線だ。


 それだけに同性からは遠巻きにされることも多いのだが、「だって後悔したくないんだもの」と、笑って言い切ってしまうかさねのことが、こはるは少しばかり羨ましかった。


 けれど、そのかさねのことを、今日はなぜだか直視できなかった。


 視線を逸らしていると、嗣巳に袖にされたらしいかさねが、こはるの元へ駆け寄ってきた。


「あんたもしかして、悋気りんき*してるの?」


「――まさか」


 思ったより低い声が出てしまい、こはるは密かに狼狽うろたえた。


「ふうん? だってあんた、ずっと恋明神こいみょうじんの祠を拝んでいるじゃないの?」


 意地でも顔には出すまい、と決めたそばから、かさねが挑発するように笑いかけてくる。


「あたしは、そんな名で呼ばれて流行る前から、拝んでいるのっ!」


 こればかりは、怒りを抑えられなかった。


 こはる達がまだ幼かった頃、土のなかから鋭利な牙のようなものが掘り起こされた。


 何もない場所だったけれど、大人たちは〈天狗の爪〉だと騒いで、小さな祠に祀り――すぐに忘れ去ってしまった。


 地中から出るものは何でも〈天狗の……〉と言われるが、あれは爪ではなく、牙だ――と、こはるはわかっていた。


 水溜まりに、牙を抜かれ、恨めしげに周囲をめつける犬の姿が映っていたからだ。


 こはるは、練習で作った菓子を祠に供えるようになった。


 黒く焼け焦げたような姿が恐ろしかったが、不憫な姿は、不注意で死なせてしまった犬を思い出させたのだ。


 一度寂しそうだと思ってしまえば、放っておくのは後味が悪い。


 毎日拝んでいたある日、水溜まりに映っていたのは、清らかそうな純白の犬だった。


 水面越しでも、決して目は合わせない。見た目が愛くるしくなっても、彼らは化物という名の、危険な隣人であることを忘れてはならない。


 そうして、こはるが慎重に、互いにとって心地好い距離を保っていたところで、近所の娘が祠に目を留めた。


 恋に関する願いが実った、とその娘と周囲が騒ぎ始めた頃、久方ぶりに見た犬は以前よりも黒く、醜く変わり果てていた。


 因果関係はわからないが、こはるに出来るのは、せめて祠を清めてやることだけだった。


 ――他力本願なんて、馬鹿げているじゃない。


 日課となっている祠の掃除をしながら、こはるは忌々しく思った。


 大切なのは、菓子の修練と同じく、日々の積み重ねだ。努力でどうにもならないものを願っている暇があれば、他のことに時を費やすべきなのだ。


 お供えした菓子を下げて、祠の傍に腰かけ、口に放り込む。見た目に課題はあれど、あんこの味は父のお墨付きだ。


 ――ゆくゆくは、あたしが店を継いで、大きくしてみせるんだから。


 だいたい、かさねは見る目がないのだ。駄目な男に引っ掛かったと思ったら、今度は化物ときた。


 ――喰われたって、知らないんだから。


 立ち上がりかけたこはるの目に、白装束の袖が映り――嗣巳の涼しげな声が、こはるを呼んだ。


 呼んだ、と言っても、菓子屋の屋号なのだが。


 頭の芯が、くらりと揺れたようだった。


 その時、


「――あっ」


 《《背後からの》》衝撃で、こはるは突き飛ばされていた。


 地面に手を突いて、咄嗟とっさに顔は守ったが、足首に鋭い痛みが走る。


 ぬかるみに突っ込むことだけは避けられたが、無様な恰好をさらして、恥ずかしくてたまらない。


 伺うように見上げた視線の先で、嗣巳はこはるではなく、背後の祠を見ていた。



――――

*悋気:嫉妬

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