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【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺~【幕末妖かしバディ】  作者: Yumiko
第二幕・時花神

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時花神(2)




「――このほこら、空だぜ。ご隠居」


 愁水が頭を掻きながら振り返ると、平生は好々こうこうや然としたご隠居が、床几しょうぎに座ったまま手を振ってわめいた。


「そんなわけなかろう、もっとよく見んか!」


「ねえもんはねえよ。大体、空の祠なんざ珍しくもねえだろう」


「この、罰当たりが――」


 愁水の返答はますますご隠居を怒らせたが、事実を言ったにすぎない。


 ――いわしの頭も信心から。


 ――朝観音夕薬師。


 と、口碑こうひが示すように、ここ江戸では〈流行神はやりがみ〉と呼ばれるモノが、特に盛んなのだ。


 一時熱狂的に信仰され、その後急速に忘れ去られてしまう神仏のことを、花に例えて〈時花神ときのはなかみ〉とも書く。


 一度流行れば、小さな祠が門前市をなすまでになるのだが――。


 人々に必要とされて生まれた、あるいは見出された神であるから、忘れられれば消えるか、化物になるか――。いずれにせよ、多くは人に振り回されたのち、儚く散る運命と決まっている。


「それで、御神体は何だったんだ?」


 そう尋ねれば、《《またしても》》〈天狗の爪〉という答えが返ってきた。


「今年の初めに建てたばかりの祠じゃが――」


 と、その縁起を語り出した信心深いご隠居の片足には、獣の噛み痕のようなものがくっきりと残っている。


 青黒いそれは異様な様相をていして、呪いの印のようにも見える。


「暗がりで襲われた翌日、祠が壊れていたんだよな?」


 ご隠居は頷き、わしを魔のモノから護って逝かれたのだ――などと、今度は都合の良い解釈を語り始めたのを、愁水は半ば聞き流していた。


 これで、《《四件目》》だった。


 空の祠と、獣の噛み痕、その後の破壊。全く離れた別の場所で、同じ事象が四件も発生している。


 愁水の絵の依頼者ばかりが狙われているのか、それとも同様のことが他でも起きているのかは未確認だが――化物絡みであるならば、追ってみる価値はある。


 そして、四件の共通点は、もう一つ。


「おい、ご隠居。座ってろよ――」


 床几から腰を浮かせたご隠居を押し留めたのは、愁水の呼びかけではなく、犬の前足だった。


「おお、心配してくれるのかい」


 控えめに膝に乗せられた足を撫で、ご隠居が相好を崩す。その犬の背にも噛み痕があり、主人を護ろうと奮戦した様子が伺える。


 この犬もまた、愁水が絵に宿した流行神だった。


 流行神の主流は稲荷だが、動物から怨霊と認識された故人まで、信仰の対象は多岐にわたる。


 ――また、犬か。


 今回は化物だが、被害を被った当人たちは、いずれも犬を飼っていた。


 愁水たちが江戸に居を定めて、二月ふたつきほど。


 その間に引き受けた依頼は、図らずも、寄る辺ない化物に居場所を提供するだけでなく、人間と化物の橋渡しとなった件も少なくはない。


 寄り添う人と化物の姿に、痛々しい傷痕はひどく無粋だ。


 剣呑に眉をひそめていた愁水は、ふっと力を抜いて、ご隠居に声をかけた。


「その足じゃ、何かと不便だろ。困ったらまた呼んでくれ」


 茶でも飲んでいけ、とご隠居が誘うのをして、愁水は次の場へと向かった。


 途中でふと思いつき、嗣巳が贔屓ひいきにしているらしい店で、手土産を買っていく。


 看板娘は控えめだが愛嬌あいきょうがあり、ふっくらとした頬は血色が良く――化物が喰いたがるのは、こういった娘ではないかと、つい邪推した。


 片足を痛めているような動きが気になり、愁水は娘に声をかけた。


「なあ、この近くに〈天狗の爪〉を祀った祠はあるか?」


 途端に、娘の顔がかげった。


「ありました。でも、誰かに壊されてしまって――。恋明神なんて呼ばれて、流行っていたんですけれど。誰がやったんだか……」


 愁水は不思議がる娘に礼を言って、懐に手を差し入れた。


 先ほど祠の近くで、ご隠居に気づかれないよう密かに拾ったものが、指先に触れる。


 それは、菊綴きくとじと呼ばれる、神主の装束についた飾り房の端だった。


 ――何やってんだよ、嗣巳。


 愁水は、心の内で呟いた。


 鋭利なもので切り落とされたようなそれは、嗣巳が身に付けているものに、よく似ていた。




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