表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幽世庵モノガタリ~化物絵師と鵺~【幕末あやかしバディ×民俗学ミステリー・全3部・9月末完結予定】  作者: Yum
第十一幕 モノガタリ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
87/88

モノガタリ(2)前編



 ――女?


 愁水は淵月を凝視したが、「女と見紛みまがうほどの」という評判は例えであって、骨格は明らかに男のものだ。


 知り合いかと問いたいところだが、どうせこの舞台のあと、淵月とは芝居茶屋で落ち合うことになっている。


 淵月はすでに表情を消しており、一座の者を従えて深々と礼をしたのち、着座した。


 お囃子はやしの音が響き、千歳せんざい(*)が露払いとして舞う間に、淵月が翁の面をつける。


 この時から、舞い手は〈神〉となる。


 何千という眼差しが注がれるなか、淵月は気負うことなく舞っていた。


 軽やかに袖をひるがえす舞い姿が、目に焼きつく。


 ――ありゃ、魔性だぜ。


 と、京助の言葉が不意に浮かぶ。


 神聖なはずの舞が、妖気を帯びて見えた。


 舞い終えた淵月が翁の面を外し、再び深く礼をして、橋懸りから退出する。


 そうして六曲を演じたのち――最後の『鵺』が、幕を明けた。


 黒い乱れ髪で現れた鵺の亡霊は、旅の僧侶の読経に誘われて、赤髪に赤い鬼神面、金襴袴きんらんばかまの姿となって、討たれる様を所作のみで再現してみせる。


 射られ、四肢を刻まれ――闇夜を漂流し、やがて朽ちていく。


 鵺はときに武将を演じ、また化物に戻る。


 勝者と敗者の境すら、曖昧あいまいになっていく。


 そして――。


 ――月日も見えず暗きより、暗き道にぞ入りにける……。


 赤と金が交差する舞。鵺が扇をひらめかせ、お囃子と地謡じうたいが勢いを増す。


 視線で暗い道を遠望したのち、鵺はまた、遥かな闇夜に消えてゆく――。

 

 決して、長い曲目ではない。せいぜいが四半刻しはんどき


 しかし、果てもなく流されていく化物を見ていると――夜の川ではなく己の心を、時を忘れて彷徨さまようような心地になる。


 淵月の舞は隙がなく、鬼気迫る重々しさで場を支配し、緊迫した空気を漂わせる。


 淵月が橋懸りの先に消えたのちも、〈呑まれた〉見物客たちは声を失い、微動だにしなかった。


 ――ああ、不気味で怖ろしい鵺だった。


 ――あれだけ怨みの念が強けりゃ、彷徨さまよい出ても不思議じゃねえわな。


 終幕と共に、見物客たちが取り憑かれたようにわっと感想を述べ合い、熱狂した様を見せる。


 鵺、鵺、鵺。


 今しがた見たものに触発され、その場で怪談を語る声すら聴こえてくる。


「――鵺が流されていくところが、一番凄かった!」


 京が童らしい無邪気さで、声をあげてはしゃぐ。京助はまだ嗣巳の顔色を気遣っており、嗣巳が面倒そうに片手を振っていた。


「ありゃ、流れ足という足運びだ。波がうねるように、足を左右交互に運んで――り足の応用だな。水の上を歩いたり、幽玄ゆうげんな様を表したりする」


 愁水が解説してやると、京が腕に飛びついてきた。


「愁水は、能も詳しいんだ?」


「詳しいって程じゃねえが、たしなみ程度に習ったことはある」


 〈若君〉と呼ばれていた頃、次期藩主として必要な学問からは遠ざけられていたが、体面を取り繕うため、絵や能の稽古だけは許されていたのだ。


「……愁さんの舞い姿、見てみたかった」


 滝がぽつりと呟き、何故か頬を染める。


「人様に見せるようなもんじゃねえよ」


「――いや、なかなか様になっていたぞ」


 横から嗣巳が口を挟み、愁水は顔をしかめた。


「お前、見てたのかよ」


「他に面白いものもなかったからな。不遜ふそんな童が、殊勝な顔して――」


 嗣巳の足を踏んでやろうとしたが、さっとかわされた。


「へえ、想像つかねえなあ。真面目にやってたのか?」


 と、京助が茶々を入れる。


「最初は嫌々だったけどな。やってみると、意外と兵法に繋がるもんが多いんだ。拍子を踏む時にふらつかねえように、長袴で腰を据えるからな」


「ああ、想像ついたわ」


 愁水が真顔で応じると、京助が苦笑して言った。


 だが実際、武家のお抱えとなった猿楽師は武士に準ずる身分であるから、双方の交わりのなかで、あの強靭な胴作りの体系が整ったのだろう。


「――それじゃ、お仕事頑張って。あたしとお京ちゃんは、市を見て回るから」


 滝と京が手を振って、反対の方角へと歩き出したかと思えば、京が駆け寄ってきた。


「あのね、あの淵月ってひと、ずっと心のなかで鵺に《《謝ってた》》よ。でも、変なの。他の人と違って、〈雑音〉が混ざってて……」


「お京、おめえ、勝手に人様の心を読むなって言ってるだろ。ちゃんと訓練してんのか?」


「ちゃんとしてる! じゃあねっ」


「こらっ、お京。帰ったら説教だぞ!」


 京助に追い立てられた京が、頬を膨らませて、滝と雨月のもとへ駆け戻っていく。


 そのかん、嗣巳は酷く不機嫌そうに目をすがめていた。


「なあ、『あの女』ってのはどういう意味だ。知り合いか?」


「……あれと《《同じ魂》》を見たことがある」


「ああ? 生まれ変わりってやつか?」


 詳しく聞こうとしたが、京助が戻って来たため、中断する。


「――ここの芝居茶屋だ。嗣巳はどうする?」


 京助が、芝居小屋の向かいの大茶屋おおぢゃやで立ち止まった。座敷で諸侯や豪商を歓待する、高級料理茶屋だ。


「私は先に帰る」


「会わなくていいのかよ。縁のある相手なんだろ?」


 愁水が声を潜めて問いかけたが、嗣巳が冷え冷えとした目を向けて、立ち去ろうとする。


 そのとき、茶屋から一人の男が現れた。


「お二人とも、お待ちしておりました。――どうぞ、お連れ様も」


 淵月がたおやかに、嗣巳に微笑みかける。

 

 座敷で向かい合わせに座るときも、淵月の目は嗣巳を追っていた。


「……こいつが何か?」


 愁水が問うと、淵月が口元を着物の袖で覆ったが、弧を描く細い唇は隠しきれていなかった。


「どうも、初めてお会いした気がしない。――前世からのえにしでしょうか」


 え、と京助が何を誤解したか、素っ頓狂とんきょうな声をあげる。


 ふふ、と小さく笑い声を立てて、淵月が改めて愁水に向き直る。そこから先は絵の依頼へと話柄わへいが移り、至極真面目な仕事の話が続いた。


 興行は残り十日。錦絵は最短三日で刷り上がるため、残り七日もあれば、興行中に地本問屋の店頭だけでなく、芝居小屋や周辺の土産屋でも相当数の売れ行きが見込める。


 もともと情報源として流行を追うのが錦絵であるため、多少荒くはなるが、短期間で仕上げるのは造作もない。


 いまは化物絡みの依頼しか受けていないため、京助の顔を立ててやることくらい、訳はないが――。


「いまここで素描させてくれるなら、今日中に仕上げてやる。筆と紙なら――」


 愁水は懐に手を差し入れようとしたが、淵月に止められた。


「ここで、とは、味気ないと思いませんか?」


「そんなら――」


「近くに私の私邸がありますから、そちらでどうぞ。鵺の装束に着替えたほうが、風情があってよろしいでしょう?」


 隣の嗣巳がぴくりと肩を揺らしたが、何も言わなかった。


 何かしらの意図はあるようだが、少なくとも殺気は感じない。愁水としても断る理由はなく、話はまとまった。


 芝居茶屋を出ると、版元として方々に連絡を取るため、京助はそこで慌ただしく場をした。


「愁水、私もここで……」


「――毎夜、同じ夢を視るのです」


 立ち去ろうとする嗣巳を引き留めるように、淵月が唐突に呟いた。


「夢のなかで、私は武家の女なのです。息子の他に頼りもなく、子の立身出世だけを神に祈り続けるような。――そこに現れたのは、神ではなく、血塗れの鵺でした」


「……縁起の悪い夢ですね」


 嗣巳の素っ気ない物言いにも、淵月は薄い笑みを浮かべたまま続けた。


「女は祓い人どもから鵺をかくまい、介抱しながらこう思うのです。数多の祓い人が討伐できずにいた鵺を、我が子が見事討ち果たしたなら、どうか――と」


 ――そこで女は、鵺に「討たれるふりをしてはどうか」と持ちかけるのです。


 ――追われることを煩わしく思っていた鵺は、承諾しました。


 ――普通の弓で、鵺は死なないでしょう。けれど、母と化物の取引など聞かされていなかった息子は、代々相伝の弓と鏑矢かぶらやを持ち出してしまった……。


「弓の名は雷上動らいしょうどう、二本の鏑矢はそれぞれ水破すいは兵破ひょうは、いずれも夢の中で与えられたという、神懸かりの武具でした」


「……さすがは猿楽師殿。夢の中でも《《創作》》をなさるとは」


 嗣巳の目が冷たく光る。その反応で、創作ではないのだと分かった。


 背後に朧がいるのだから、嗣巳の正体は知っていて当然だろう。では、《《淵月自身》》の意図は何か。


「淵月さん、聞かせてくれ。あんたは鵺を演じているとき、〈誰〉の視点でいる? 夢の女か、武将か、鵺か――さかいが曖昧にはならねえのか?」


 淵月の唇が、深い笑みを刻む。ここで初めて、愁水に関心を向けたようだった。


「お察しの通り、境はないのですよ。けれど役を演じるにあたって、対象を掘り下げて理解し、足りない部分は何かしらで補う必要があります。貴方もそうでしょう、愁水殿?」


 これは絵にも共通するところがあり、愁水は軽く頷いた。もしも〈架空の化物としての鵺〉を描くのであれば、まずは物語や和歌を読み込むだろう。


「その点、私は誰よりも鵺を知っております。ですから、私だけが鵺を理解し、演じることができるのだと――確信しているのです」


 そう断言した淵月が、嗣巳に歩み寄る。


 生温かく淀んだ気配が、ざわりとうごいた。淵月の身からあふれ出た妖気――《《狂気》》に、雑踏に潜む化物たちが反応を示す。


 目には視えなくとも、その負の連鎖は人を不安に駆り立てる。


 それに――いまは、黄昏時たそがれどきだ。


 小さな化物が寄り集まってくると、通行人が悲鳴を挙げた。昼と夜の境目――その境界は、常人の目にも、化物が映る。


 場は騒然となり、一刻も早く、元凶である淵月を引き離す必要があった。


「淵月さん、詳しい話は――」


 と、愁水が手を伸ばすまえに、淵月の体が傾き、崩れ落ちそうになる。


「〈夢〉などに囚われていると、《《魂が死ぬぞ》》」


 寸前で淵月の腕を引き上げた嗣巳が、冷ややかにそう告げたが、淵月は逆に嗣巳の手を掴んで誘いかけた。


「私のもとへ、おいでなさい。貴方は、私と共にるべきだ」


「断る。夢からめたくないのならば、望み通りにしてやろう」


 にべもなく一蹴した嗣巳が、淵月を突き飛ばし、鋭利な爪を振り上げようとする。


「――もういい。嗣巳、先に帰ってろ。天泣を呼ぶか?」


 愁水が間に割って入ると、嗣巳が疲れたように首を横に振った。


「いや……いい。あれも結界を張り続けて、疲れているはずだ」


 嗣巳のほうも、顔色は平生よりも悪い。このまま一人で帰すのも抵抗があるのだが、嗣巳にも大妖としての矜持きょうじがあるのだろう。


「そんなら、無理強いはしねえが。お前も、妙なやつに執着されたもんだな。止められるならいいが――」


「止まりはしないだろう。鵺を演じる者は、その身の上を鵺に仮託する」


 突き飛ばされてもなお、妖しげに微笑む淵月を見やり、嗣巳は目を細めて言った。


「――人間は〈モノガタリ〉を必要とするものだろう?」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ