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幽世庵モノガタリ~化物絵師と鵺~【幕末あやかしバディ×民俗学ミステリー・全3部・9月末完結予定】  作者: Yum
第十一幕 モノガタリ

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モノガタリ(3)前編



「――どうぞお上がりください、愁水殿。こちらが稽古場です」


 下から見上げるのでは描きにくいだろうと、淵月が書院北庭の能舞台上に愁水を招く。


 愁水は自分と同じ年頃の男の、能面のように穏やかな微笑を観察した。


 さいぜんの嗣巳の拒絶など意に介していないようで、愁水を敵視する様子もない。


 余裕の表れとも取れるが、あるいは――。


「淵月さん。あんた、怪我してねえだろうな? 興行中の猿楽師が足でもひねっちまったら、大事だろ」


 愁水は絵筆を取り出し、その場に胡座あぐらをかいて言った。


「この通り、ご心配なく。――さあ、私の〈鵺〉を妖しく描いて下さりませ」


 妖艶に微笑んだかと思えば、後シテ――後半の赤髪に赤面あかおもて、金襴袴の装いとなった途端、淵月という人間は掻き消えて、まるで意志というものが感じられなくなった。


 目に視えぬものに、舞わされているような。


 ――狂っている。


 純粋な賞賛として、愁水はそう思った。


 実際、かつては演じること舞うことを、〈狂う〉と言ったのだ。


 物狂いの〈モノ〉は、モノノケの〈モノ〉。


 〈モノ〉は、霊魂を指す。


 であれば、モノガタリとは、魂そのものの記録ではないか――。


 筆を走らせながら、そんなことを思う。


「改めて思うが、見事なもんだな。化物を見慣れている俺でも、すごみを――〈花〉を感じる」


「猿楽師にとって、最大の賛辞ですね。どうです、私を独占して描く代わりに、鵺を譲っていただくというのは?」


「本物の鵺には、ちっとばかし及ばねえな。――あんたが鵺に執着するのは、本当にあんた自身の意志なのか?」


 愁水が反対に問いかけると、ここで初めて、能面のようだった表情が動いた。


 困惑と怖れ――その下に、抑えきれない好奇心を覗かせている。


「もちろん……私自身の望みですよ。鵺を――演じる対象をもっと深く知りたいと思うのは、当然のことでしょう」


「だが、同時に怖れてもいる。〈夢の女〉に同化しすぎちまえば、己をうしなうと分かってるんじゃねえか?」


 淵月が、言葉を詰まらせる。毎夜同じ夢を視て、女の感情に引きずられ、己が塗り潰されてゆくのを感じるのは怖ろしいことだろう。


 だが、猿楽師としての探究心が、歯止めを失わせてもいる。


「――淵月さん。能ってのは、〈中間〉の存在だよな? 自然崇拝に呪術の名残り、くにの信仰と技術が入り混じって……本質なんてもんは、存在しねえように思える」


「ええ……そうですね」


「全ての芸能に言えることだろうが、あんたは猿楽師だからこそ、特別強く、前世の記憶に惹き込まれちまったんだろうな。――あんたがそれを望むなら仕方ねえが、舞台の最終日、朧という術師は確実に、あんたのその執着を利用するはずだ」


 素描を終えた愁水は立ち上がり、真正面から淵月を見据えた。


「最終日は嗣巳を連れて、もう一度、あんたの舞を見せてもらう。淵月大夫は《《何のために》》物語るのか、答えを見せてくれ」


 見送りはいらない、と言い残し、愁水はその場を後にした。





 ――何故、物語るのか。


 愁水の問いかけを幾度も反芻はんすうし、淵月は最終日の最後の曲目を前に、未だ迷い続けていた。


「淵月、見物客の反応をよく見ておきなさい」


 と、楽屋で俯いていた淵月に、叔父が声をかけてきた。


「初心を忘れるな。どんな相手にも〈《《面白い》》〉と思わせてこそ、だぞ」


「……はい、叔父上」


 普段相手にしている武家とは違い、市井の見物客の反応は素直だ。


 たったいま終えた曲目『百万ひゃくまん』の反響を見ようと、淵月は楽屋からそっと顔を覗かせた。


 静かに涙を流している女の姿が、淵月の目を惹いた。


 『百万』は、我が子と生き別れになった母の悲哀を描いている。


 淵月の演じた女に、ままならない思いを重ねているのだろうか。


 ――私が、鵺にそうしたように。


 淵月は女を見つめながら、己をかえりみた。


 人生において、勝者と敗者は合わせ鏡だ。


 こうして一世一代能を許されたのは、淵月の実力だけで勝ち得たものではなかった。多分に政治色を孕んでおり、その栄華も長くは続かないだろう。

 

 鵺を討った〈勝者〉であるはずの武将も、戦ではなく、化物退治に駆り出される不本意を呑み込んで、弓を引いたのだ。


 勅命を断ることもできず、失敗すれば耻辱ちじょくと分かっていて――。


「――淵月。見物客の《《変化》》を見ているか?」


 淵月の肩越しに、叔父が厳しい声音でそう言った。


「変化……?」


 見れば女はすでに泣き止み、心なしか、憑き物が落ちたような――凛とした眼差しをしていた。


 ――心の内に、何が起こったのか。


 決して笑っているのではない。大切な者を失う痛みは、傷ではなく、塞がることのない穴だ。


 けれどその穴を抱えたまま、それでも前を向こうとする強さのようなものを、淵月は女の目に見て取った。


「淵月。同じ悲哀はないが、同時に、誰にも理解されぬ悲哀というものも、私はないように思う。……ある悲しみが、誰か別の悲しみを〈観る〉ことによって、洗い流されることもあるだろう。そうして新しい姿を得て、見物客が帰ってくれれば――と、私は願っている」


 難しく考えるなと、叔父が淵月の背を軽く叩いた。


「見物客のための〈願い〉を持つことだ、淵月。自分のためだけに舞うのでは、必ず限界がくる。我らの演じる《《亡者》》は、他人を得て初めて――《《蘇る》》」


 叔父の言葉に、淵月は目を見開いた。


 そこへ、『鵺』の開幕を告げる、高い笛の音が響く。 


 ――夢の中で嘆く女の、〈最後の言葉〉がどうしても聞き取れない。


 それが知りたくて、自ら夢を望んだのだが――。


 ――そうか。私は、〈お前〉の心を慰めてやりたかったのだな。


 淵月は舞いながら、今はあの夢の女のために、舞おうと思った。


 言うなれば、鎮魂の舞だ。夢の女と、その女が情を抱いていた鵺の、双方に向けた舞。


 しかし唐突に、場の空気が凍りついた。


 何かを引きるような、異音。舞堂の影からぬるりと、巨大な獣――〈鵺〉が現れた。


 その〈鵺〉の影から、さらに小鬼のような化物の群れが湧き出し、四方に散って人間に手当たり次第飛びかかっていった。


 見物席が騒然となり、我先にと逃げ出そうとする。


 ――違う。これは、《《本物の鵺ではない》》。


 淵月には分かる。本物のすごみは、この比ではない。


 鵺は威嚇の唸り声を上げるばかりで、小鬼のように人を襲う様子がない。


 ――これは……化物ではない?


 しかし、見物客はすでに恐慌状態。桟敷のきしむ音がはっきりと聞こえ、いつ倒壊しても可笑おかししくなかった。


 このままでは、死人が出てしまう――。


 淵月が扇を取り落としかけたとき、何処どこかから愁水の声が響いた。


「――淵月、動くなよっ」


 くうを裂く音がして、一直線に飛んできた矢が淵月の視界をかすめた。


 鵺を射たかと思えば、舞堂の柱に突き刺さった矢の先には、一枚の呪符があるばかりだった。鵺の姿は、もうどこにもない。


 矢の飛んで来た方角を振り返ると、誰かの背を足蹴にした愁水が、桟敷席で弓を放り投げていた。


「まやかし……?」


 けれど小鬼たちのほうは、影から際限なく湧き出している。


 気絶しているらしい狩衣の男たちを手早く縛り上げながら、愁水が怒鳴った。


「淵月、語り納めまで続けろ! 〈こっち〉は俺が抑えておく」


 淵月は、はっと気付かされた。


 ――怪異を語ること自体が、怪異を呼び寄せる?


 語りを通して、舞台に死者を現出させるのが能だ。それならば、語り納めて、鎮魂を完遂する他ない。


 淵月が扇をかざすと、その意図に気づいたように、小鬼たちが一斉に振り返った。


 甲高い鳴き声を上げて、小鬼たちが淵月に群がろうとする。すくみかけたが、淵月は声を張り上げた。


 ――月日も見えず暗きより、暗き道にぞ入りぬべき


 小鬼の爪や牙が、淵月に迫る。


 しかし目前で白装束がひるがえり、より鋭利な爪が、その凶刃から淵月を守ってくれた。


 鵺のその背中に、淵月の口から、勝手に言葉が零れ落ちていた。


『――鵺よ。わたくしは決して……貴方の死を願ったのではありませんでした。自由を、幸せを願ったのは……〈本当〉のこと。許して欲しいとは思いません。けれど、これだけは、貴方に知っておいて欲しかった……』


 謝罪の言葉を発しただけで、胸のつかえが下りたようだった。


 鵺の肩が、微かに揺れる。返事はなかったけれど、その背に促されたような気がして、淵月は続きをうたった。


 後はもう、鵺のために、鎮魂の舞を舞うだけだ。


 ――遥かに照らせ、山の端の月


 半円を描くようにひらりと飛んで、回り返して着地する。


 ――はるかに照らせ山の端の月とともに


 ――海月も入りにけり


 ――海月も共に入りにけり


 扇を招くようにして、橋掛かりまでゆく。


 三の松まで行き、扇を持ち替える。


 舞台を広く舞い、足拍子を踏んで――舞い終える。


 その足拍子で、小鬼たちは霧散した。


 息を切らしながら、周囲を見渡す。


 見物席では白い狐が縦横無尽に駆け回り、逃げ出そうとしていた客は全員、深く眠り込んでいた。





「――足拍子は、陰陽術でいう〈反閇へんばい〉だな。力強く踏みしめることで、邪気を祓い、土地を鎮めて幸運を招く、というやつだ」


 愁水の説明に、幽世庵を訪れた淵月が手土産の水羊羹を口に運びながら、成程と頷いた。


「土御門家の陰陽師たちは――」


「ちっと目を離した隙に、逃げやがった。まあ、そっちの後始末は任せてくれ。それより――淵月さん、あんたはまだ、鵺が欲しいか?」


 そう問いかけると、淵月は苦笑を浮かべて、首を横に振った。


「いいえ。夢ももう、視なくなりました。同じ表現者としてお尋ねしますが――貴方は、鵺を描きたいという欲求はありますか?」


「いや……ねえな」


 それまで真剣に考えたことはなかったが、結論は早かった。


「虎の四肢に、狸の胴に――ってのは例えであって、要するに〈よく分からねえモン〉ってことだ。描けちまったら、つまらねえだろ?」


 予想通りの答えだったらしく、淵月は小気味良さそうに笑っていた。


「貴方は猿楽師の演じる亡者を、中間に存在するモノだと言いましたね。中間で動けずにいるからこそ、彼らは常に、己を見つけてくれる〈誰か〉を待っている。……鵺はもう、貴方という人に出逢えたのです。鵺を特別視しない、執着しない貴方こそ、鵺のそばにいるのに相応ふさわしいのではないでしょうか」


 淵月の静かな熱弁に、愁水はに落ちない顔となる。


「私はね、感嘆したのです。鵺を欲しがる私を前にしても、貴方はいっさい動じなかった」


「欲しがるも何も――」


 そう言いかけて、愁水は己の〈傲慢ごうまんさ〉に気づき、目をみはった。


 己の所有物ではない、というのは、建前に過ぎない。


 ――嗣巳が傍にいることなど、当然だったからだ。


「愁水殿。夢とうつつを往復しながら、結局のところ、能が語るのは様々な〈陶酔〉の形であるような気がするのですよ。手に入れずに、求め続ける。それこそ、究極の美ではありませんか?」


 愁水の困惑には気づかないまま、淵月は興が乗ったように語り、満足げに幽世庵を去って行った。


「――私を描いてもらわなければ、困るんだがな」


 愁水が茶を淹れ直していると、嗣巳が不機嫌そうな顔で、しかしどこか満足げに見えなくもない様子で、柴戸の入り口にもたれていた。


「最後に会っときゃ良かっただろ。しばらく、諸国を遍歴するらしいぜ」


「知っている。『江戸で興行するときは、一番に伝えに来る』のだろう?」


「外でしっかり聞いてたのかよ。――ほら。越後屋若狭えちごやわかさの水羊羹、食うだろ?」


 そう言いつつ返答を待たずに、茶菓子を載せた盆を嗣巳に押し付ける。


 庵の縁側に並んで座り、すっきりと甘い菓子を味わいながら、愁水はふと、嗣巳に対しては〈望み〉を叶えてやったことなど、一度もなかったなと気がついた。


 絵に描いてなどやらない、永い眠りにつくのはもっと先――。


 そんな風に振り回しながら、いまは共通の目的があって共に居るが、この因縁に決着がついたとき、嗣巳が最も居たい場所とは、どこだろうか。


 ――暗きより、暗き道にぞ入りぬべき、遥かに照らせ、山の端の月……か。


 淵月を描いた錦絵を手に取り、そこに描き入れた元の歌――『鵺』のうたいの一節となった歌を、心中でむ。


 ――煩悩の闇から、さらに深い迷いの暗闇へと入り込んでしまいそうです。どうか遥か遠くからでも私を照らし、導いてください、山の端にかかる月よ……。


「……いつか、〈月〉が見つかるといいな」


 そうひとごちれば、嗣巳が何のことかと、微かに眉をひそめる。


 いや、と答えをはぐらかし、愁水は錦絵を脇にやって告げた。


「――これで、画業はしまいだ。怪談会で騒動が多発している。次は、旗本はたもと主催の大規模な怪談会をやるそうだ。大事になる前に、乗り込むぞ」


 嗣巳は短い返事で応じ、何事もなかったように茶をすすっていた。


 ついて来るだろうと、問うまでもない。

 

 ――今は、まだ。




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