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幽世庵モノガタリ~化物絵師と鵺~【幕末あやかしバディ×民俗学ミステリー・全3部・9月末完結予定】  作者: Yum
第十幕 雨禁獄

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花妖(7)


「――そいつを離せ、藤波ふじなみ


 愁水がきっさきを向けると、神主が鵺の背から無造作に矢を引き抜いた。


 赤黒い血が一筋流れたが、気絶した鵺はぐったりとしたまま動かない。


「眠らせただけですから、ご安心を。これ以上、危害を加える気はありませぬ。これより先は神聖な場ゆえ、この化物はお預かりいたしまする」


 愁水は刀を構えたまま、周囲に目を走らせた。


 腹部の起伏で、鵺の呼吸は確認できる。


 背後を見やれば、矢を放った者が弓を下ろし、頭を垂れて恭順の意を示した。その背後に、さらに二人。一様に面布で顔を隠しているが、いずれも髪には白いものが混じり、隠居と言って良い歳頃だ。


 矢筋は正確無比だが、接近戦に持ち込めば愁水の独壇場となる。


 それは神主の一派も、承知しているはずだった。


 ――案内させるにせよ、主導権を奪わせてはならない。


 神主が鵺を害するより早く、鵺を掴むその手首を落としてしまえばいい。


 しかし愁水が行動に移す前に、隣にいた水代がよろめいた。


「水代? どうした――毒かっ?」


「不信心の表れですな。食事を摂らなかったせいで、〈御神水ごしんすい〉の気が抜けかけておられる」


「何が不信心だ、中毒症状だろうがっ」


 水代が胸元を押さえ、膝から崩れ落ちるのを抱きとめる。


「水代、すまな――」


「謝ら、ないで」


 水代が愁水の口に指先を押し当て、謝罪の言葉を封じた。


「体の、正常な反応なら……耐えられる、から」


 好機を逃すなと、水代が強い眼差しで訴えかけてくる。愁水は頷き返し、水代を背負うと神主に向き直った。


「――次はないぞ」


「ご理解が早くて何より……。こちらへ、若君」


 いくばくもしないうちに、足元が平らな石畳に変わる。


 神主が手燭の灯りを掲げると、地下洞穴の一部が照らされた。天井から無数の鍾乳石しょうにゅうせき御簾みすのように垂れ下がり、その先に巨大な湖が広がっていた。


 そして、二つの人影。


「――ようこそ、若君」


 振り返った朧が、薄く微笑んだ。その足元で、後ろ手に縛られた伯父が、無様に膝をついている。


「お前っ……藤波! たばかりおって……!」


 歯を食いしばっていた伯父が、神主を認めるなりわめきだした。


 そんな伯父を、神主が冷めた目で一瞥いちべつする。


「我らは、城主など誰でも良いのです。今さら血脈にこだわりなどない。そこの陰陽師が城を乗っ取ろうとも、些末さまつなこと。〈儀式〉さえ、つつがなく終えられるのであれば……」


 神主がふと言葉を区切り、厳かに宣言した。


「――これより、儀式を執り行う」


「貴様っ、強欲な盗人が……っ」


 尚もわめき続ける伯父の口を、朧が呪符で封じた。


「お前のような奴は、生まれ変わりでもしないと分からないだろうな。――愁水、勝手をしてはいけないよ。いま逃げても、死ぬだけだ」


 朧が伯父の襟首を掴み、湖のそばまで引き摺って行く。


「朧殿、その者は〈耐性〉がないのだから、その辺に捨て置くのがよろしかろうて」


 神主が不審げに口を挟んだが、朧は穏やかに微笑むばかりだ。


「邪魔をされては困るから、此処まで連れて来たんだ。目を離すべきではないだろう?」


「余計なことを――」


 神主の一派が抗議の声を上げ、朧へと詰め寄った。


 ――三者の思惑が、入り乱れている。


 愁水が立ち止まったままでいると、振り返った朧が指先で愁水を呼ぶ。


 愁水は水代を背負い直し、暗緑色あんりょくしょくに濁った湖のふちに立った。


 黒い霧として目視できるほど、禍々しい瘴気しょうきが強い腐臭と共に立ち昇っている。


 発生源は、湖の中央――半身を氷漬けにされた、蛇のような化物だった。


 三十尺(*)を優に超えるその化物は、力なく項垂うなだれている。


 しかし、そのさまを哀れと思う前に、人間の気配を察した化物が獰猛どうもうそうな蛇眼じゃがんの瞳孔を大きく開き、甲高い奇声を響かせた。


 暁を告げる鶏鳴けいめいと似て非なるモノに、肌はあわ立ち、痺れが走る。


「これが、みずちか」


「……さすが。そこまで突き止めているなら、私から《《最後に》》、この化物の由縁ゆえんを語っておこうか」


 何が〈さすが〉だというのか、朧が微苦笑を浮かべて言った。


「二百八十年前のこと、か?」


「それもご明察。……最後の城主がこの地を去ったとき、城に残った長老――それが、此処ここに居る藤波だ」


 愁水は神主を振り返り、その顔を凝視した。神主は無表情のまま、しかし否定もしなかった。


「入り口は離れているが、此処はちょうど城の真下でね。城主の直系が要となって、蛟を封じていた。ところがその直系が離れた途端、氷は溶け始め、瘴気が噴き出した」


 朧がそう言いながら、足元の氷を指した。蛟を拘束している氷は、湖面に一本の橋を形成している。


 この氷の橋を渡れば蛟に触れられる距離まで近づけるが、鋭い鉤爪を持った手と、太い尾の先端が解き放たれているため、瞬く間に八つ裂きにされるだろう。


「放っておけば、蛟は龍と成ってこの地を去る。その際に引き起こされる洪水で、この地が沈む未来を〈視た〉彼は、こう考えたわけだ。――厄災と恩恵は、表裏一体。荒ぶる神を祀ることで、逆に強力な守護神へと転化させられないか、とね。そこで必要になったのが、生贄だった」


「蛟が、生贄を望んだのか?」


 愁水がそう口を挟むと、朧は剣呑けんのんに目を細めて言った。


「いいや。生贄を《《好む》》のは、いつだって人間なんだよ、愁水」


 ゆったりとした口調だが、毒牙を隠し持つ蛇が鎌首をもたげたような、底冷えのする声音だった。


「力の不安定な蛟が陰陽を調整できるように、生贄は二人――出来れば歳の近い男女が好ましいけれど、そう簡単に調達できるものでもない。そこで、〈生き神信仰〉だ。双子は忌み子とされているし、生贄譚は縁起としても分かりやすいだろう? 彼の目論見通り、民は不老長寿という異様な恩恵さえも、嬉々として受け入れた。――君たちが見たように」


 城下で見たあの異様な信仰心は、その〈恩恵〉への執着であったということだ。


 しかし――。


「俺が知る限り、歴代の城主は短命だったはずだが?」


 愁水の疑問に、朧が懐から小瓶を取り出して振ってみせた。


「城主には、江戸城への登城の義務がある。不老長寿と知られる訳にはいかないから――」


「毒殺したのか」


「その逆だよ。城の近くに居る者は、常に蛟の瘴気にさらされる。だから、城主《《以外》》はこの湖の水を少しずつ飲み、身体に耐性をつけるんだ」


 呪符をがそうともがいていた伯父が、動きを止めた。いまの話が真であれば、伯父の身体は既に瘴気に蝕まれており、短命ということになる。


 ここで、伯父が神主を睨みつけた。血走ったその目を見つめ返し、神主が大仰に頷いてみせる。


「さよう。私が毒の仕込みを買って出たのは、〈御神水〉とすり替えるため。それでも尚、毒や刺客を差し向けるなど……我らが心血を注いだ〈特別製の器〉を害そうなどと、〈《《傀儡》》〉風情が片腹痛い」


 神主が牽制するように、朧を見遣る。朧は皮肉っぽく、肩をすくめてみせた。


「〈前回〉はこの陰陽師の横槍で失敗いたしたが、此度こたびこそ――双子の女に蛟を憑かせ、片割れをその代弁者とすれば、これ以上の犠牲は出さずに済む」


 神主の語りに、熱が籠る。握り合わせた両手は、許しを乞うように震えていた。


「――犠牲の上に成り立つものほど、いびつもろいものはないと思うが?」


 愁水が一蹴すると、


「何も、知らずに……この、痴れ者がっ……」


 神主が、怒りをあらわにする――それよりも激しく、伯父が暴れ出した。


「――そう。お前は用済みということだが、最後に一つ、役目をやろう」


 伯父の襟首を掴んでいた朧が、その体を水中へと突き落とした。


「朧殿、何を――っ?」


 止めに入ろうとした神主の一族に、からすの一群――朧の式神が襲いかかり、湖面へと追いやっていく。


 鋭利なくちばしと爪が皮膚を裂き、湖の一角が血に穢れるのを見た神主が何事かを叫んだ。その手から式神が鵺を奪い取り、朧の元へと攫っていく。

 

 水代を岩場に寝かせた愁水は、朧に斬りかかった。朧が懐から取り出した呪符の束が、鴉へと変じて愁水に襲いかかるのを即座に斬り捨てたが、術者にきっさきが届かない。


 朧が鵺の首を掴んだまま、背を向ける。


「お前、何を企んでいる? 《《最後に》》語ってくれるんだろう?」


 刀を振るう合間にそう問えば、立ち去りかけた朧が足を止めた。


「私はね、この化物を殺してやりたいんだよ。そのために――この儀式は、失敗させることにこそ、意味がある」


「失敗……?」


「そう、死穢しえや血穢というけがれを発生させてね。穢れを溜めるほど、蛟は陰陽の調和を崩して弱体化する。それでも直接葬ることは叶わないから、弱ったところを〈器〉に封じて、器ごと殺す必要がある」


「そいつを、俺と水代にやらせようって魂胆か」


「まさか。私は君たちを蛟の器――しろにする気はないよ。ここに、ちょうど良いのがいるだろう?」


 そう言って、鵺を掲げてみせる。


「これほど穢れの溜まった器も他にない。蛟に力は劣るが、伝承の知名度でいえば鵺は蛟を上回る。――だから、その鵺に蛟を封じて、鵺ごと殺す。それで負の連鎖を終わらせられる。それでも君は、私を止めるのか? 君たち二人が助かる手立てだとしても?」


 愁水が黙って納刀すると、わずかに安堵の色を見せた朧は呪符を懐に収め、引き返してきた。


「愁水、君なら分かってくれるだろうと――」


 朧が間合いに入った刹那せつな、愁水は抜刀と同時に朧の胸元を、返す刀で、鵺を掴む手を斬りつけた。


 懐の呪符が、切り裂かれて宙を舞う。しかし、朧の手は鵺を離さなかった。


「――青いな、愁水」


 朧が印を結ぶと、呪符の紙片が愁水の体に纏わりつき、一縄いちじょうとなって愁水を拘束する。


「何故、私の邪魔をする? 事が終わるまで、そこで大人しく……」


「――気に食わないから、よ。犠牲の上書きなんて!」


 朧が再び印を結ぶより早く、水代の放った弓矢が朧の手を貫き、岩壁に縫い留めた。朧の手から離れて、鵺が地を転がる。


つぐ……っ」


 神主の一族が落としたあずさ弓を手放し、駆け寄ってきた水代が鵺を抱き上げた。


「水代、離れてろっ!」


「あたしだって、戦える!」


 素早く矢を引き抜いた朧が、印を結ぶ。水代もすかさずまじないを詠唱したが、無詠唱の朧の方が早かった。


「水代。君程度の術では、私には敵わないよ」


 視えない壁に阻まれたように、水代の体が弾かれる。


 愁水は力任せに呪符のいましめを破ったが、遅かった。


 朧が伸ばした手を掻い潜り、水代が鵺を抱きしめたまま、湖に身を投げ出した。


 愁水の目にはこの時、水代の唇が《《呪い》》を唱えるのが見えた。


「馬鹿な――」


 派手な水飛沫が上がる。焦った朧が湖に手を差し入れると、異変が起きた。


 ――地が、鳴動している。


 朧の血と、鵺の血と。浮かび上がってこない伯父と神主の一族は、既に水底か。


 穢れが水を介して、蛟をむしばんでいた。


 朧が水代を引き上げたところへ、蛟の尾が振り下ろされる。咄嗟とっさに印を結んだようだったが、朧の体は岩壁に叩きつけられ、地にした。


 封じの氷が半壊し、蛟の首が、湖の淵に倒れる水代の方へと伸びる。愁水は暴れ回る尾を避けて走り、牙をく蛟の額に、刀を突き立てた。


 ――硬い鱗に阻まれ、刀は真っ二つに折れた。


 蛟が奇声を上げて水中に潜り、鳴動がさらに酷くなる。


 瞬く間に濁流が渦を巻いて、あふれ出した。


「水代……嗣巳……!」


 愁水は水代と鵺を抱え込んだが、激しい水圧に押し負け、岩壁に激突した拍子に手を離していた。


 地下から溢れた濁流は、城と城下一帯を呑み込んだ。


 そうして――愁水は倒壊した鳥居の前に倒れた己と、最後まで鵺を離さなかった水代の姿を見下ろした。


「――それ以上は見るな、愁水」


 背後から伸びた男の手が、愁水の目を覆った。


 青年の姿でいるときの、嗣巳の声。


「あの時、お前たち兄妹は最後まで、私を護ろうとしていたのだな。……いま見たことは忘れて、〈後始末〉は全て、私に任せておけ」


 取り戻した記憶の重さに――守れなかったものの重さに、目眩めまいがする。


 しかし、嗣巳の言葉が、愁水の心に火をつけた。


「俺が、応じると思うか?」


「思わないから、頼んでいるんだ」


 頼む口調じゃねえだろう、という愁水の言葉は黙殺して、嗣巳が愁水の肩に額を押し当ててくる。


 それは手負いの獣であった頃、嗣巳が時折見せた仕草だった。例えば、愁水が傷を負った夜などに。


「お前だけでも、〈普通〉に生きてくれ。――これは、私への罰だ」


 その言葉は、確かに懇願だった。


「私は、お前たちに裏切られたと思っていた。……だから、今まで朧を泳がせていた。あれは、〈三度〉儀式に手を出すだろう。私はそのとき、お前たち兄妹を見捨てるつもりだった……」


「それの何が悪い? てめえが生き延びる道を選ぶのは、生き物の本能だろうが」


「いや、もういい。私は充分生きて、長すぎる生に飽いている。私が蛟を封じる器となり、蛟と共に滅しよう。それで、お前たちの呪いが解けるのなら……私には充分すぎるほど、綺麗な終わりを迎えられるだろう」


「馬鹿野郎、諦める前に、頭使えっ!」


 愁水は振り返り、嗣巳の胸倉を掴んだ。


「そんな胸糞悪い結末、俺も水代も許さねえからな。次にまた同じこと言ったら、肥溜こえだめに頭から突っ込んでやる」


「お前は……本当に、諦めが悪いな。……ついでに、言葉遣いも」


「当たり前だ。一度きりの人生で、何で欲しいもん諦めなきゃならねえんだよ。奪いに来るやつがいるなら、奪い返す。――単純な話をこじらせるのは、言い訳が欲しいだけだろ? 自信がねえならそう言えよ。いくらでも、くれてやる」


「山賊みたいな〈若君〉だ」


 微苦笑を浮かべた顔には、諦念の色がちらついて見える。


 しかし、愁水が尚も言い募ろうとする前に、煙の臭いが二人を現実に引き戻した。


 濁流に呑まれた地から、燃え盛る炎に囲まれた家屋へと、景色が切り替わる。


 床に倒れている梔子を抱き起こし、愁水は柊の名を呼んだ。




――――

*三十尺:約九メートル。

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