花妖(6)
「お前……嗣巳?」
「振り向くな。――来たぞ」
背後の声につられて下を見やれば、家臣を引き連れた伯父が、倒れた配下を見つけたところだった。みっともなく地団駄を踏んで悔しがっているが、あまりに醜悪で、出し抜いてやったと誇る気にもなれない。
それを言うならば、出し抜かれたのは愁水の方だ。伯父の留守を狙ったはずが、今回は偽の情報で嵌められたのだ。小悪党らしく、小手先の罠が上手い。
「あの小童が……!」
「――城主殿、良いではありませんか。あれにはまだ使い道がありますゆえ」
吠える伯父の傍らで、件の陰陽師――朧がそう進言した。
「使い道だと?」
「この地で産まれた者は皆、長命と繁栄を約束される代わりに《《呪われる》》のですよ。この呪いからは、何人たりとも逃れることはできません」
木の上からでも、伯父が顔面蒼白となるのが見えた。信心のない男でも、呪いという言葉は怖ろしいようだ。
「呪い、とは……? そのようなことは、何も聞かされておらぬぞ」
朧が沈黙する。正統な血脈ではないからだと、遅れて察したらしい伯父が言葉を失い、怒りに震えている。
対する朧は、伯父が落ち着くのを待って、淡々と告げた。
「――短命か、不死か。どちらが発動するかは運次第。この地から《《逃げれば》》、即座に呪いが発動します」
「しかし、商人は行き来しておるではないか。儂とて――」
「この地から逃げる意思がなければ、見逃されます。双子の生き神の存在が、呪いを抑えている限りは。――それは、双子自身にとっても同じこと。彼らもこの地に留まるしかないのですから、〈儀式〉の日までは生かしておきましょう」
「儀式とは、一体……?」
伯父の声音が、欲の色を孕む。すっかり、朧の話に聞き入っている。
「双子が十七の年になれば――充分に成長したそのときに、儀式が可能となるのです。……続きは、城に戻ってからいたしましょう。誰が聞き耳を立てているか、わかりませぬゆえ」
朧がちらりと、木の上に潜む愁水を見上げた。
愁水は身を固くしたが、朧は薄い笑みを浮かべただけで、何も言わずに立ち去った。
愁水は暫く、身動きができなかった。
十七――後七年、命は保証されたことになる。
しかし、朧の別の言葉が、脳裏に響いて離れなかった。
――この呪いからは、何人たりとも逃れることはできません。
――彼らもこの地に留まるしかないのですから。
〈呪い〉とやらを解かない限り、愁水と水代に自由はない。
愁水は何も知らずに、危うく水代を殺しかけたということだ。
地に落ち、無惨にも踏み潰された藤の簪が何かの象徴のように、脳裏を過る。
そして――神主に腕を掴まれ、愁水と引き離されたときの、水代の泣き顔。
ぐっと拳に力を入れたとき、背後から手首を握られた。あまりに馴染んだ気配に、愁水は一時、背後の存在を忘れていた。
「――自傷など、するな。お前が傷つくことのほうが、水代にとっては辛いだろう」
そう言って、拳を開かされる。強く握ったせいで爪が食い込み、血が滲んでいた。
と同時に、口を袖で塞がれる。気づかないまま、噛み切りかねない強さで、唇を噛んでいた。
力を抜けと言いたげに、ぎこちなく体を引き寄せられ、背後の存在に背を預ける形になる。
それが、不器用な抱擁なのだと気づいたとき、愁水はふと、遠い昔――いつか、どこかで、こんな風に抱きしめられたことがあったような気がした。
もちろん、気のせいだ。母の温もりを知る前に生暖かい血を被ってきた愁水には、己が守るべき妹以外には、知りようもない。
しかし――。
「お前は、よくやっているよ。……私が知っている」
鵺の――嗣巳の言葉が、何の抵抗もなく、胸に落ちた。
涙は流れない。己に、そんな機能があるとも思えない。代わりに、愁水は黙って目を閉じた。
荒ぶっていた心が凪いで、この先やるべきことが見えてくる。
儀式までに力をつけ、水代と嗣巳を連れて、この境遇から脱出する。
――必ず。
そう誓った日から、愁水は鍛錬と探索を重ね――〈あの日〉がやってきた。
――見つけた。
書物を閉じた愁水は、指でこめかみを押さえた。
――〈蛟〉。
たった一つのその言葉に辿り着くまでに、七年もの月日が流れていた。
愁水と水代が、十七になる歳。件の〈儀式〉とやらが行われる年だ。
神主の管理する文庫に幾度も忍び込み、漸く見つけた――龍でもなく、蛇でもないモノの名。
曰く、蛟の卵は土中に生じ、孵る時には地が鳴動し、洪水を引き起こす。これを防ぐ撲蛟の術とは卵を割ってしまうことだが、卵から孵った蛟は有毒で、周囲に瘴気を振りまきながら、水中で千年を経たのち龍となる――。
記録によれば、二百八十年前――乱世最後の城主が敵に包囲された際、数人の家臣を連れて甲斐国に逃れ、十代続いた氏が滅亡。城に残った一族の長老は降伏勧告を受け入れ――。
奇妙なことに、ここから先の文字は、《《全て上書きされて》》いた。今日に続くまで、下に薄っすらと、別の文字が記されている。
まるで、歴史がここで分岐したかのように。
そしてその年から、記録に〈双子の生き神〉の文字が現れるようになるのだ。
「――若君。朝餉をお持ちいたしました」
小姓が膳を運び、逃げるように立ち去る。愁水は、平然と箸をつけた。舌先に微かな痺れと、独特の甘みを感じるが、もはや愁水に少々の毒など効きはしない。
七年前、朧の進言があったのちも伯父は変わらず愁水に刺客を差し向けたが、「殺さず痛めつけろ」と命じていたために、退けることは格段に容易くなった。
そして、毎朝仕込まれる毒。これも日常の一部と化しており、愁水はこの毒も、伯父の手によるものだと思い込んでいたのだが――。
贄代神社の主――蛟が有毒だとすれば、最も近くでその〈神託〉を聴いている水代は、なぜ無事でいるのか。
愁水は勢いをつけて、立ち上がった。
水代の食事を改めたことは、今まで一度もなかった。
己の迂闊さを呪うより、一刻も早く、確かめなければならない。
眠るときも、片時も手放さない愛刀――父である先代藩主の刀を腰の帯に差し、城内の者も知らない隠し通路から、水代の元へと駆けた。
途中、木の上から軽々と跳んできた獣が、愁水の肩に着地する。〈あれ〉以来、一言も話さない鵺が、どうしたのだと目で問うように覗き込んでくる。
口を開きかけた愁水は、その場で動きを止めた。
「……藤波」
水代のいる奥座敷の手前で、神主と遭遇したのだ。この時間帯は本殿にいるはずで、こんなことは初めてだった。
――どう出る?
愁水がその名を呼び、真っ向から見据えると、神主は、愁水から目を逸らせた。見て見ぬふりをしようというらしく、何も言わずに、そそくさと立ち去る。
奇妙な男だと思った。
既に老境の域に達しているが、一族の若衆に継がせる気配はなく、神事を一手に担い続けている。
伯父に与するでもなく、従うように見せかけて、上手く利用している。そうまでしながら、権力に執着するでもなく――。
愁水は去って行く神主の背を見送り、水代の元へと先を急いだ。
「――どうしたの。こんな時間に来るなんて、珍しい」
朝餉の途中であった水代が、不思議そうな顔をする。いつもの白装束が、酷く不吉なものに見えた。
その手から椀と箸を取り上げ、米を口に含み――あの独特の甘みを舌先に感じた愁水は、すぐに同じ毒だと気づいた。
己に盛られているのと、同じ毒。
立ち竦みかけて、愁水はすぐに水代の肩を掴んだ。
「水代、これを食ったのか?」
「今日は、まだ……でも、残すと煩いから、食べないと……」
「いい、食うな。今まで待たせて悪かった。今夜、此処を離れるぞ」
勢いで放った言葉が、急速に現実味を帯びる。
正直〈呪い〉など疑わしいが、心づもり次第で発動しないのであれば、水代の不調が毒によるものと判明したいま、この場に留まるほうが危険性が高い。
藩内から出ずに逃げ回れば、いずれ解呪の術も見つかるだろう――。
「――あたしは、愁について行く」
水代に力強く手を握られ、愁水の迷いは消えた。
その力強い眼差しに、水代もまた愁水を人質に取られ、身動き出来ずにいたのだと知る。
「水代の傍に居てやってくれ。お前も一緒に連れていくからな」
愁水は肩に乗っていた鵺を、水代に抱かせた。嫌ならば、何かしら意思表示をするはずだが、鵺は大人しく水代の腕に収まっていた。
愁水はふっと表情を緩めたが、立ち上がり、足早に座敷を出た。
木の上にいた鴉が数羽、羽音を立てて飛び去っていった。
日が暮れて、山の端と空の境界が群青色に沈む頃、愁水は僅かな携行品を小振りな行李にまとめて出立した。
城の警護は平生より物々しく、死角や抜け道を熟知した愁水であっても、〈包囲網〉を抜けるのに手間がかかった。
途中、鵺代神社の周囲で一様に白装束を纏った神主の一派を見かけると、愁水は火打石で異音を立て、近づいてきた男の首に腕を回し、音もなく締め落とした。
携帯していた紐で気絶した男を縛り、白装束を奪って着替える。身の丈が六尺ある愁水はどうあっても目立つのだが、遠目であれば時間稼ぎくらいにはなるだろう。
頭上で鴉の羽ばたきが聴こえ、咄嗟に岩陰へと身を潜める。鴉の向かった方角から、愁水の脱走を告げる声が上がった。
「――知っているよ。だから、〈儀式〉を急遽、今夜に早めたんだ」
低くゆったりとした声が、そう応じた。穏やかなのは口調だけで、眼差しは抜き身の刀のように鋭い男の――朧の声。
岩陰から顔を出した愁水は、朧の肩に止まった鴉を見て舌打ちした。
「――貴方様は常に、あれの式神に見張られていたのですよ」
愁水の通ってきた抜け道から、神主が現れた。
「藤波……」
「貴方様の使った抜け道は、ごく一部のみ。私が最も安全な道にご案内いたします。――こちらへ」
動こうとしない愁水に、神主は表情を変えないまま膝をつき、頭を垂れた。
「数々のご無礼、お許しくださりませ。私どもは、〈城主殿〉に脅されておるのです」
「……伯父に?」
「我が一族の裏切り者……旅の〈歩き巫女〉などに誑かされ、神主の責務を捨てて此の地より逃げ出した我が愚息の罪を見逃す代わりに、服従を強いられておるのです」
神主の息子――というと、愁水よりも数年、年嵩であったはずだ。言葉を交わしたことはなかったが、名だけは知っている。
「晴吉、と言ったか。その後、息災にしているのか?」
「裏切り者の末路など、知ったことではありませぬ。……が、どこへ逃げても同じこと。〈呪い〉を外に出してはいけなかったというのに……」
神主が落ち窪んだ目を眇め、ぶつぶつと呪詛のように呟く。そこに肉親の情は見られず、瞳の奥では、感情の澱が昏く淀んでいる。
その闇に引き込まれかけたが、愁水は冷静に問い返した。
「俺を伯父に売るか? あの強欲な男への忠誠が、高く売れるとは思わないが。保身に走りたければ、〈城主〉に逆らうのは得策ではないな。――なぜ、一人で此処まで来た?」
刀に手をかけ、そう凄んで見せたが、神主は微動だにしない。
「我らの保身は、〈信仰〉のため。ひいては、この地に住まう者たちを守るためのものにございます。我らが生き神様を、〈余所者〉の好きにさせるわけにはまいりませぬ」
愁水は刀から手を放し、短く告げた。
「案内しろ」
――守る、という言葉の危うさは、愁水自身、身を持って知っている。
この神主から目を離すのは、かえって危険だろう。
「愁……!」
神主と共に現れた愁水に、水代がたじろぎ、腕の抱いた鵺を裾で隠そうとする。
「儀式が終わるまで、藩内を移動しながら身を隠す。藤波がその助力をしてくれるそうだ」
むろん、信じたわけではない。しかし、乗らなければ企みも暴けない。
上手く事が運べば、深層部――呪いの源である〈神〉とやらに近づけるだろう。
愁水が頷いてみせると、水代はおずおずとついてきた。無事に合流できたことに、まずは安堵する。
万が一の場合――水代だけは、命に代えても逃がす。この、鵺と共に。
生い茂る木々の先――禁足地を突き進み、巨石の脇をすり抜けると、視界が開け、眼下には深い谷が横たわっていた。
幅二尺(*)ほどの細い岩棚が、崖の先に細々と伸びている。その岩棚を渡りきり、風雨に晒され、黒ずんだ注連縄を潜ると、岩肌に縦割れの裂け目があった。
神主が懐から火打石を取り出して鳴らし、手燭の芯に火を灯した。揺らめく灯りが、洞穴を照らす。
足元には苔むした階段が続いており、一段降りるごとに、地上の風の音が遠ざかり、ひんやりとした冷気が重みを増す。
「――私は〈夢見〉なのです。貴方様方のお母上ほどではありませぬが」
その道すがら、神主がそう切り出した。
「夢に未来を視る者――か」
「書をご覧になったでしょう。この地は二百八十年前、本来辿るべき道から逸れたのです。城は滅び、三百年続いた血統は途絶え、静かな農村となるはずだった……」
「なるほど。延命と栄華を希い、歪みの上に成り立っているわけか」
愁水の声音に皮肉を聞き取り、神主が昏い目で振り返った。
「それでも――どれほど愚かだと後世に謗られようとも、〈そのとき〉救いたい命があったのです」
強い眼差しに、愁水は虚を突かれた。
――まるで、当事者のようではないか。
「貴方様も、妹御を守るためならば、何だって犠牲にできましょう?」
真っ向から問われ、愁水は同意した。
「――そうだな」
そのとき、きりりと、弦を引き絞る音がした。
背後――洞穴の入り口に気配を感じた愁水は、即座に水代を背に庇い、抜刀した。
しかし飛んできた矢は、愁水の傍をすり抜けた。
「どこを狙って――」
水代の悲鳴が、愁水の言葉を掻き消した。
「やめて……嗣っ!」
振り返ると、神主が水代の手から鵺を奪い、首を掴んで頭上に掲げていた。
――その背に、矢が刺さっている。
「さて、〈蛟〉の元へ案内いたしましょう。呪いの元凶を、その目で確かめたいでしょう」
矢は神主の手をも貫いていたが、神主は顔色一つ変えずに、静かに言い放った。
――――
*二尺:約六十センチ。




