花妖(5)
菅笠(*)で顔を隠した水代が、俯きがちに、物珍しそうに周囲を見回している。
城下にやって来た愁水と水代は、水茶屋の店先、緋毛氈の床几(*)に腰をかけて、通りの往来を眺めていた。
水代が体調不良を理由に付き人を下がらせたあと、人目を避けて連れ出すのは造作もなかった。城下を歩き出して暫くは、肝の据わった水代も、さすがに緊張した面持ちだったが――。
茶屋の娘が菓子を運んでくると、水代が無邪気に歓声を上げた。その声につられたのか、愁水が背負い包みにした風呂敷から、鵺がひょっこりと顔を出す。
「お待ちどおさま、遠州名物の小豆餅で――あら、可愛い。大人しい狸ねえ!」
茶屋の娘が、くすりと笑って言った。
虎や犬の手足、蛇の尾、羽といった奇異な部位が隠れているため、傍目には普通の狸にしか見えないだろう。
「ほら見ろ、笑われたじゃねえか」
愁水が顔をしかめると、水代に頬を摘まれた。
「愁がそんな気難しい顔で狸背負ってるから、余計に可笑しいのよ」
「笑ってりゃ、ましになるのか?」
愁水のぼやきを聞き流し、水代が鵺の口に菓子を運んでやる。
「美味しいね、嗣」
塩味の効いた小豆につきたての餅を頬張りながら、水代が満足そうに笑った。
鈴の鳴るような弾んだその声音に、往来の若い男が幾人か水代を振り返る。
中着の紅が透ける、涼やかな白の絣の振袖に、無地の帯は娘らしいだらり結びにして、一見、大店の商家の娘に見えるだろう。
対して、隣に並ぶ愁水は袴を穿かず、色褪せた藍色の木綿の着流しに細い帯、素足に草履、腰には木刀を下げ、月代は剃らずに髪を無造作に括り――粗野な目つきで通りを睥睨していたため、足を止めていた男たちはそそくさと立ち去った。
「すごいね。いかにも、浪人の家系で育ちましたって風にしか見えないよ。この着物もそうだけど、どこで見繕ってきたわけ?」
「寺子屋の先生に借りた」
「寺子屋って――」
問い返す水代の言葉は、前方からやって来た同世代の童たちの声に掻き消された。
「よお、〈愁一郎〉! 何だよ、連れがいるなんて珍しいじゃねえか。それも、こんな――」
水代は慌てて俯いたが、その仕草が奥ゆかしく見えたらしく、五人の童たちは動揺して押し黙った。
「おい、誰だよこの娘。顔がよく見えねえけど、器量の良さそうな……」
と、一人が顔を赤らめて、愁水に耳打ちする。
「親父の恩人の娘さん。江戸から物見遊山に来たってんで、俺が案内してんだよ」
愁水は用意していた嘘を、流れるように述べた。
愁水同様、着流しに木刀、総髪という出で立ちのこの五人は、同じ道場の門下生だった。下級武士、あるいは浪人の息子たちの通う町道場で、愁水は〈愁一郎〉と名乗っている。
「俺たちにも案内させてくれよ。なっ、いいだろ?」
仲間の懇願に、愁水は思案する素振りを見せたが、道中で門下生に行き合うのは織り込み済みだ。大勢で連れ立って歩けば、〈目眩まし〉になるだろう。
「仕方ねえな。顔を覗き込んだりしねえなら、いいぜ。器量良しなもんで、日頃からじろじろ見られてんだ。可哀想だろ?」
愁水の言葉に期待を膨らませた仲間たちは、わっと歓声を上げかけて、互いの口を慌てて塞いだ。
「そんな無粋なこと、するもんか。なあ?」
「そんで、次はどこに行くんだ?」
「そうだな、小間物屋でも行くか。――その狸、噛むから触るなよ」
愁水の警告に、風呂敷に手を伸ばしかけていた仲間が、さっと手を引いた。
「お前、何だって狸なんか背負ってんだ?」
「このお嬢さんが、一緒に連れて行けってうるせえから」
そう応じれば、心優しいお嬢さんだと、一同感心したように頷いた。狸を背中に縛りつけて、優しいも何もないのだが、疑問も抱かないほどに相好を崩している。
日頃、かしましい町娘や親姉妹としか接することのないせいか、いまの水代は全くの別物――触れれば壊れてしまいそうなほど、繊細に見えるのだろう。
水代がその期待に応えるように、照れた素振りで俯いてみせる。本人はそんな演技を楽しんでいるらしく、口元に笑みを浮かべているが、愁水は心中で密かに詫びていた。
武家の娘とて、逍遥(*)すら許されない者は稀だろう。
――俺が、今よりもっと力をつけたら。
握りかけた拳をほどき、愁水は立ち上がった。
「行こうぜ、お嬢さん。見せてやりてえもんが、沢山あるんだ」
愁水の差し出した手を取って、水代が頷く。
小間物屋に入ると、水代は興味深そうに簪を眺めていた。
「どれが気に入った?」
愁水が問えば、水代が指差したのは、藤の花を模した縮緬のつまみ細工だった。
神事の際、御簾越しではあるが、権威を見せつけるために着飾る姫巫女の装身具は、精緻な金銀細工や象牙、本鼈甲といった極上品ばかりだから、かえって可愛らしく見えたのだろう。
愁水はその簪を買い、笠が落ちないように気を配りながら、店先で水代の髪につけてやった。
「ありがとう。ねえ、何でお金を持っているの?」
水代の疑問に答えようとしたとき、通りから商家の子らが数人駆けてきて、愁水の腕に纏わりついてきた。
「愁一郎先生!」
「……先生?」
水代が首を傾げると、
「こいつ、寺子屋で先生の手伝いをしているんですよ」
「算術もできるし、絵に関しては神童って言われていて」
と、会話の糸口を掴もうと必死な仲間たちが、口々にそう説明してみせた。
持ち上げられた愁水は、苦笑いするしかない。伯父の横槍で、愁水には武家の嫡男としては最低限の勉学しか施されておらず、算術などは寺子屋で学んだほどだ。
絵だけは邪魔されずに学べたが、それは藩主に必要のない素養であったからだ。
「愁一郎先生、次は目の子算(*)を教えてね」
「おう、任せとけ」
愁水が頭を豪快に撫でてやると、商家の子らは愁水に手を振りながら、またどこかへ駆けていった。
愁一郎先生、と今度は町道場の仲間らが、愁水をからかってくる。
ふと、愁水は水代の様子が気になった。愁水は幾度も城を抜け出していたが、水代は同世代との交流というものを経験したことがない。
今の光景を見て、心が乱れたのではないか。狡いと感じたのではないか――。
しかし、目元は笠で隠れているものの、水代は口元に淡い笑みを浮かべていた。
その理由を、当人が愁水の耳元に口を寄せて告げた。
「ちょっとでも息抜きできる場所があって、良かった。……愁はいつも、一人で戦っているから」
それが心からの言葉だと、双子である愁水には分かる。身内の贔屓目もあるだろうが、愁水は水代のこの度量の広さに、幾度も救われてきた。
「そうだな……」
と、愁水も素直に認めた。
名や身分えお偽っているぶん、城下に居るときも気は抜けないのだが、一時でも同じ目線で語らえる相手がいることは、どこかで支えになっていたかもしれない。
町人地の広小路(*)では、見世物小屋の前で片肌脱ぎになった男が木戸札(*)を片手に、大声で客を呼び込んでいた。
箱に入れた小型の人形を操る傀儡師に、猿廻し――と、各々の興行の声が祭囃子のように響くが、これが日常の景だ。
路上の一隅では、木の棒を並べた算置の易者が、大袈裟な声音で吉凶を占じている。
童が囲んでいる覗機関は、覗けば箱のなかに絵が次々と現れ、有名な物語を紡ぐ。
忙しなく四方を見つめていた水代が、神仏の縁起譚を語る、ささら説教の前で足を止めた。
曰く、この地は古来より水に恵まれた土地であったが、〈暴れ天竜〉の異名で知られる天竜川に、大井川――洪水の多発する地でもあり、冷夏と大雨の重なった年は、村が壊滅することも多々あった。
しかしある時代、双子の生き神様が〈邪神〉を封じたことにより、雨量は抑えられ、この地に《《永遠の》》繁栄がもたらされた――。
以来、身分による貧富の差はあれど、この地で飢え死にすることはなくなり、人々の寿命は長く、病知らずで医者要らず、だという。
「――〈邪神〉って、何なのかしら」
愁水も感じた疑問を、水代が口に出した途端、道場仲間らの顔つきが変わった。
「それは、言っちゃあいけねえことになっているんだ。――なあ、愁一郎」
尋常ではない様子に、愁水はそうだな、とだけ応じた。
仲間らの目が、一様に据わっている。
「そうなの? でも、せっかくありがたいお説教を聴かせていただいたのだから、余所者の私にも少しだけ教えて下さらないかしら?」
肝の据わっている水代は、憶さず仲間らに詰め寄った。水代の懇願に、五人は迷いの色を覗かせる。
「どうせ明日には此処を去るのだし、少しくらい話したって、誰にもばれっこないわ。ねえ?」
「そうだな……龍や蛇じゃない、とだけ。これ以上はだめだ!」
小声で一人がそう漏らし、それだけでも大袈裟に肩を震わせた。
――そんな伝承、聞いたことねえぞ。
愁水は密かに眉を顰めた。
城下で手に入る書にも、城の文庫にも記されていない。
残るは、神主の一族が所持する書か――。
愁水が思案する間に、喧騒がふっと途絶えた。
何事かと振り返れば、神主の一族――水代の付き人達が血相を変えて、四方を探し回っていた。
――気づかれたか。
神主の一族は、水代を傷つけはしない。わざわざ〈姫巫女〉と呼ぶほど、巫女を神聖視している。
しかし、愁水はすぐに水代の手を取り、その場を離れようとした。
神主は、決して味方ではない。双子の逃走を阻むという点で利害が一致すれば、愁水に刺客を差し向ける伯父とも、平然と手を組む。
現に――。
神主の一派の背後に、伯父の腹心の家臣団が見えた。荒々しい空気を振りまきながら、通りを睨めつけ、大股で歩いてくる。
ここで愁水を捕まえれば、伯父は神主の制止を振り切り、嬉々として愁水を葬るだろう。神主が何と言おうと、所詮は武力が物を言う。
「――あっ」
横路から飛び出してきた童を避けようとして、水代が体勢を崩した。
すぐに愁水が掴んでいた手を引き寄せたが、水代が悲鳴を上げた。
「待って!」
「どうしたっ?」
「簪を落とした――」
水代が勢いよく振り返って、地面に手を伸ばそうとする。
その拍子に強い風が吹き、水代の笠が飛んだ。
仲間の一人が笠を拾い、水代の顔を見て目を見開く。
愁水とよく似た面差し。背丈の差はあれど、並べばすぐに双子と察せられるほど、二人の目鼻立ちは似通っている。
「――生き神様だっ!」
制止する間もなく、仲間の一人が叫んだ。
その場の全てが動きを止め、水を打ったような静寂が波紋の如く広がる。
愁水が駆け出そうとすると、道場仲間たちが立ち塞がった。
「――お戻りください、生き神様」
木刀に手をかけた愁水は、目の前の光景に愕然とした。
皆が地に頭をつき、平伏したのだ。生き神様、と縋るように合唱する。
愁水は構わず群衆を掻き分けようとしたが、逃げる素振りを見せるなり、仲間の一人が足にしがみついてきた。
「我らを《《見捨てる》》のですかっ?」
狂信的な眼差しに、木刀を掴み損ねた。群衆を蹴散らす勢いで、伯父の家臣団がすぐそこまで迫ってくる。
この時、いますぐ全てを捨てて、逃げるべきかとも思った。しかし実際には、愁水は抵抗せずにその場で捕らえられ、水代の身柄は神主に引き渡された。
愁水は罪人のように引き立てられ、人目のない山中に連れて来られた。
家臣団は五人。頭と腹を容赦なく踏みつけられ、気が飛びそうになる。それでも、風呂敷にくるんだ鵺に覆いかぶさって庇っていると、嘲笑が湧いた。
「間もなく、〈城主様〉がお出でになられる。それまでに始末せよとのお達しだ」
家臣の一人が抜刀し、地に膝をついた愁水の首に、真っ向から刀を振り下ろした。
太刀取りの機を伺っていた愁水は、斬撃を躱すと同時に相手の両手ごと柄を掴み、小手返しで肘を極めて前のめりに転ばせた。
奪った刀を振りかぶり、一人目を袈裟斬りに、背後に回った二人目は振り向きざまに、刀身を水平に構え、鋒に指を添えた添え手突きにして、脇腹を突き刺した。
しかし残る三人に取り囲まれ、鍔迫り合いとなった最中に、足を斬りつけられた。咄嗟に身を引いたため、腱は切られなかったが、痛みと衝撃に耐えきれずに膝をつく。
三振の刀が振り下ろされる。
決して、目を逸らすものか――。
そう固く誓ったはずが、視界が反転し、体がふわりと浮遊する。
気づけば、愁水は木の枝に立ち、倒れている五人の家臣団を見下ろしていた。
何が起こった――と言いかけて、口を噤む。
〈誰か〉が背後から、愁水の腰を抱えていた。
――化物か?
愁水よりもずっと背が高いようだが、瞬きの間に木の上へと飛ぶなど、およそ人間に出来る芸当ではない。
けれどすぐに、背後よりも、鵺の行方が気にかかった。
「どこだ、嗣巳――。おい、離せよっ」
愁水が身を乗り出そうとすると、すぐさま引き戻された。
「――ここに居る」
深みのある、澄んだ声音。数拍遅れでその言葉の意味を理解した愁水は、ぴたりと動きを止めた。
――――
*菅笠:日除けの笠。
*床几:腰掛け。
*逍遥:散歩。
*木戸札:入場券。
*目の子算:暗算。
*広小路:幅の広い街路。火災の延焼を防ぐ目的で道幅を広げた火除地。市民の憩いの場や繁華街として発展。




