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幽世庵モノガタリ~化物絵師と鵺~【幕末あやかしバディ×民俗学ミステリー・全3部・9月末完結予定】  作者: Yum
第十幕 雨禁獄

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花妖(5)




 菅笠すげがさ(*)で顔を隠した水代が、うつむきがちに、物珍しそうに周囲を見回している。


 城下にやって来た愁水と水代は、水茶屋みずぢゃやの店先、緋毛氈ひもうせん床几しょうぎ(*)に腰をかけて、通りの往来を眺めていた。


 水代が体調不良を理由に付き人を下がらせたあと、人目を避けて連れ出すのは造作もなかった。城下を歩き出してしばらくは、肝の据わった水代も、さすがに緊張した面持ちだったが――。


 茶屋の娘が菓子を運んでくると、水代が無邪気に歓声を上げた。その声につられたのか、愁水が背負しょい包みにした風呂敷から、鵺がひょっこりと顔を出す。


「お待ちどおさま、遠州名物の小豆餅あずきもちで――あら、可愛い。大人しい狸ねえ!」


 茶屋の娘が、くすりと笑って言った。


 虎や犬の手足、蛇の尾、羽といった奇異な部位が隠れているため、傍目には普通の狸にしか見えないだろう。


「ほら見ろ、笑われたじゃねえか」


 愁水が顔をしかめると、水代に頬をつままれた。


「愁がそんな気難しい顔で狸背負(しょ)ってるから、余計に可笑しいのよ」


「笑ってりゃ、ましになるのか?」


 愁水のぼやきを聞き流し、水代が鵺の口に菓子を運んでやる。


「美味しいね、つぐ


 塩味の効いた小豆につきたての餅を頬張りながら、水代が満足そうに笑った。


 鈴の鳴るような弾んだその声音に、往来の若い男が幾人か水代を振り返る。


 中着の紅が透ける、涼やかな白のかすりの振袖に、無地の帯は娘らしいだらり結びにして、一見、大店おおだなの商家の娘に見えるだろう。


 対して、隣に並ぶ愁水ははかま穿かず、色褪いろあせた藍色の木綿の着流しに細い帯、素足に草履、腰には木刀を下げ、月代さかやきは剃らずに髪を無造作にくくり――粗野そやな目つきで通りを睥睨へいげいしていたため、足を止めていた男たちはそそくさと立ち去った。


「すごいね。いかにも、浪人の家系で育ちましたって風にしか見えないよ。この着物もそうだけど、どこで見繕みつくろってきたわけ?」


「寺子屋の先生に借りた」


「寺子屋って――」


 問い返す水代の言葉は、前方からやって来た同世代の童たちの声に掻き消された。


「よお、〈愁一郎しゅういちろう〉! 何だよ、連れがいるなんて珍しいじゃねえか。それも、こんな――」


 水代は慌てて俯いたが、その仕草が奥ゆかしく見えたらしく、五人の童たちは動揺して押し黙った。


「おい、誰だよこの。顔がよく見えねえけど、器量の良さそうな……」 


 と、一人が顔を赤らめて、愁水に耳打ちする。


「親父の恩人の娘さん。江戸から物見遊山に来たってんで、俺が案内してんだよ」


 愁水は用意していた嘘を、流れるように述べた。


 愁水同様、着流しに木刀、総髪という出で立ちのこの五人は、同じ道場の門下生だった。下級武士、あるいは浪人の息子たちの通う町道場で、愁水は〈愁一郎〉と名乗っている。


「俺たちにも案内させてくれよ。なっ、いいだろ?」


 仲間の懇願に、愁水は思案する素振りを見せたが、道中で門下生に行き合うのは織り込み済みだ。大勢で連れ立って歩けば、〈目眩めくらまし〉になるだろう。

 

「仕方ねえな。顔を覗き込んだりしねえなら、いいぜ。器量良しなもんで、日頃からじろじろ見られてんだ。可哀想だろ?」


 愁水の言葉に期待を膨らませた仲間たちは、わっと歓声を上げかけて、互いの口を慌ててふさいだ。


「そんな無粋なこと、するもんか。なあ?」

 

「そんで、次はどこに行くんだ?」


「そうだな、小間物屋こまものやでも行くか。――その狸、噛むから触るなよ」


 愁水の警告に、風呂敷に手を伸ばしかけていた仲間が、さっと手を引いた。


「お前、何だって狸なんか背負ってんだ?」


「このお嬢さんが、一緒に連れて行けってうるせえから」


 そう応じれば、心優しいお嬢さんだと、一同感心したように頷いた。狸を背中に縛りつけて、優しいも何もないのだが、疑問も抱かないほどに相好を崩している。


 日頃、かしましい町娘や親姉妹おやきょうだいとしか接することのないせいか、いまの水代は全くの別物――触れれば壊れてしまいそうなほど、繊細に見えるのだろう。


 水代がその期待に応えるように、照れた素振りでうつむいてみせる。本人はそんな演技を楽しんでいるらしく、口元に笑みを浮かべているが、愁水は心中しんちゅうで密かにびていた。


 武家の娘とて、逍遥しょうよう(*)すら許されない者はまれだろう。


 ――俺が、今よりもっと力をつけたら。


 握りかけた拳をほどき、愁水は立ち上がった。


「行こうぜ、お嬢さん。見せてやりてえもんが、沢山あるんだ」


 愁水の差し出した手を取って、水代が頷く。


 小間物屋に入ると、水代は興味深そうにかんざしを眺めていた。


「どれが気に入った?」


 愁水が問えば、水代が指差したのは、藤の花をした縮緬ちりめんのつまみ細工だった。


 神事の際、御簾みす越しではあるが、権威を見せつけるために着飾る姫巫女の装身具は、精緻な金銀細工や象牙ぞうげ本鼈甲ほんべっこうといった極上品ばかりだから、かえって可愛らしく見えたのだろう。


 愁水はその簪を買い、笠が落ちないように気を配りながら、店先で水代の髪につけてやった。


「ありがとう。ねえ、何でお金を持っているの?」


 水代の疑問に答えようとしたとき、通りから商家の子らが数人駆けてきて、愁水の腕にまとわりついてきた。


「愁一郎先生!」


「……先生?」


 水代が首を傾げると、


「こいつ、寺子屋で先生の手伝いをしているんですよ」


「算術もできるし、絵に関しては神童って言われていて」


 と、会話の糸口を掴もうと必死な仲間たちが、口々にそう説明してみせた。


 持ち上げられた愁水は、苦笑いするしかない。伯父の横槍で、愁水には武家の嫡男としては最低限の勉学しか施されておらず、算術などは寺子屋で学んだほどだ。


 絵だけは邪魔されずに学べたが、それは藩主に必要のない素養であったからだ。


「愁一郎先生、次は子算こざん(*)を教えてね」


「おう、任せとけ」


 愁水が頭を豪快に撫でてやると、商家の子らは愁水に手を振りながら、またどこかへ駆けていった。


 愁一郎先生、と今度は町道場の仲間らが、愁水をからかってくる。


 ふと、愁水は水代の様子が気になった。愁水は幾度も城を抜け出していたが、水代は同世代との交流というものを経験したことがない。


 今の光景を見て、心が乱れたのではないか。ずるいと感じたのではないか――。


 しかし、目元は笠で隠れているものの、水代は口元に淡い笑みを浮かべていた。


 その理由を、当人が愁水の耳元に口を寄せて告げた。


「ちょっとでも息抜きできる場所があって、良かった。……愁はいつも、一人で戦っているから」


 それが心からの言葉だと、双子である愁水には分かる。身内の贔屓目ひいきめもあるだろうが、愁水は水代のこの度量の広さに、幾度も救われてきた。


「そうだな……」


 と、愁水も素直に認めた。


 名や身分えお偽っているぶん、城下に居るときも気は抜けないのだが、一時いっときでも同じ目線で語らえる相手がいることは、どこかで支えになっていたかもしれない。




 町人地の広小路ひろこうじ(*)では、見世物小屋の前で片肌脱ぎになった男が木戸札きどふだ(*)を片手に、大声で客を呼び込んでいた。


 箱に入れた小型の人形を操る傀儡師くぐつしに、猿廻さるまわし――と、各々の興行の声が祭囃子のように響くが、これが日常のけいだ。


 路上の一隅ひとすみでは、木の棒を並べた算置さんおき易者えきしゃが、大袈裟な声音で吉凶をせんじている。


 童が囲んでいる覗機関のぞきからくりは、覗けば箱のなかに絵が次々と現れ、有名な物語を紡ぐ。


 忙しなく四方を見つめていた水代が、神仏の縁起譚を語る、ささら説教の前で足を止めた。


 いわく、この地は古来より水に恵まれた土地であったが、〈暴れ天竜〉の異名で知られる天竜川に、大井川――洪水の多発する地でもあり、冷夏と大雨の重なった年は、村が壊滅することも多々あった。


 しかしある時代、双子の生き神様が〈邪神〉を封じたことにより、雨量は抑えられ、この地に《《永遠の》》繁栄がもたらされた――。


 以来、身分による貧富の差はあれど、この地で飢え死にすることはなくなり、人々の寿命は長く、病知らずで医者要らず、だという。


「――〈邪神〉って、何なのかしら」


 愁水も感じた疑問を、水代が口に出した途端、道場仲間らの顔つきが変わった。


「それは、言っちゃあいけねえことになっているんだ。――なあ、愁一郎」


 尋常ではない様子に、愁水はそうだな、とだけ応じた。


 仲間らの目が、一様にわっている。


「そうなの? でも、せっかくありがたいお説教を聴かせていただいたのだから、余所者の私にも少しだけ教えて下さらないかしら?」


 肝の据わっている水代は、おくさず仲間らに詰め寄った。水代の懇願に、五人は迷いの色を覗かせる。


「どうせ明日には此処を去るのだし、少しくらい話したって、誰にもばれっこないわ。ねえ?」


「そうだな……龍や蛇じゃない、とだけ。これ以上はだめだ!」


 小声で一人がそう漏らし、それだけでも大袈裟に肩を震わせた。


 ――そんな伝承、聞いたことねえぞ。


 愁水は密かに眉をひそめた。


 城下で手に入る書にも、城の文庫にも記されていない。


 残るは、神主の一族が所持する書か――。


 愁水が思案する間に、喧騒がふっと途絶えた。


 何事かと振り返れば、神主の一族――水代の付き人達が血相を変えて、四方を探し回っていた。


 ――気づかれたか。


 神主の一族は、水代を傷つけはしない。わざわざ〈姫巫女〉と呼ぶほど、巫女を神聖視している。


 しかし、愁水はすぐに水代の手を取り、その場を離れようとした。


 神主は、決して味方ではない。双子の逃走を阻むという点で利害が一致すれば、愁水に刺客を差し向ける伯父とも、平然と手を組む。


 げんに――。


 神主の一派の背後に、伯父の腹心の家臣団が見えた。荒々しい空気を振りまきながら、通りをめつけ、大股で歩いてくる。


 ここで愁水を捕まえれば、伯父は神主の制止を振り切り、嬉々として愁水を葬るだろう。神主が何と言おうと、所詮しょせんは武力が物を言う。


「――あっ」


 横路から飛び出してきた童を避けようとして、水代が体勢を崩した。


 すぐに愁水が掴んでいた手を引き寄せたが、水代が悲鳴を上げた。


「待って!」


「どうしたっ?」


「簪を落とした――」


 水代が勢いよく振り返って、地面に手を伸ばそうとする。


 その拍子に強い風が吹き、水代の笠が飛んだ。


 仲間の一人が笠を拾い、水代の顔を見て目を見開く。


 愁水とよく似た面差し。背丈の差はあれど、並べばすぐに双子と察せられるほど、二人の目鼻立ちは似通っている。


「――生き神様だっ!」


 制止する間もなく、仲間の一人が叫んだ。


 その場の全てが動きを止め、水を打ったような静寂が波紋のごとく広がる。


 愁水が駆け出そうとすると、道場仲間たちが立ち塞がった。


「――お戻りください、生き神様」


 木刀に手をかけた愁水は、目の前の光景に愕然がくぜんとした。


 皆が地に頭をつき、平伏したのだ。生き神様、とすがるように合唱する。


 愁水は構わず群衆を掻き分けようとしたが、逃げる素振りを見せるなり、仲間の一人が足にしがみついてきた。


「我らを《《見捨てる》》のですかっ?」


 狂信的な眼差しに、木刀を掴み損ねた。群衆を蹴散らす勢いで、伯父の家臣団がすぐそこまで迫ってくる。


 この時、いますぐ全てを捨てて、逃げるべきかとも思った。しかし実際には、愁水は抵抗せずにその場で捕らえられ、水代の身柄は神主に引き渡された。


 愁水は罪人のように引き立てられ、人目のない山中に連れて来られた。


 家臣団は五人。頭と腹を容赦なく踏みつけられ、気が飛びそうになる。それでも、風呂敷にくるんだ鵺に覆いかぶさって庇っていると、嘲笑が湧いた。


「間もなく、〈城主様〉がお出でになられる。それまでに始末せよとのお達しだ」


 家臣の一人が抜刀し、地に膝をついた愁水の首に、真っ向から刀を振り下ろした。


 太刀取りの機を伺っていた愁水は、斬撃をかわすと同時に相手の両手ごと柄を掴み、小手返しで肘を極めて前のめりに転ばせた。


 奪った刀を振りかぶり、一人目を袈裟斬りに、背後に回った二人目は振り向きざまに、刀身を水平に構え、きっさきに指を添えた添え手突きにして、脇腹を突き刺した。


 しかし残る三人に取り囲まれ、つば迫り合いとなった最中に、足を斬りつけられた。咄嗟に身を引いたため、すじは切られなかったが、痛みと衝撃に耐えきれずに膝をつく。


 三振みふりの刀が振り下ろされる。


 決して、目を逸らすものか――。


 そう固く誓ったはずが、視界が反転し、体がふわりと浮遊する。


 気づけば、愁水は木の枝に立ち、倒れている五人の家臣団を見下ろしていた。


 何が起こった――と言いかけて、口をつぐむ。


 〈誰か〉が背後から、愁水の腰を抱えていた。


 ――化物か?


 愁水よりもずっと背が高いようだが、瞬きの間に木の上へと飛ぶなど、およそ人間に出来る芸当ではない。


 けれどすぐに、背後よりも、鵺の行方が気にかかった。


「どこだ、嗣巳――。おい、離せよっ」


 愁水が身を乗り出そうとすると、すぐさま引き戻された。


「――ここに居る」


 深みのある、澄んだ声音。数拍遅れでその言葉の意味を理解した愁水は、ぴたりと動きを止めた。




――――

*菅笠:日除けの笠。

*床几:腰掛け。

*逍遥:散歩。

*木戸札:入場券。

*目の子算:暗算。

*広小路:幅の広い街路。火災の延焼を防ぐ目的で道幅を広げた火除地ひよけち。市民の憩いの場や繁華街として発展。


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