花妖(4)
若君、と追い縋る小姓を城内で撒き、元服前の――十歳の愁水は、人気のない高台の社へと足を向けた。
御神木の根元に立膝をついて、気を抜いた《《風》》に、蘭学の書を開く。
――そろそろ、《《寄越してくる》》頃合いだろう。
その読みを肯定するように、首筋に微かな風の動きを感じた。
気配も、衣擦れの音もない。しかし、背後で〈刺客〉が刀を振りかぶるのを察した愁水は、左手で鯉口を切った。
振り向きざまに刺客の太刀を摺って受け流し、鍔迫り合いから柄を跳ね上げる。
愁水は体勢を崩した刺客の内懐へ果敢に踏み込むと、その両の手首を一太刀で斬り落とした。
刺客の悲鳴も止まぬ内に、藪から第二、第三の刺客が飛びかかってくる。
伯父の雇う刺客は、すでに五尺三寸(*)ほどの背丈とはいえ、愁水のような童相手にも容赦がない。
しかし――。
愁水は背に回した刀身で初太刀を受け止め、二太刀目を体捌きで躱すと、体を沈めて瞬時に二人目の足首を斬り、返す刀で三人目の咽喉を突いた。
その場に倒れ伏した刺客は、身を引き摺って方々《ほうぼう》に逃げ出した。
容赦がない代わりに、所詮は金で雇われた流れ者であるから、伯父への忠誠心も、依頼を完遂する覚悟もない。
愁水は深追いせず、その場に留まった。
刺客に致命傷を与えなかったのも慈悲ではなく、刀身の損傷を最小限に抑えるためだ。命を奪わずとも、多量の出血を促す、あるいは手足を損傷させるだけで、剣客としては殺したことになる。
当然、四人目の刺客を想定してのことだ。
現に、石段を登る、微かな足音が近づいてくる。
禁足地であるこの社に近づくのは、愁水の他には伯父の刺客くらいなものだ。
――何せ、伯父は信仰心を持たない野心家だ。
血振りした刀を構え、足音の主を待ち受ける。現れたのは、黒い狩衣姿の――陰陽師らしき身なりの、上背のある男だった。
「……鷹臣?」
黒衣の男が、そう呟いた。
亡霊を見たかのように、目を見開いて。
慕わしい名を呼ぶように、掠れた声で――。
「――お前は、誰だ?」
愁水が鋭く問いかけると、男は夢から醒めたように表情を改めた。生気のない蒼白い顔に、能面のような薄い笑みが浮かぶ。
「無礼をいたしました、若君。私は流れの陰陽師、朧と申します。以後、お見知りおきを」
慇懃無礼、とはこの男のためにある言葉だろうと、愁水は思った。元服前と侮っているのか、柔らかな口調には含みがある。
深みのある声音に、理知的な眼差しをしているが――どうにも、胡散臭い男だ。
「……伯父上の客人か。此処が禁足地と知っての来訪か?」
「存じておりますとも。この地の〈双子の生き神〉信仰のことも、ね。……若君は、鵺代神社が祀るモノの正体をご存知か?」
「正体……? 神に正体などあるのか」
双子の生き神信仰――。
妹の水代が〈神〉の声を聴き、その片割れである愁水が文字に書きつけ、伯父が読み上げるという形で祭事を執り行ってはいるが、その内容は伯父に都合の良いように捻じ曲げられる。
それで神罰もないのだから、愁水は神の正体など考えたこともなかった。
人間の都合に振り回される、ちっぽけで哀れな籠の鳥――。己と大差ないモノだと思っていたのだが。
「時が来れば、お教えしましょう。この地に関しては、私のほうが詳しいようだ」
意味ありげな言だけを残して、男が踵を返す。その背に向かって、愁水は問いかけた。
「お前、俺を鷹臣と呼んだな。そんなに似ているか?」
「ええ……いや、そう思いたかっただけ、かもしれません。若君の《《目は》》、お母上に似ておいでだ」
明言を避ける形で、朧はそう答えて去っていった。
己の両親――先代藩主と鵺代神社の巫女は、〈失踪〉して行方知れずということになっている。伯父が口外を禁じているため、真相はわからない。
ただ、豪傑で知られていたという先代藩主に、伯父が手を出したとは思えなかった。裏で立ち回る小悪党らしく、本人には胆力も武勇もない。
そもそも、伯父は養子だった。将軍への初御目見得の直前で実子の鷹臣が生まれたため、その境遇は不憫ではあるが、鷹臣の失踪後、愁水の後見人となって味を占めたらしい。
生き神として、ごく一部の――伯父の息のかかった家臣団にしか姿を見せない愁水には、数人の影武者がいる。
伯父が〈大人しい傀儡〉ではない愁水を亡き者とし、影武者との入れ替えを画策して、早数年。
妹の水代を人質に取られている愁水は、毒や刺客を躱しながら日々鍛錬を重ね、機が熟すのを待っていた。
水代と、ついでに一匹の〈化物〉を連れて、この地を離れる日を――。
愁水が蘭学の書を拾おうとしたとき、上からくぐもった呻き声が聞こえてきた。
御神木の上に潜んでいた刺客の首筋に、〈狸〉が噛みついていた。足を滑らせた刺客が下敷きにしようと、狸の首を掴む――その手を、愁水は横一文字で斬り落とした。
石畳に、頭蓋の砕ける嫌な音。と同時に、納刀を終えた愁水は両手を伸ばし、宙に投げられた狸を受け止めた。
「――無茶すんなよ、嗣巳。手当てしてやったのに、また傷口が開いちまったじゃねえか」
およそ若君らしくない、砕けた口調で語りかけたが、蛇の尾に虎の足、おまけに小さな羽まで生やした狸――弱って小さくなった鵺は、愁水の腕に収まったまま、ふいと顔を背けた。
いつまでも慣れることのない、獣。愁水は嗣巳と名付けた鵺を腕に抱えたまま歩き出し、構わず話し続けた。
「化物のなかには、人の言葉を話すやつもいるんだろ? いつか、お前と話してみてえな」
横目で盗み見たが、鵺は機嫌が悪そうにそっぽを向いたままだ。言葉は交わさずとも、気位の高さが伝わってくる。
――その気位の高い化物に、寄り添われているのだ、ということも。
どんなに底冷えのする夜も、決して愁水の布団のなかに入らないのだが、愁水が刀傷を負ったときは一晩中、布団の隅で蹲っている。
そうしておきながら、愁水すらも警戒して眠らないのだから、えらく難儀な化物だ。
「――愁っ、嗣も連れて来た?」
奥に進めば、山間に不似合いな、豪奢な社が現れる。その一角に、水代の寝起きする奥座敷があった。
巫女装束姿の水代は、〈姫巫女〉と呼ばれて傅かれている。
明朗闊達で、時に激しさを覗かせるものの、その気性に反して寝込むことが多い。
医術の心得のある神主が傍で仕えてはいるが、原因は分かっていない。
「あっ、また怪我してる。あたしに貸して!」
愁水の腕から嗣巳を抱き上げ、水代が新しい巻木綿と替えてやったが、相変わらず縛り方がきつい。
「貸せよ、水代。手当てってのは、こうやるんだぜ」
「愁、また言葉遣いが荒っぽくなってる。城下に遊びに行ってるんでしょ? あたしも行きたい!」
「遊んでるわけじゃねえよ。変装して、町道場で稽古つけてもらってるだけだ。――ほら、菓子を買ってきてやったから、これで勘弁な」
懐から菓子の包みを取り出すと、水代の顔がぱっと華やいだ。
「この前言ってた、茶饅頭?」
「それだけどな、味噌みてえな色だから、周りは味噌饅頭って呼んでたな。味噌入ってねえのに」
「黒糖なんだよね? お茶――はいいや。もう食べちゃえ」
美味しそうに饅頭を頬張る姿は、神聖な姫巫女からは程遠い。体調を崩していないときは俊敏な身のこなしで木登りまでやるのだから、寝込む姿を見ると、一層やりきれない思いになる。
水代の体調不良の原因がわかるまでは、迂闊に連れ出せない。愁水も蘭学から、薬の原料や効能を記した本草書まで、幅広く目を通してはいるが、結果は捗々《はかばか》しくない。
「嗣巳、口開けろ。食わなきゃ傷も治らねえぞ。――毒なんか入ってねえって。毒味してたの、見てただろ?」
食べやすいように千切って、饅頭を口元に運んでやると、鵺は渋々といった様子で口を開けた。
あたしもやる、と水代が手を伸ばして、鵺を抱きしめる。鵺は苦しそうにしながらも、初めてのときのように噛もうとはしなかった。
「――ねえ、あたしも城下に連れていってよ。愁水が変装できるなら、あたしだってやれるわよ。もちろん、嗣もね」
菓子で誤魔化せたかと思えば、かえって興味を惹いてしまったらしい。
姫巫女を社から連れ出したとなれば、神主の一派も黙ってはいないだろう。伯父と密会を重ねているという噂もあり、下手をすれば水代が幽閉される恐れもある。
加えて、先日――愁水は伯父の企みと面目を叩き潰したばかりだった。
伯父が年貢の増徴を促す文言を読み上げたため、愁水は隠し持っていた小石を投擲して伯父の手を打ち、家臣団の前に紙を落とさせたのだ。それも、伯父に反感を抱く一派に、その文字がよく見えるように。
そうした事情の数々が頭を巡ったが、愁水は全て呑み込み、約束した。
「――わかった。連れて行ってやるよ」
――――
*五尺三寸:約160cm




