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幽世庵モノガタリ~化物絵師と鵺~【幕末あやかしバディ×民俗学ミステリー・全3部・9月末完結予定】  作者: Yumiko
第十幕 雨禁獄

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花妖(2)



 ――らずの雨。


 勢いを増した雨音に、祈祷簿を記していた嗣巳の手が止まった。


 帰したくない〈誰か〉を引き留めるような雨を、そう呼ぶのだと、いつか何処どこかで聞いたことがある。


 そんな風に、愁水も〈何か〉に足止めを食らっているのではないかと、ふと思ったのだ。


 愁水が庵を空けて、既に四日が経つ。絵の依頼客が逗留とうりゅうする宿場に泊まり込み、数日かけて絵を描く――それ自体は、珍しくもなかったのだが。


 筆を持つ手とは反対の指で、文机を小刻みに叩く。


 ――愁水の様子が、可笑おかしかった。

 

 珍しく行き先と用件を事細かに告げたのも、こちらに背を向けていたのも、平生よりわずかに口早だったのも――。


 言ってしまえば、「今から嘘をつきます」とでもいうような気負いが感じられて、挙動全てが怪しかったのだ。


 ――赤子でもあるまいし、何を過保護な。


 嗣巳は、小さく息を吐いた。愁水の無茶が続き、過敏になっているという自覚はある。


 それなりに忙しい朝で、日頃の記帳に加え、間近に迫る祭礼にも気を配らなければならないのだが、どうにも思考は散漫だ。


 がりなりにも神社の体裁を保つには、せめてくぐり――年の半分で溜まった心身の穢れを落とし、残り半分の無病息災を祈る「夏越なごしはらえ」くらいは――と、頭を悩ませていたはずなのだが。


 ――迎えに行ってやるべきか、いなか。


「……嗣巳様」


 盆を手に茶菓子を運んできた柊が、嗣巳の手元を見て目を丸くした。


 人と共に暮らすことを望んだ柊はいま、幽世庵と京助の地本問屋を行き来して、奉公のようなことをして過ごしている。


「どうした?」


「その、筆が折れています」


 手元に視線を落とした嗣巳は、重々しく息を吐いた。


「……あの化物たらしが」


「愁水様、訳ありのご様子でしたね」


 柊の目から見ても、不審な挙動だったということだ。


「ああまで、ったりが出来ない奴ではなかったはず――」


「お相手が嗣巳様では、愁水様もが悪いと思われたのかも」


 もう一度小さく息をつき、嗣巳は文机に置いていた印籠いんろう(*)に手を伸ばした。逆さまにして、中身を文机に広げる。


「嗣巳様、その切れ端は――」


「陰陽師の呪符だ。〈あれ〉に聞いたほうが早いだろう」


 白狐の件で、真澄の式神を追ったときに回収しておいた燃えさしだが、居場所を割り出すには充分だ。


「私も、ご一緒させてくださいませ!」


 柊が勢い余って、身を乗り出してくる。嗣巳はここにろと言いかけたが、留守中に何かあってもまずい。


「――仕方ない」


 嗣巳は袖で顔を覆い、水代の姿に転じた。神主の白装束も、まばたきの間に淡い藤色の、女物へと変える。


 柊と並べば、少なくとも、一目で怪しまれる風貌ではなくなるはずだ。


 何より、あの男装の陰陽師は同性への警戒心が薄いらしく、この姿であれば接近を許すだろう。




 ――その嗣巳の読み通り、真澄の背後に回り、腕をひねり上げるのは、いとも容易たやすかった。


「お前っ、ぬえ――!」


「お前も学習しないな。とももつけずに不用心なことだ、次期当主殿」


 宿場町の外れ。愁水の告げた宿近くの竹林で、真澄は何かを待っている様子だった。


「……供など、つけられるわけがない」


 嗣巳は片眉を上げたが、すぐに得心した。


「朧にそむいたか」


 痛みに耐えるように、肩越しに嗣巳を睨んでいた真澄が、目を逸らした。


「妙な気配だな。中にいるのは、朧の式神か?」


 古めかしい旅籠屋を見遣ると、真澄がそうだと答えて、身をよじった。


「強力な花妖かようだ。朧様の提案を呑んで、あえてこの場に留まっている。愁水の記憶を封じたのは、あの花妖で――逃げないから、もう離せっ」


 真澄の様子を一瞥いとべつし、手を離す。真澄は距離を取り、嗣巳と柊を交互に見た。おろおろしている柊は無害と判じたらしく、警戒の目は嗣巳にだけ向いている。


「記憶を取り戻すのに、四日もかかるのか?」


「何か、取引をしたようだ。中には同心と盗賊が数名、捕まっている。盗賊のほうは死んでいるはずだが――」


「力ずく、というわけにはいかないか」


 しばらくまえに雨は降り止み、竹林は青々とした香気を漂わせていたが、不意に、焦げつくような嫌な臭いが立ち昇った。


「……燃えている?」


 真澄が身をひるがえし、門戸に駆け寄ったが、結界にはじかれた。


「あ……ああ」


 呻き声が聞こえたかと思えば、同心らしき男が火のついた紙――呪符を振り回している。


「――しまった」


 隣に立った真澄が、片手で口を押さえた。


「何だ、あれは。お前の配下の術師か?」


「私が術で操っていた同心だ。素養があったから、少しだけ術を教えたんだ。私と花妖の両方に操られて、錯乱している……」


「にわか仕込みか」


 ――この娘に関わると、ろくな目に遭わない。


 舌打ちと共に、嗣巳は門戸に呪符をかざしたが、雷電に似た光が弾けて――消えた。


「……力が拮抗きっこうしたか」


「嗣巳様、私も――?」


 柊が掌に狐火を出して、嗣巳の指示を待っている。


「いや……」


 無理に突破して、愁水の記憶が失われるのは避けたい。


 しかしわずかな逡巡の間に、同心の振りかざす呪符の炎が周囲に飛び移り、旅籠屋の一角が燃え上がった。


 愁水の筆の気配は、確かにこの旅籠屋にある。にも関わらず、柱が半壊しても脱出する様子がない。


 ――愁水、何をしている?


 真澄と柊が口々に愁水の名を叫んだが、応じる声もない。


 じわりと、焦燥がせり上がってくる。

 

 眠らされているのか、あるいは――。


 黒煙が広がり、風にあおられて、暴力的な熱が伝わってくる。柱が焼け落ちたところで、嗣巳の忍耐もそこまでだった。


 門戸の結界に鋭利な爪を突き立てて、一時いちどきに引き裂いた。





 愁水は肘掛窓から庭に降り、雨に打たれるのも構わず、泥を踏みつけ、大股で庭を横切った。


 青草に覆われた庭は、長らく手入れされていないのだろう。やぶの隙間には白い花が垣間見え、雨で煙る庭にどろりと甘い香りを漂わせている。


 香りはないが、椿を中心とした、狂い咲きの花々も目を惹いた。珍しい形や模様――いわゆる奇品きひんが取り揃えてあり、かつて住んでいたであろう好事家の好みが見て取れる。


 ――ずいぶん、強力な結界だな。


 長い時を経て化物となった〈花妖かよう〉の気配は、神霊に近い。一度囚われれば、たとえ術師であっても、人間が自力で脱出することは叶わないだろう。


 自ら強力な結界を張る花妖が、朧という術師に何を望んだのか。


 愁水は、真澄の言葉を思い出した。


 ――この旅籠屋は、その存在を知る者しか訪れることができない。


 結界への細微な〈条件付け〉は、陰陽師の得意とするところだろう。


 であれば、おそらく――花妖はこの旅籠屋に強く執着すると同時に、特定の人間を《《恨んで》》いる。


 結界で人間の訪れを拒みながら、この旅籠屋の存在を知る者をおびき寄せ、《《意趣返し》》の形で復讐しているのだろう。


 それが、盗賊は死してなお魂を、同心は生かしたまま、〈蒐集〉に加えるという形で表れているのであれば――この旅籠屋は以前の持ち主の〈蒐集〉を巡って、惨劇の場となったのではないか。


 篠突しのつく雨が、庭の景を薄闇に沈め、昼夜の感覚を狂わせる。


 囚われの身という意識はないが、激しい雨音に包まれていると、ある言葉が思い浮かんだ。


「――雨禁獄あめきんごく


 愁水が口中で呟くと、背後から声がかかった。


「何だ、その雨禁獄というのは?」


「ある天皇が、供養を三度延期させた〈雨〉に怒って、獄舎に閉じ込めた――って故事だ」


 あれは何だ、これは何だと問われ続けているため、唐突に話しかけられようが、愁水は背を向けたまますらすらと答える。


 これだけ好奇心旺盛で、よく一所ひとところにじっとしていられるものだと思うが、その正体――元が〈花〉であると考えれば、得心もいく。


「そんなもの、雨の一部を捕えただけではないか。全てを手に入れたとは言えぬ――」


 愁水の前に回り込んだ屋敷の主は、不意に言葉を詰まらせた。


「……天地万物てんちばんぶつを閉じ込めることは、出来ぬか」


 花妖は寂しげな自嘲の笑みを浮かべたが、愁水にさとすつもりは毛頭ない。


「俺といて、夜は短くなったか?」


「どうであろうな……」


 愁水の問いかけに、花妖は小さく答えた。


 ――〈善治郎ぜんじろう〉を失ってからだ。夜がこれほど長くなろうとは、思わなんだ……。


 二日目の晩に、この花妖がそう漏らしたのだ。


 言葉の端々に、善治郎――旅籠屋の主人であった〈故人〉と語らったであろう日々への、焦燥と思慕がにじみ出ている。


「何だって、化物は手前の正体を当てさせたがるんだろうな」


 愁水のぼやきに、花妖は袖で口を覆い、くつくつと笑ってみせた。


「そなたは知らぬのだな。正体を知られ、名を呼ばれることの幸福を……」


 この化物は繰り返し、《《山吹色》》の着物の袖で、《《口を隠す》》。


 ――いはで思ふぞ。


 言わずに、思う。


 その言葉で思い出すのは、中宮が侍女に詠んだ歌だ。


 ――心には下ゆく水のわきかへり 言はで思ふぞ言ふにまされる


 口には出さずに、あなたを想う。


 その想いは、口に出して言うよりもずっと、優っている――。


「あんたは、山吹やまぶき――」


「……本当に、そう思うか?」


 花妖が、顔にぞくりとするような喜色を浮かべた。


 愁水は花妖が身につけている、山吹色の――善治郎が花妖に贈ったという着物を、見遣った。


 ――違う。


 この花妖の正体は、山吹では、ない。





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