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幽世庵モノガタリ~化物絵師と鵺~【幕末あやかしバディ×民俗学ミステリー・全3部・9月末完結予定】  作者: Yumiko
第十幕 雨禁獄

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花妖(1)


 ――降り止まぬ雨は、器に封じて、牢獄に入れてしまいましょう。




 俄雨にわかあめの降りしきる、黄昏時たそがれどき


 うらぶれた旅籠屋はたごや――茅葺かやぶきの屋根は深く苔生こけむし、軒先の提灯は破れたまま、入り口の暖簾のれんは文字も判別しかねるほど色褪いろあせた――その軒先で、愁水は〈時〉が来るのを静かに待っていた。


 宿場町の外れ、竹藪に囲まれた旅籠屋の周辺は、人影一つない。


 少し歩けば、物資を運ぶ人や馬が盛んに行き交い、宿場町に相応しい賑わいぶりなのだが――。


 滝のような雨が遠景を灰色に沈め、水墨画さながらの風情を漂わせている。


 雨樋あまどいから流れ落ちる水の音も凄まじく、永久に閉じ込められそうな勢いだった。


「――おや、災難でしたな。急に降られましたか」


 旅籠屋から白髪混じりの男が顔を出し、にこやかに近づいてきた。身なりの良い好々爺、といった風体だが――その目は灰色ににごり、およそ生気が感じられなかった。


 ――あやつられてやがるな。


「邪魔をしたな。すぐに退くから――」


 愁水が立ち去ろうとすると、《《案の定》》、引き留められた。


「今日は他に客もいないし、是非お上がりなさい。お仕事帰りですかな?」


「絵の注文伺いで、客の逗留とうりゅう先まで出向いたところだ」


 嗣巳に告げたのと同じ〈嘘〉を口にすると、男の目の色が変わった。


 追い返されるか、と危惧きぐしたが――。


「――絵師? それはすごい。さあさ、どうぞこちらへ……」


 男に促され、旅籠屋の暖簾のれんをくぐり、十二畳ほどの奥座敷に通された。


 竹材ちくざいの格天井に、浅割りの障子。室内は湿ってかび臭く、天井には蜘蛛の巣が張っているが、床の間のあつらえはかまち(*)に畳敷きの本床ほんどこ(*)で、好事家の隠居所を思わせる。


「それで、どんなのを描かれるので?」


 男が目を細めて、水を向ける。


「化物絵ばっかりだ」


「――それはいい」


 何がだ、と問い返そうとすると、隣の座敷から身じろぐような物音が聞こえてきた。


「隣の座敷には、誰かいるのか?」


「なに、〈蒐集しゅうしゅう物〉が崩れたのでしょう。お目にかけましょうかな?」


 愁水の返事を待たず、男が一寸ほど障子を引き――その隙間から白い腕がぬるりと這い出て、男の顔を掴んだ。


 掴まれた男は抵抗もせず、人形のように崩折くずおれる。


 赤みがかった――くすんだ山吹色の着物の袖が揺れて、男を引きったまま、誘うように隙間の奥へと消えた。


 愁水が隣の座敷に踏み込むと、〈白い腕のぬし〉が振り返った。


 長い髪を王朝時代の姫君のように垂髪すいはつにしているが、童のようにも見えて、男女の区別はつかない。


 三日月に細められた目は美しく、冷たかった。


「――もっとちこう寄れ。人間は〈蒐集〉が好きであろう? これが、我のとっておきだ」


 低く柔らかな声は弾んで、無邪気な印象を与える。


 しかし、その背後には黒羽織の男が数名、両手を手鎖で縛られ、壁を背に項垂うなだれていた。


 肩が微かに上下しているため、命に別条はなさそうだが――。


 ――〈囚われの同心〉か。


 真澄から事前に聞いていた通り、この化物は旅籠屋に近づく人間を閉じ込めて、もてあそぶ。


 人間を誘い込むために、人間を操る――文字通りの傀儡かいらい遊びというわけだ。


 おぼろとの何らかの〈制約〉のもと、この旅籠屋には結界が張られており、その存在を知る者にしか姿を現さないのだという。


 囚われの同心達の様子を見るに、《《この旅籠屋では》》飲み食いせずとも生存が可能らしい。


 それはつまり、外界と隔絶され、時の流れがない――擬似的な異界といっていいだろう。


「《《これ》》はいたな」


 山吹色の袖が揺れ、ほっそりとした手が掴んでいた男の顔を持ち上げる。


 その耳元に唇を寄せ、男の名前らしきものをささやきかけた途端、体が白骨となり、乾いた音を立てて床に散らばった。


 ――反魂はんごんの術。


 伝承によれば、〈造られた死者〉の正体を明かせば、術者も溶けて消えるはずだが。


 〈主〉は――〈花妖かよう〉は、涼やかに微笑んでいる。


「見ろ、不思議なものだ。《《どんな者でも》》、この姿は美しい」


 残された男の着物から、蛍に似た光がふわりと飛び立とうとするのを、〈ぬし〉が無情にも両手で捕らえてみせた。


 童と同じ仕草で、捕まえた光を――人魂を、虫籠に入れてしまう。座敷にはそのような虫籠が、無数に並んでいた。


 ――さながら、人間の標本だ。


 愁水の表情を見て、花妖が笑いながら手を伸ばしてきた。


「人間も、同じことをしているだろう?」


「生憎、俺の趣味じゃねえ」


 花妖の指先が、愁水の額に触れる。無邪気に笑っていた花妖が、目を見開いた。


「何だ。そなたの〈記憶〉、我の蒐集にあるぞ」


「そいつを返してもらいに来た」


 花妖が愉快げに笑い声を立てた。


「そなた、なかなか面白かったぞ。手放すのは惜しいが、せっかく本体が我の手に飛び込んできたのだからな……一つ、〈賭け〉をしよう」


 傀儡かいらいにも飽いたと、花妖の手が無造作に同心の首を掴む。


化物贔屓ばけものびいきの絵師。我の名を当て、ふすまに《《描いて》》見せよ」


 花妖が顎で示した先に、幾筋もの血痕の走る襖があった。


 花妖の仕業か、それとも――。


 どうする、と花妖が視線で問いかけてくる。愁水は腕を組み、鷹揚おうように言い放った。


「――その賭け、乗ってやる」




――――

かまち:床の間と畳の境目に取り付ける横木。塗り框は表面に漆などを塗って仕上げた床框とこかまち

*本床:最も格式の高い正式な床の間の形。



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