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幽世庵モノガタリ~化物絵師と鵺~【幕末あやかしバディ×民俗学ミステリー・全3部・9月末完結予定】  作者: Yumiko
第九幕 天が泣く―白狐

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白狐(7)


「君の故郷――遠州には、〈贄代にえしろ〉いう神社があってな」


鵺代ぬえしろじゃねえのか?」


 そう口を挟むと、雅空まさあきに扇で頭を叩かれた。


「てめえっ、貴人はそんなことやらねえって、何度言やあ――」


「最後まで聞き。そっちは、新しく《《付け替えられた》》名前や。《《江戸の初めに》》鵺の伝説と習合しゅうごうして、鵺代に変わってしもてな」


「江戸の初め――?」


「意外と最近やろ?」


 鵺の伝説――〈鵺退治〉。


 その伝説なら、《《よく知っていた》》。


 王朝時代(*)の末頃、御殿上空を黒雲で覆い、毎夜帝を苦しめたという鵺。その化物を、弓の名手であった武士が射落とした。


 地上に墜ちた鵺は死体がたたらぬよう、その郎党(*)に太刀で九度切り刻まれ、果てはうつぼ舟(*)で流された――。


 鴨川、淀川から舟が流れ着いたとされる地には、それぞれに鵺塚があるという。


 その一方で、愁水の故郷には〈飛来した鵺の部位〉に由来する、四つの地名があった。


 胴体が落ちた地は「胴崎どうさき」、羽は「羽平はねひら」で、尾は「尾奈おな」――そして、頭が「鵺代ぬえしろ」。


 あまりに有名な話だからこそ、《《いつから》》その名になったのかなど、記憶を失う前も、考えたことすらなかったはずだ。


「名付けの由来にしちゃ、時が経ちすぎじゃねえか?」


「鵺はいまでも、人気の演目やろ? 物語の舞台や言うたら、人がようけ集まって来る。いわゆる、聖地巡礼やな。あの頃は自分らの土地の歴史を証明したろううて、地誌の編纂へんさん流行はやっとったしな」


 興が乗ったらしく、何かにつけて言葉足らずな空狐が、随分と饒舌じょうぜつだ。


「古跡の捏造ねつぞうやら強調やら――ま、地域おこしの一環やな」


「あれか、平家の落人おちうど伝説みてえなもんか。落人が各地の秘境に隠れ住んだってやつ、やたらと多いよな」


「そら、なんもないよりええやろ。遠州やったら、鵺を退治した武士の奥方や郎党やらの故郷やし、地名も贄代と鵺代でとるしうて、あの辺り一斉に名前変えてんで」


「そんなら――」


 愁水の言葉を引き継ぎ、雅空が薄い笑みを浮かべる。


「――最初は、〈何〉をまつってたんやろな?」


 ――贄代にえしろ


 おそらく、神や朝廷へ奉るための供物くもつを貢進、あるいは生産する地であったと考えられるが。


 ――にえが、生贄いけにえを指すのだとしたら。


 愁水の背に、悪寒が走った。


 生贄はそなえる《《直前まで》》、生きた状態でなければならない。


 白装束を着せられ、倒壊した社の前で倒れていた愁水と水代の〈双子〉は、あの社に眠るモノへの〈生贄〉にされる寸前だったのではないか。


 ――水の名をかんした双子。


 愁水の思考が、苛烈かれつな勢いで巡る。


 水に属するモノに生贄を捧げるとなれば、求めるものはただ一つ――〈雨乞い〉だが、雨を降らせる神を、水神と呼ぶことはまれだ。


「――龍神か」


「当たらずも遠からず、やな」


「何……?」


「僕から言えるんは、ここまでや。僕みたいに強大な力を持つもんは、〈下界〉のことに首を突っ込みすぎんように、ぃつけとかんとな」


 立ち上がった雅空が、愁水の筆を見下ろし、獣の瞳孔を不穏に細める。


「その筆はもう充分、つよなっとる。いつでも鵺を封じられるなあ?」


「とっとと帰りやがれ、半端な情報だけ寄越よこしやがって」


 ふふ、と平生へいぜいの喰えない笑みを浮かべて、雅空が身をひるがえして消える。


 与えられた情報を仔細しさいに改めるには、間を置いたほうがよさそうだ。


 一眠りするか、と作業部屋に引っ込もうとした愁水の眼前を、黒蝶が横切った。ついて来い、と誘うように舞い、庵の外へと飛び去っていく。


 愁水は文机に手を伸ばし、〈ある物〉を掴んで懐に収めた。


 そこへ、白狐の歓声が響く。縁側に出ると、嗣巳が盆に茶菓子を運んできたところだった。


「これはお滝さんのだ。お前たちの分は、社務所に積んであるから行って来なさい」


 滝が礼を言い、白狐たちが我先にと駆けていく。


 嗣巳と目が合うと、お前も食うかと問われた。


「いや……辛いもん食いてえから、惣菜を買ってくる。姐さんも腹減っただろ?」


「――愁水」


 下駄をつっかけた愁水を、嗣巳が呼び止めた。


「何だ?」


「茶葉が切れたから、ついでに買って来い」


 ああ、と短く応じて、背を向ける。こそこそする必要はないのだが、蛇神の一件以来、嗣巳は妙に口煩くちうるさい。


 それに――罠でないとは、言い切れない。


「――真澄」


 竹林の先にいた真澄が振り返り、安堵した様子を見せる。


 愁水を案じるような眼差しが、嘘であるとは思わない。


 だが、真澄は――。


「どうした、顔色が悪いじゃねえか」


「自業自得ってやつだから、気にしないで。それより、これを」


 言葉を交わす間も惜しいとばかりに、真澄が紙片を押しつけてきた。


「――ここに、愁水の記憶を封じた〈花妖かよう〉がいる。記憶を取り戻したければ、行って」


 心の臓が、どくりと脈打った。


 聞きたいことは山程ある。しかし、今日の真澄はいつにも増して、薄氷はくひょうを踏むような危うさを漂わせている。


「お前……無茶したんじゃねえよな?」


 愁水が肩に手を伸ばそうとすると、それよりも早く、真澄が身を引いた。


「そのまま聞いて。――愁水に、幸せになってもらいたいと思ったのは本当だった。でも、それは私自身のためで……私たち双子は《《駄目》》だったから、せめて他の兄妹を救えたら、私自身を許せる気がして……。そんな身勝手な考えで、大勢を傷つけてきた。――おぼろ様と共に」


 悲壮な面持ちでいた真澄は、表情を変えない愁水に、乾いた笑みを漏らした。


「驚かないね。最初からわかっていたんだ?」


「いや。黒蝶とお前が結びついたあと――こいつを見てからだ」


 懐から、蛇神から外してやった〈首輪〉を差し出した。化物を強制的に式神へと下す、件の呪具だ。


「俺も多少、術をかじったからな。この首輪から、お前の気配を感じた。お前が――」


「そう、私が鵺の呪具を流していた〈商人〉。わかってたんなら……私に〈勝ち目〉なんて、なかったね」


 真澄の声が、震えていた。


 下手に問いただすこともできず、愁水の僅かな逡巡の間に、真澄は呪符の突風と共に消え去っていた。


 その背を見送り、愁水の首に絡めてきた、頼りない細腕を思い出す。


 先日の〈あれ〉は何だったのかと、ここで問うておけばよかったのかもしれない。素直に答えるとも、思えないが――。


 ――あなたは助けを求めるモノに、手を差し伸べるでしょう。……同時に線引きもしているから、傾倒けいとうしすぎることもない。――誰に対しても。


 今度は〈夢〉のなかで逢った、名も知らない巫女の言葉が蘇る。


 ――踏み込んでおけばよかったのか?


 酷いしくじりをしたような気になったが、今さらだ。


「愁水様っ、嗣巳様が――!」


 不意に、柊が竹林から飛び出し、こちらに駆け寄ってくる。


 愁水は首輪と共に、紙片を懐に仕舞しまった。


 愁水の前で転びそうになるのを、片手で支えてやる。すっかり美しい娘姿になったものの、せっかちで危なっかしいところは変わらないらしい。


「嗣巳がどうしたって?」


「――お味噌も買って来て欲しい、と」


 拍子抜けした愁水は、苦笑をこぼしていた。


「――承知した」


「あの、愁水様。私の真名を思い出させてくださって、誠にありがとうございました」


 声を潜めた柊が、深々と頭を下げる。二人きりの時に、この礼が言いたかったのだろう。


 ――白銀しろがね


 あのとき、愁水が意図せず呟いた色名が、柊の真名だったのだ。


「力が目覚めたのも、愁水さまが名を呼んでくださったおかげです」


「それだけじゃねえって、わかってるだろ。良かったな、仲間を助けてやれて」

 

「ええ。今度はきっと、私が愁水様をお助けします。ですから、有事の際は――また、私の名を呼んでくださいね」


 気にするなと言いかけて、愁水は言葉を変えた。


「……ああ、頼んだ」


 全てを救えるなどと、思い上がるつもりはない。いつか、この手から取りこぼすものもあるだろう。


 お前もついて来るかと問えば、柊が嬉しげに頷いてみせる。


 束の間の晴天を振り仰ぎ、愁水は歩き出した。


 


――――

*王朝時代:江戸時代の平安時代の呼び方。

*郎党:中世武家社会における従者や家臣のこと。

*うつぼ舟:大木をくり抜いた中空の丸木舟のこと。古典文学では罪人や亡骸を流す舟として、民俗学では各地に現れた謎の漂着船(虚舟うつろぶね)として語られる。




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