白狐(7)
「君の故郷――遠州には、〈贄代〉いう神社があってな」
「鵺代じゃねえのか?」
そう口を挟むと、雅空に扇で頭を叩かれた。
「てめえっ、貴人はそんなことやらねえって、何度言やあ――」
「最後まで聞き。そっちは、新しく《《付け替えられた》》名前や。《《江戸の初めに》》鵺の伝説と習合して、鵺代に変わってしもてな」
「江戸の初め――?」
「意外と最近やろ?」
鵺の伝説――〈鵺退治〉。
その伝説なら、《《よく知っていた》》。
王朝時代(*)の末頃、御殿上空を黒雲で覆い、毎夜帝を苦しめたという鵺。その化物を、弓の名手であった武士が射落とした。
地上に墜ちた鵺は死体が祟らぬよう、その郎党(*)に太刀で九度切り刻まれ、果てはうつぼ舟(*)で流された――。
鴨川、淀川から舟が流れ着いたとされる地には、それぞれに鵺塚があるという。
その一方で、愁水の故郷には〈飛来した鵺の部位〉に由来する、四つの地名があった。
胴体が落ちた地は「胴崎」、羽は「羽平」で、尾は「尾奈」――そして、頭が「鵺代」。
あまりに有名な話だからこそ、《《いつから》》その名になったのかなど、記憶を失う前も、考えたことすらなかったはずだ。
「名付けの由来にしちゃ、時が経ちすぎじゃねえか?」
「鵺はいまでも、人気の演目やろ? 物語の舞台や言うたら、人がようけ集まって来る。いわゆる、聖地巡礼やな。あの頃は自分らの土地の歴史を証明したろう言うて、地誌の編纂が流行っとったしな」
興が乗ったらしく、何かにつけて言葉足らずな空狐が、随分と饒舌だ。
「古跡の捏造やら強調やら――ま、地域おこしの一環やな」
「あれか、平家の落人伝説みてえなもんか。落人が各地の秘境に隠れ住んだってやつ、やたらと多いよな」
「そら、何もないよりええやろ。遠州やったら、鵺を退治した武士の奥方や郎党やらの故郷やし、地名も贄代と鵺代で似とるし言うて、あの辺り一斉に名前変えてんで」
「そんなら――」
愁水の言葉を引き継ぎ、雅空が薄い笑みを浮かべる。
「――最初は、〈何〉を祀ってたんやろな?」
――贄代。
おそらく、神や朝廷へ奉るための供物を貢進、あるいは生産する地であったと考えられるが。
――贄が、生贄を指すのだとしたら。
愁水の背に、悪寒が走った。
生贄は供える《《直前まで》》、生きた状態でなければならない。
白装束を着せられ、倒壊した社の前で倒れていた愁水と水代の〈双子〉は、あの社に眠るモノへの〈生贄〉にされる寸前だったのではないか。
――水の名を冠した双子。
愁水の思考が、苛烈な勢いで巡る。
水に属するモノに生贄を捧げるとなれば、求めるものはただ一つ――〈雨乞い〉だが、雨を降らせる神を、水神と呼ぶことは稀だ。
「――龍神か」
「当たらずも遠からず、やな」
「何……?」
「僕から言えるんは、ここまでや。僕みたいに強大な力を持つもんは、〈下界〉のことに首を突っ込みすぎんように、気ぃつけとかんとな」
立ち上がった雅空が、愁水の筆を見下ろし、獣の瞳孔を不穏に細める。
「その筆はもう充分、強なっとる。いつでも鵺を封じられるなあ?」
「とっとと帰りやがれ、半端な情報だけ寄越しやがって」
ふふ、と平生の喰えない笑みを浮かべて、雅空が身を翻して消える。
与えられた情報を仔細に改めるには、間を置いたほうがよさそうだ。
一眠りするか、と作業部屋に引っ込もうとした愁水の眼前を、黒蝶が横切った。ついて来い、と誘うように舞い、庵の外へと飛び去っていく。
愁水は文机に手を伸ばし、〈ある物〉を掴んで懐に収めた。
そこへ、白狐の歓声が響く。縁側に出ると、嗣巳が盆に茶菓子を運んできたところだった。
「これはお滝さんのだ。お前たちの分は、社務所に積んであるから行って来なさい」
滝が礼を言い、白狐たちが我先にと駆けていく。
嗣巳と目が合うと、お前も食うかと問われた。
「いや……辛いもん食いてえから、惣菜を買ってくる。姐さんも腹減っただろ?」
「――愁水」
下駄をつっかけた愁水を、嗣巳が呼び止めた。
「何だ?」
「茶葉が切れたから、ついでに買って来い」
ああ、と短く応じて、背を向ける。こそこそする必要はないのだが、蛇神の一件以来、嗣巳は妙に口煩い。
それに――罠でないとは、言い切れない。
「――真澄」
竹林の先にいた真澄が振り返り、安堵した様子を見せる。
愁水を案じるような眼差しが、嘘であるとは思わない。
だが、真澄は――。
「どうした、顔色が悪いじゃねえか」
「自業自得ってやつだから、気にしないで。それより、これを」
言葉を交わす間も惜しいとばかりに、真澄が紙片を押しつけてきた。
「――ここに、愁水の記憶を封じた〈花妖〉がいる。記憶を取り戻したければ、行って」
心の臓が、どくりと脈打った。
聞きたいことは山程ある。しかし、今日の真澄はいつにも増して、薄氷を踏むような危うさを漂わせている。
「お前……無茶したんじゃねえよな?」
愁水が肩に手を伸ばそうとすると、それよりも早く、真澄が身を引いた。
「そのまま聞いて。――愁水に、幸せになってもらいたいと思ったのは本当だった。でも、それは私自身のためで……私たち双子は《《駄目》》だったから、せめて他の兄妹を救えたら、私自身を許せる気がして……。そんな身勝手な考えで、大勢を傷つけてきた。――朧様と共に」
悲壮な面持ちでいた真澄は、表情を変えない愁水に、乾いた笑みを漏らした。
「驚かないね。最初からわかっていたんだ?」
「いや。黒蝶とお前が結びついたあと――こいつを見てからだ」
懐から、蛇神から外してやった〈首輪〉を差し出した。化物を強制的に式神へと下す、件の呪具だ。
「俺も多少、術を齧ったからな。この首輪から、お前の気配を感じた。お前が――」
「そう、私が鵺の呪具を流していた〈商人〉。わかってたんなら……私に〈勝ち目〉なんて、なかったね」
真澄の声が、震えていた。
下手に問いただすこともできず、愁水の僅かな逡巡の間に、真澄は呪符の突風と共に消え去っていた。
その背を見送り、愁水の首に絡めてきた、頼りない細腕を思い出す。
先日の〈あれ〉は何だったのかと、ここで問うておけばよかったのかもしれない。素直に答えるとも、思えないが――。
――あなたは助けを求めるモノに、手を差し伸べるでしょう。……同時に線引きもしているから、傾倒しすぎることもない。――誰に対しても。
今度は〈夢〉のなかで逢った、名も知らない巫女の言葉が蘇る。
――踏み込んでおけばよかったのか?
酷いしくじりをしたような気になったが、今さらだ。
「愁水様っ、嗣巳様が――!」
不意に、柊が竹林から飛び出し、こちらに駆け寄ってくる。
愁水は首輪と共に、紙片を懐に仕舞った。
愁水の前で転びそうになるのを、片手で支えてやる。すっかり美しい娘姿になったものの、せっかちで危なっかしいところは変わらないらしい。
「嗣巳がどうしたって?」
「――お味噌も買って来て欲しい、と」
拍子抜けした愁水は、苦笑を零していた。
「――承知した」
「あの、愁水様。私の真名を思い出させてくださって、誠にありがとうございました」
声を潜めた柊が、深々と頭を下げる。二人きりの時に、この礼が言いたかったのだろう。
――白銀。
あのとき、愁水が意図せず呟いた色名が、柊の真名だったのだ。
「力が目覚めたのも、愁水さまが名を呼んでくださったおかげです」
「それだけじゃねえって、わかってるだろ。良かったな、仲間を助けてやれて」
「ええ。今度はきっと、私が愁水様をお助けします。ですから、有事の際は――また、私の名を呼んでくださいね」
気にするなと言いかけて、愁水は言葉を変えた。
「……ああ、頼んだ」
全てを救えるなどと、思い上がるつもりはない。いつか、この手から取り零すものもあるだろう。
お前もついて来るかと問えば、柊が嬉しげに頷いてみせる。
束の間の晴天を振り仰ぎ、愁水は歩き出した。
――――
*王朝時代:江戸時代の平安時代の呼び方。
*郎党:中世武家社会における従者や家臣のこと。
*うつぼ舟:大木をくり抜いた中空の丸木舟のこと。古典文学では罪人や亡骸を流す舟として、民俗学では各地に現れた謎の漂着船(虚舟)として語られる。




