白狐(6)
「――お前ら、それじゃあ鳥獣戯画(*)じゃねえか。もうちっと、しゃんと出来ねえのかよ」
ふざけて踊っていた白狐たちが、きゃっきゃと歓声を上げて、幽世庵の庭を跳ね回る。
白狐たちに〈注文〉をつけていた愁水は、仕方ねえなと呟き、残りは想像で補うことにした。
代わる代わるじゃれついてくる白狐をあしらいながら、下書きを描き終え、紙を繋ぎ合わせて一尺(*)ほどの長さになった絵巻物を見下ろす。
――白狐の一族の、栄枯盛衰。
霊峰での修行に始まり、天狐の出現、人間の権力者が建立した荘厳な社と、信仰の衰退。
そして此度の騒動と、新たな天狐の現れを予感させる幕引き――。
とても一枚の紙では収まりきらず、雅空の依頼で絵巻物の形となったのだ。
最後を飾る柊の目覚めの場面では、蒼白い霧として周囲を青で塗り込み、白銀の狐を白く浮き上がらせている。
この絵を青花で、と注文をつけたのは、愁水の隣で一際目を輝かせている、白銀の長髪の娘――柊だ。
「愁水さま……ありがとうございます。青花をこんなにたくさん使ってくださって……」
「本当に、青花でよかったんだな?」
青花の青は、時とともにくすんだ青へ、やがては茶色へと退色するだろう。
愁水が念押しすると、柊は目を細めて頷いた。
「それがいいのです。この絵を見て、かつての美しさに想いを馳せてくれる者が現れたら――その者にはきっと、私たちの想いも届くでしょう」
それに、と柊は唇に手をやり、たおやかに笑ってつけ加えた。
「例えこの絵が失われることがあっても、私たちの目には焼きついております。一度でも人と心を通わせた記憶があれば、この先もきっと、この〈浮世〉で生きていけるはず」
凛とした眼差しに、低く落ち着いた声音。
化けた姿も成長しており、口調もずいぶんと大人びている。介抱していた身としては、感傷に浸りたくなるほどだ。――柄にもなく。
「そんなら、その想いに相応しい歌を書き入れてやらねえとな――」
と、愁水が思案していると、白狐にねだられた滝が、縁側で三味線を爪弾いた。
「……鈴の音のような、美しいお声ですね」
柊がうっとりと、滝の唄声に聞き入っている。そうだなと、愁水も素直に応じた。鈴の音は、邪気を祓うものだ。
「せっかく戯作者がいるんだ。詞書(*)は姐さんに描いてもらうとするか」
場面の切り替わりには、一族の縁起を語る文言が必要だろう。
「私がお願いしてまいりますっ」
喜んだ柊が、滝のもとへと駆けていく。
その背を見送り、愁水は絵巻の最後に歌を書き入れた。
月草に衣は摺らむ朝露に
濡れての後はうつろひぬとも
――露草の色に、衣を摺り染めましょう。朝露に濡れたのち、色褪せてしまうとしても。
筆を置き、視線を横に滑らせる。
右から左へと展開する絵巻物が示すのは、時の流れだ。
同じ登場人物を描くことで、出来事の経過を示す――雅空が〈異時同図法〉と呼んだ技法。そのような名を、愁水は他で聞いたことがなかった。
だが、未来を見通すという空狐の言葉だ。
錦絵ばかりでなく、絵巻物の描き方までを熱心に説いていたのは、今日この日のためだったのだろう――。
「――よう描けてるわ。さすが、僕の指導の賜物やな」
気配もなく背後に立たれ、愁水の指が鯉口を切ろうと(*)腰に飛ぶ。もちろん帯刀などしておらず、愁水も意図した動きではなかったが、雅空は「怖い怖い」と扇を扇ぎながら、機嫌が良さそうに対面に腰を下ろした。
「あんたは――」
「そら、大事な眷属の依代やからな。下手に描いてもろたら、僕の沽券に関わるやろ」
愁水に皆まで言わせず、雅空が肯定してみせる。
「相変わらず、喰えないやつだな」
「喰うたら腹、壊すやろな」
「さすがの陰陽師も、あんたには手を出さなかったみてえで何よりだ。――何だ?」
雅空が扇を閉じて、愁水の筆を指した。
「本題はここからや。この絵巻物の中に通り道作って、異界――幽世と繋げてもらおか。それも、ただ繋げるんと違うて、幽世そのものを創出してもらう」
「幽世を創る、だと?」
幽世――現世と重なり合う形で存在する、化物の棲家。その境界が曖昧になったとき、人は化物と出逢うのだ。
「仮想空間て言うても、わからんやろ」
筆を貸せと、扇を揺らしてみせる。逡巡はあったが、仕方なく筆を突き出した。
名を取り戻したとはいえ、いまの白狐たちは現世に留まるには依代を、幽世に戻るには、幽世に近い環境で力を溜める必要がある。
「そんで、その筆に何をする気だよ?」
「此度の〈《《褒美》》〉として、僕の血を吸わしたる。――何事も体裁は必要やからな。ただし、なるべく早く、〈天狗〉の血も取り込みや」
う、と低い呻き声が漏れる。絵の技法が空狐ならば、剣技は天狗に仕込まれたわけだが――天狗に〈頼み事〉をしに行くのは、空狐とは別の意味で、酷く腰が重い。
「柊に持たしてた刀、刃毀れしとったし良い機会やろ?」
「そんなことまで知ってんのかよ」
「鵺と空狐だけやと、僕の力がその筆、喰うてしまうで。天狗も混ざれば、三つで均衡も取れる」
そう言いながら、鋭利な爪で己の白い肌を裂き、筆先に血を落とした。
「此れよりその筆は、現世と幽世を繋ぐモノとなった。その幽世を安定させるには、天狗と《《その背後にいるモノ》》の力が不可欠や――ってこと、忘れんときや」
雅空の指示に従い、愁水はその筆で、絵巻物に赤い鳥居を書き入れた。
「これでよし。あの子ら、現世が楽しゅうてしゃあないみたいやけど、夜になったら絵のなかに戻したってな」
「要するに、子守じゃねえか」
滝に構ってもらうのがよほど嬉しいらしく、なかには滝の膝から離れない白狐までいる。
「――あの子らの寂しさに同調しながら、よう己を保てたな、愁水」
白狐らを微笑ましげに見守りながら、雅空の声が僅かながら、憂いの色を帯びる。
「他者と繋がれんのは寂しい。せやけど、集団の中にあって、己を見失うんも恐ろしい。……心はままならんね。せやから、その中庸――〈あわい〉で、もがくしかないんやろうけどな」
この空狐が、ここまで言葉を費やすのも珍しい。
愁水が黙って耳を傾けていると、空狐は遥か遠くを見通すように、庵の外に広がる青空へと目を向けた。
色素の薄い瞳は、空の青を映して、淡く澄んでいる。
「この先は、ますます孤独を深めていくやろな。人も、化物も」
「――どんな時代になろうとも、生き方は手前で選べるはずだ。足りねえと自覚してるもんなら、諦めずに足掻いてりゃ、いつかは手に入るだろ」
愁水がそう言うと、雅空は意外そうな顔をした。
「君も、だいぶ柔らかなったな。心の弱さをあんだけ憎んどった君が」
「おかげさんでな」
空狐と絵を挟んで交わした言葉を思い出し、愁水は低く笑った。
――そんな弱々しい絵、描けるかよ。
愁水が文句を言えば、言葉の前に、扇で頭を叩かれたものだったが。
――あほやな。弱さを知らん者に、深みのある絵が描けるわけないやろ。
――弱さを嗤えるんは、ただの無知や。己の無知を誇ってどないしますんや。
「……まあ、今でも思うけどな。どんな環境にいようが、手前が最後に選んだもんが全てだろ、ってな」
何が可笑しかったのか、雅空が声を上げて笑う。
「ほんまに、君の根っこは変わらんなあ。――笑わせてもろたお礼に、ええこと教えたげましょ」
「嫌な予感しかしねえよ」
早く帰れ、と邪険に手を振ったが、雅空は不意に表情を改め、声を潜めて言った。
「――鵺が教えてくれへんことやで?」
雅空に扇の先で呼ばれ、愁水は渋々と身を乗り出した。
――――
*鳥獣戯画:日本最古の漫画といわれる絵巻物。平安時代〜鎌倉時代。兎や蛙が擬人化され、相撲や水遊びをする様子が描かれる。
*一尺:約三十センチ。
*詞書:背景を説明する散文(前書き)。
*鯉口を切る:日本刀の鍔を親指で押し出す、抜刀の予備動作。




