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幽世庵モノガタリ~化物絵師と鵺~【幕末あやかしバディ×民俗学ミステリー・全3部・9月末完結予定】  作者: Yumiko
第九幕 天が泣く―白狐

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白狐(6)




「――お前ら、それじゃあ鳥獣戯画ちょうじゅうぎが(*)じゃねえか。もうちっと、しゃんと出来ねえのかよ」


 ふざけて踊っていた白狐たちが、きゃっきゃと歓声を上げて、幽世庵の庭を跳ね回る。


 白狐たちに〈注文〉をつけていた愁水は、仕方ねえなと呟き、残りは想像で補うことにした。


 わるわるじゃれついてくる白狐をあしらいながら、下書きを描き終え、紙を繋ぎ合わせて一尺(*)ほどの長さになった絵巻物を見下ろす。


 ――白狐の一族の、栄枯盛衰。


 霊峰れいほうでの修行に始まり、天狐の出現、人間の権力者が建立した荘厳な社と、信仰の衰退。


 そして此度こたびの騒動と、新たな天狐の現れを予感させる幕引き――。


 とても一枚の紙では収まりきらず、雅空まさあきの依頼で絵巻物の形となったのだ。


 最後を飾る柊の目覚めの場面では、蒼白い霧として周囲を青で塗り込み、白銀の狐を白く浮き上がらせている。


 この絵を青花で、と注文をつけたのは、愁水の隣で一際目を輝かせている、白銀の長髪の娘――柊だ。


「愁水さま……ありがとうございます。青花をこんなにたくさん使ってくださって……」


「本当に、青花でよかったんだな?」


 青花の青は、時とともにくすんだ青へ、やがては茶色へと退色するだろう。


 愁水が念押しすると、柊は目を細めて頷いた。


「それがいいのです。この絵を見て、かつての美しさに想いをせてくれる者が現れたら――その者にはきっと、私たちの想いも届くでしょう」


 それに、と柊は唇に手をやり、たおやかに笑ってつけ加えた。


「例えこの絵が失われることがあっても、私たちの目には焼きついております。一度でも人と心を通わせた記憶があれば、この先もきっと、この〈浮世うきよ〉で生きていけるはず」


 りんとした眼差しに、低く落ち着いた声音。


 化けた姿も成長しており、口調もずいぶんと大人びている。介抱していた身としては、感傷に浸りたくなるほどだ。――柄にもなく。


「そんなら、その想いに相応ふさわしい歌を書き入れてやらねえとな――」


 と、愁水が思案していると、白狐にねだられた滝が、縁側で三味線を爪弾つまびいた。


「……鈴の音のような、美しいお声ですね」


 柊がうっとりと、滝の唄声に聞き入っている。そうだなと、愁水も素直に応じた。鈴の音は、邪気を祓うものだ。


「せっかく戯作者がいるんだ。詞書ことばがき(*)は姐さんに描いてもらうとするか」


 場面の切り替わりには、一族の縁起えんぎを語る文言もんごんが必要だろう。


「私がお願いしてまいりますっ」


 喜んだ柊が、滝のもとへと駆けていく。


 その背を見送り、愁水は絵巻の最後に歌を書き入れた。


 月草に衣はらむ朝露に


 濡れての後はうつろひぬとも


 ――露草の色に、衣を摺り染めましょう。朝露に濡れたのち、色()せてしまうとしても。


 筆を置き、視線を横に滑らせる。


 右から左へと展開する絵巻物が示すのは、時の流れだ。


 同じ登場人物を描くことで、出来事の経過を示す――雅空が〈異時同図法いじどうずほう〉と呼んだ技法。そのような名を、愁水は他で聞いたことがなかった。


 だが、未来を見通すという空狐くうこの言葉だ。


 錦絵ばかりでなく、絵巻物の描き方までを熱心に説いていたのは、今日この日のためだったのだろう――。


「――よう描けてるわ。さすが、僕の指導の賜物たまものやな」


 気配もなく背後に立たれ、愁水の指が鯉口を切ろうと(*)腰に飛ぶ。もちろん帯刀などしておらず、愁水も意図した動きではなかったが、雅空は「怖い怖い」と扇をあおぎながら、機嫌が良さそうに対面に腰を下ろした。


「あんたは――」


「そら、大事な眷属の依代よりしろやからな。下手に描いてもろたら、僕の沽券こけんに関わるやろ」


 愁水に皆まで言わせず、雅空が肯定してみせる。


「相変わらず、喰えないやつだな」


うたら腹、壊すやろな」


「さすがの陰陽師も、あんたには手を出さなかったみてえで何よりだ。――何だ?」


 雅空が扇を閉じて、愁水の筆を指した。


「本題はここからや。この絵巻物の中に通り道作って、異界――幽世かくりよと繋げてもらおか。それも、ただ繋げるんとちごうて、幽世そのものを創出してもらう」


「幽世を創る、だと?」


 幽世――現世と重なり合う形で存在する、化物の棲家すみか。その境界が曖昧になったとき、人は化物と出逢うのだ。


「仮想空間てうても、わからんやろ」


 筆を貸せと、扇を揺らしてみせる。逡巡はあったが、仕方なく筆を突き出した。


 名を取り戻したとはいえ、いまの白狐たちは現世に留まるには依代を、幽世に戻るには、幽世に近い環境で力を溜める必要がある。


「そんで、その筆に何をする気だよ?」


此度こたびの〈《《褒美》》〉として、僕の血を吸わしたる。――何事も体裁は必要やからな。ただし、なるべく早く、〈天狗〉の血も取り込みや」


 う、と低いうめき声が漏れる。絵の技法が空狐ならば、剣技は天狗に仕込まれたわけだが――天狗に〈頼み事〉をしに行くのは、空狐とは別の意味で、酷く腰が重い。


「柊に持たしてた刀、刃毀はこぼれしとったし良い機会やろ?」


「そんなことまで知ってんのかよ」


「鵺と空狐だけやと、僕の力がその筆、喰うてしまうで。天狗も混ざれば、三つで均衡も取れる」


 そう言いながら、鋭利な爪で己の白い肌を裂き、筆先に血を落とした。


れよりその筆は、現世うつしよ幽世かくりよを繋ぐモノとなった。その幽世を安定させるには、天狗と《《その背後にいるモノ》》の力が不可欠や――ってこと、忘れんときや」


 雅空の指示に従い、愁水はその筆で、絵巻物に赤い鳥居を書き入れた。


「これでよし。あの子ら、現世が楽しゅうてしゃあないみたいやけど、夜になったら絵のなかに戻したってな」


「要するに、子守じゃねえか」


 滝に構ってもらうのがよほど嬉しいらしく、なかには滝の膝から離れない白狐までいる。


「――あの子らの寂しさに同調しながら、よう己を保てたな、愁水」


 白狐らを微笑ましげに見守りながら、雅空の声がわずかながら、憂いの色をびる。


「他者と繋がれんのは寂しい。せやけど、集団の中にあって、己を見失うんも恐ろしい。……心はままならんね。せやから、その中庸ちゅうよう――〈あわい〉で、もがくしかないんやろうけどな」


 この空狐が、ここまで言葉を費やすのも珍しい。


 愁水が黙って耳を傾けていると、空狐ははるか遠くを見通すように、庵の外に広がる青空へと目を向けた。


 色素の薄い瞳は、空の青を映して、淡くんでいる。


「この先は、ますます孤独を深めていくやろな。人も、化物も」


「――どんな時代になろうとも、生き方は手前てめえで選べるはずだ。足りねえと自覚してるもんなら、諦めずに足掻あがいてりゃ、いつかは手に入るだろ」


 愁水がそう言うと、雅空は意外そうな顔をした。


「君も、だいぶ柔らかなったな。心の弱さをあんだけ憎んどった君が」


「おかげさんでな」


 空狐と絵を挟んで交わした言葉を思い出し、愁水は低く笑った。


 ――そんな弱々しい絵、描けるかよ。


 愁水が文句を言えば、言葉の前に、扇で頭を叩かれたものだったが。


 ――あほやな。弱さを知らんもんに、深みのある絵が描けるわけないやろ。


 ――弱さをわらえるんは、ただの無知や。己の無知を誇ってどないしますんや。


「……まあ、今でも思うけどな。どんな環境にいようが、手前が最後に選んだもんが全てだろ、ってな」


 何が可笑おかしかったのか、雅空が声を上げて笑う。


「ほんまに、君の根っこは変わらんなあ。――笑わせてもろたお礼に、ええこと教えたげましょ」


「嫌な予感しかしねえよ」


 早く帰れ、と邪険に手を振ったが、雅空は不意に表情を改め、声を潜めて言った。


「――鵺が教えてくれへんことやで?」


 雅空に扇の先で呼ばれ、愁水は渋々と身を乗り出した。



――――

*鳥獣戯画:日本最古の漫画といわれる絵巻物。平安時代〜鎌倉時代。兎や蛙が擬人化され、相撲や水遊びをする様子が描かれる。

*一尺:約三十センチ。

*詞書:背景を説明する散文(前書き)。

*鯉口を切る:日本刀のつばを親指で押し出す、抜刀の予備動作。


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