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幽世庵モノガタリ~化物絵師と鵺~【幕末あやかしバディ×民俗学ミステリー・全3部・9月末完結予定】  作者: Yumiko
第九幕 天が泣く―白狐

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白狐(5)



 ――嗚呼、寂しい。


 愁水の足元で、大勢の狐が前足で顔を覆って、泣いていた。


 頭をでてやっても、いっこうに泣き止まない。一匹ずつ名を呼んで慰めてやりたいが、己の名すら分からないという。


 困ったな、と愁水はひとちたが、何もない真っ白な場にいることも、己が十かそこらの童のように小さくなっていることも、別段、奇妙だとは思わなかった。


 ただひたすら、行き場のない哀しみがこちらにも伝播でんぱするようで、立ち去ろうという気になれなかった。


 ――こいつらは、俺と同じだ。


 触れたとき、そう直感したのだ。


 守るべき血族がいて、その血族と身を寄せ合って生きてきた。他人はひたすら他人であって、その血族を失えば、己の名を呼ぶ者もいなくなる――。


「――大事なものを守れなかったぶん、他の誰かを守って、帳尻ちょうじりを合わせたいのね?」


 不意に、愁水の隣に巫女装束の女が立った。美しい容姿ではあるが、切れ長の目は理知的な猛禽類のようで、心の内を見透かそうと、愁水の顔を覗き込んでくる。


「誰かのために身を捨てれば、守れなかった自分を許してあげられるものね?」


 痛烈なその一言に、愁水は咄嗟とっさに反論できなかった。的外れな気もするが、覚えがないとも言い切れない。


「助ける理由なんて、いちいち考えねえよ。強いて言うなら、奪われっぱなしのやつを見てると、胸がむかつくからだ」


 そう答えると、巫女が声を上げて笑い、愁水を抱きしめてきた。


「何すんだよ――」


 愁水は童の姿でもがいたが、巫女はその細い腕の中に、愁水をすっぽりと閉じ込めてしまった。


「少しくらい許して。こんな時しか、抱きしめてあげられないのだから」


「あんた、誰だよ? やけに突っかかってきて――」


「仕方ないじゃない。これでも、怒っているのだから」


「怒る……?」


 愁水は抵抗をやめた。穏やかな声音だが、逆らいがたいすごみのようなものがある。


「ほら、あそこにも。あなたが無茶をするから、〈あの子〉はつぶれてしまいそうよ」


 巫女の指差す先に、四つ足の奇妙な獣がいた。


 ぎのような大きな体躯に、鋭い爪と牙――。けれど巫女の言うように、力なく項垂うなだれている。


「さあ、行ってあげて」


 巫女の腕の力が、するりと抜ける。愁水は巫女の元を飛び出して、その獣へと駆け寄った。


 巫女が愁水にそうしたように、手を伸ばして、頭ごと抱きしめてやる。獣はされるがまま、愁水に大人しく身を預けていた。


 どんな凶相だろうが、愁水には恐ろしいと思えなかった。


 この獣は、深く傷ついている。しかも、その原因の一つは愁水であるらしい。


「あなたにとっても、その子が〈特別〉だといいわね」


「特別……?」


「あなたは助けを求めるモノに、手を差し伸べるでしょう。助けを求めることすらできないモノには、より優しく。同時に線引きもしているから、傾倒けいとうしすぎることもない。――誰に対しても」


 巫女の言葉の意味がわからず、愁水は振り返って眉をひそめた。


「何が言いたいんだ?」


「〈特別〉っていうのはね、その相手だけ、例外ってことよ。そんな相手ができたら、己の〈規範〉なんてものは、捨ててしまいなさいね。深く踏み込みたければ、そうすればいいの。――後悔しないように」


「あんたは、後悔したんだな」


 愁水の切り返しに、巫女は困ったように笑ってみせた。


「相手を思って身を引くって、ある場面では、とても薄情なことよ。最後まで手を放さずにいることのほうが、もっとずっと大変で――何ものにも代えがたいほど、確かな救いになるのだから」


 黙っている愁水に苦笑して、巫女が別れの挨拶のように、付け加えた。


「あなたなら、望む結末を掴み取れると、信じているわ」


「なんで、そう思うんだ?」


「あなたが絶対に、諦めない人だから。大事だと認めたら、掴んで放さないでしょう?」


 見透かすような言動がどうも気に食わなくて、愁水は尊大に腕を組んだ。


「あんた、さっきからごちゃごちゃ言ってるけどな。俺は、俺がそうしたいと思ったことしか、やらねえよ」


 巫女は軽く目をみはり、まぶしそうに微笑んだ。


「それでこそ、私の――」


 女の最後の言葉が、愁水には聞き取れなかった。


 愁、と己を呼ぶ、必死な様子の声が響いて、気を逸らせなくなる。


 ――帰ってやるか。


 愁水は小さく笑っていた。


 こんなにも身を案じてくれる者がいるのであれば、《《多少は》》、無茶を控えようという気にもなるものだ。


「ほら、お前らも一緒に帰ろうぜ。俺が何とかしてやるから」


 泣いていた狐たちが、のろのろと顔を上げる。一匹が近づき、愁水の手にそっと、濡れた鼻を押しつけた。




「――おい、息してるか?」


 嗣巳の顔を見上げた愁水は、〈珍しいもの〉を見たと思った。


 仰向けで地面に寝転がったまま、うつむいている嗣巳をまじまじと観察する。


 当人が覗き込むような姿勢でいるのだから、愁水からは嗣巳の顔がよく見える。


「……は?」


 愁水が目覚めると思っていなかったのか、嗣巳が真顔のまま硬直する。


「お前のほうが死にそうな顔だぜ、嗣巳」


 そう感想を述べると、嗣巳の顔が怒り一色に染まった。


「……土葬と火葬、どちらがいいか選ばせてやる」


 冷え冷えとした声音。見る者を震え上がらせるような凶相だが、愁水の目にはなぜか、弱った狸がちらついてしまう。


「また、世話かけたな」


 手を伸ばして、嗣巳の頭を荒っぽく撫でる。特に意図はなかったが、嗣巳の顔が引きつった。


「頭がやられたのか、私を犬猫と勘違いしているのか、どちらなんだ……?」


「どっちかってえと、狸だろ」 


 ただの思いつきで言ったのだが、嗣巳が静かに衝撃を受けているのが伝わった。


「愁水。お前、記憶が戻ったのか?」


 否定すると、嗣巳がそうだろうなと呟いて、目を逸らせる。


 どうやら、《《また》》傷つけたようだ。


 ――そろそろ、思い出してやらねえとな。


「愁水さま……!」 


 跳ね起きた柊が天狗の刀を拾い、こちらに駆けてくる。


 井戸の底から、愁水から引き剥がされたらしい〈白狐であったモノ〉が、溶けかけた腕を伸ばしていた。


 二つの距離を測り、愁水は嗣巳の肩を掴んで引き倒した。


「おい――」


「黙って、伏せてろ」


 目配せすると、嗣巳が動きを止める。


 柊は愁水と嗣巳を庇うように飛び出し、無数の腕を抱きしめた。


 愁水の体から追い出され、天狗の刀に怯んだそれは、抵抗する力もないほど弱っていた。


 この場で穢れを祓ってやらなければ、魂も残らず、消滅しかねない。


「私だけ逃げ出して、ごめんなさい……! 助けて、あげられなくて……っ」


 柊が大粒の涙を零すと、夜空から柔らかな雨が降り注いだ。


 よどんだ気を洗い流していく、銀糸のような雨――。


「――白銀しろがね


 愁水の呟きに呼応して、狐の姿に戻った柊が、白銀はくぎんに輝いた。


 朽ちた草木が身を起こし、清らかな風が吹くと共に、場の穢れが払拭されていく。


 ――天狐の血脈が、目覚めた。


 言祝ことほぐように、草花が揺れ、開花する。


 無数の腕は泥となって崩れ、その中から積み重なって倒れる、白狐の群れが現れた。


 柊は名を呼んだが、一度どろどろに溶けて混ざり合った白狐たちは、我を失ったまま分離できずにいる。


 柊がもう一度、一から名を呼びかけたとき、三味線を抱えた滝がふらりと白狐たちに近づいた。


「……続けて。あたしが、その名に近い音を奏でるから」


 滝が三味線のばちを握る。嗣巳がその様子を注視するが、その意図はわからない。


 柊が名を呼び、滝が弦をしならせる。揺らぐ音は、耳ではなく、身骨に響く。


 白狐の耳がぴくりと揺れ、頭をもたげる。やがて一匹、また一匹と群れから分離して、滝の周囲に集まりだした。


「あ……」


 滝が、撥を取り落とした。天狐の一族の〈名〉を呼びかけるのは、音曲を介しても、相応の負担がある。


「あと少し、踏ん張れるか?」


 愁水は滝が取り落とした撥を拾い、弦に当てた。


 滝が頷き、愁水の手を取る。音曲のたしなみなどないが、滝が力を込めた通りに手を動かし、音を奏でる。


 朝日が昇る頃には全ての白狐が名を取り戻し、愁水の筆を仮の依代として、眠りについた。


 



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