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【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺~【幕末妖かしバディ】  作者: Yumiko
第一幕・小袖の手

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小袖の手(5)


「すまないね、清野屋さん……」


 黙っていた妓楼の主人が、恐る恐るといった様子で口を挟んだ。


「あんた、騙されたんだ。そいつは妓楼の客が置いていったもんだが、何度捨てても戻ってくるからと、店のもんがお葉の形見と偽って……あんたに押し付けちまった。俺がそう聞いた翌日に、そいつは……」


 と、妓楼の主人が言葉を濁したが、聞かなくても顛末はわかるし、それどころではなかった。


 いまになって、最初の違和感を思い出す。


 お葉の指は――あんなに、長くなかったはずだ。


 それでは一体、己は〈何〉と暮らしていたのか――。


 背筋に、冷たいものが走った。





「――盛況だな、清野屋さん」


 慌ただしく客を捌いていた京助を、深みのある低い声が呼び止めた。


「よお、愁水。他人行儀だな、京助でいいって言っただろ?」


 他人じゃねえのかよ、と愁水が破顔する。悠然として浮世離れしているように見えるが、笑えば年相応だ。


「なんなら、兄貴と呼んでもいいんだぜ」


 そんな軽口を叩きながら、京助は小僧に店番を頼んで、愁水と連れ立って歩きだした。 


 あれから、愁水は京助と共に、一枚の絵を出した。


 障子に写る、ほっそりとした黒い影。


 小袖だけが鮮やかな紅色で描かれ、袖口から覗く白い手が、障子の縦框たてがまちに触れている。


 体の向きを考えれば、その手は右手でなければならないのだが、親指を見れば左手であるとわかる。


 影と小袖の手が、別々の生き物であるかのように。


 愁水のこの絵は、よく売れた。


 件の妓楼で噂されていた怪異譚を知らない者も、愁水の作と聞けば察したらしく、あえて〈美人絵〉として騒いでいる。


 作り手と買い手、共犯のようなものだと、京助は密かにほくそ笑んでいる。


「――〈小袖の手〉と言われる怪談、聞いたことなかったか?」


 と、愁水はあの日、小袖の来歴を京助に語ってくれた。


「小袖ってのは、値が張るだろ。死後に売られることが多いもんで、小袖を買ったあとに凶事が起これば、噂が立つ」


 卵が先か、鶏が先か――。


 そう前置きをしてから、最初の所有者が身請け前に亡くなった遊女であり、次は奉公先で手打ちにあった娘であったと、端的に説明した。


「そうやって、〈穢れ〉――人間の負の感情から発生した化物を、呪具として撒き散らす術師がいてな」


 その術師とやらのことは語らなかったが、妓楼の主人からは、小袖を置いていった客のことを詳しく聞き出していた。


 京助も隣で聞いていたが、もちろん踏み込んだりはしない。


 京だろうが江戸だろうが、人間の多い場所に惹かれて集まってきた者は、皆、何かしらの事情を背負って生きている。


 橋の上で自然と足を止め、京助はふっと息を吐いた。


「……ともかく、お葉は、殺されたわけじゃなかった。病だって、怖い思いはしただろうが……それが分かっただけで、十分だ」


「一体どうやって、人を殺めるために作られた呪具を祓ったのかと、不思議だったんだが。あんたのそういう姿を見て、あの化物は絆されちまったわけだな」


 欄干に背を預けて立つ二人の傍を、愁水の絵を抱えて歩く二人組みの町人が、妓楼の噂をしながら横切っていく。


 それを横目に、愁水が呟いた。


「――ああ、わかったぞ」


「何がだ?」


「人間を化物にする方法、だ」


 ずいぶん物騒な話だと思ったが、京助にも関係のある話らしく、愁水の顔はこちらを向いている。


「怪異として、複数の人間に〈語られる〉こと。あんたのお葉さんは、条件を揃えたと思わねえか?」


 京助は、あっと声をあげた。


 愁水は京助の希望通り、小袖に三椏を描いてくれた。


 聞くのを忘れていたが、絵に添えられた歌には、別の花の名が記されていた。


 春去れば先づ三枝さきくささきくあらば


 後にもあはむな恋ひそ吾妹わぎも


 ――春がくれば、まず咲く三枝のように幸いであれば、また逢えるでしょう。そんなに恋い焦がれないでください、私の愛しい人。


「あんたが渡された万葉集に、三枝の歌は二つだけだ。片方が我が子への歌だとすれば、考えられるのはこの歌だ。まあ、この歌を意識したかどうかは、わからずじまいだろうが。約束したんだろ?」


 ――きっとまた、あんたに逢いに来るから。


「物には魂が宿ると言うしな。いつか、絵に〈何か〉が宿るのを――再会を待つのは、あんたの自由だろ」


 そう言い置いて、愁水が去っていく。


 ――化物絵師、か。


 その背を見送りながら、京助は心中で、彼の呼び名を呟いた。





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