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【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺〜  作者: YU
第一幕・小袖の手

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小袖の手(4)



 くだんの絵師、愁水は、野性味のある精悍な顔立ちに、面白がるような色を浮かべていた。堅気にしては纏う空気が鋭すぎるものの、人当たりは悪くないようだ。


 これは店の女たちが騒ぐだろうなと、納得する。


 六尺(*)はあろうかという偉丈夫いじょうぶだが、二十になる京助よりも、いくらか若く見えた。

 

「ここにいた化物は、二体だ。感情のおりみてえな所だから、《《相応の》》化物が惹かれて、居着いちまう。……二体のうち一体は、人を殺める類いのモノだった。それが、まあ――」


 ひっ、と悲鳴を上げたのは妓楼の主人で、一点を凝視したまま、滔々《とうとう》と語る愁水の背に逃げ隠れた。


 何を見たのかと視線の先を辿れば、鮮やかな紅色の小袖が、ひらりと揺れた。


 障子には女の黒々とした影が映っており、見え隠れする小袖と白い腕とが、別れを告げるように手を振っている。


 京助はその手を取って、引き寄せようとした。恐ろしいとは思わず、体が勝手に動いていた。


 あの日、本当はこうやって、想い人を引き留めたかったのだ。


 しかし、小袖は京助からするりと離れて、床に落ちた。


 女の影も、ない。


 満足して、消えてしまったかのようだった。


「――ずいぶんと、毒気を抜かれちまったことで」


 愁水が、にっと笑いかけてきた。猛禽類を思わせる切れ長の目だが、眼差しはどこか優しい。


「こいつは一度遊郭を出たそうだが、俺が来たときはこの階を逃げ回るだけで、外に出て行こうとはしなかった。よくわからねえヤツだと思ったが……」


 小袖を拾った愁水が、思いがけず、真剣な顔で京助に向き直った。


「あんたのことを待っていたんだな。あんたも、こいつに思い入れがあるんじゃねえか?」


 どうして欲しい、と問いかけるような言葉に、京助は言葉に詰まった。


 何もかも、今更だ、と思う。


 何もしてやれなかった癖に、死んでから願いを叶えてやろうだなんて――そんなもの、手前が楽になりたいだけの偽善じゃねえかと、己を罵倒してやりたくなるだけだ。


「どうも、何も……いつかは全部消えちまうんだ。ここで俺が足掻いたところで、何になるってんだ」


 投げやりな言葉が口を突いて出たが、愁水は見透かしたように、軽く笑って受け流してしまった。


「本気でそんなことを思うやつが、版元なんざやるかよ」


 さすが、〈同じ道〉にいる人間は、容赦がない。


「愁水さん、あんた、俺のことを知って……?」


「おう。妓楼の主人から、化物があんたの所に居るかもしれない――と、聞く前からな。地本問屋の空蝉うつせみ堂店主、清野きよの京助だろ?」


 愁水が懐から取り出したのは、此度の出版統制令によって発禁となった絵本だった。


「あんたの化物絵本、良かったぜ。あんたには、これを出すだけの理由があったんじゃねえか?」


 京助は観念して、小さく笑った。


 化物好きらしいお葉のために作ってやったものだったが、そもそも、己が絵を、文字を残したいと思ったのは――。


 刹那を留めておきたい、形にして残したいと、儚いうつを惜しむ気持ちがあるからに他ならない。


 それらを残すのは、生きた証を残すことと、同義なのだろう。


 本音を溢すことを許されるのなら、京助は切実に、お葉の生きた証を残してやりたかった。


「じゃあ、なんだ。頼めば、化物絵を描いてくれるってのかい? お上に背いてまで?」


 京助は挑発するように問い返したが、これは警告だった。


 禁じられた絵を出版すれば、絵師も版元も、ただでは済まない。


 手鎖の刑、身上半減(*)。絵師は断筆に追い込まれるだろう。


 愁水は企み顔で、筆を揺らして見せた。


「なあ、化物ってのは大体、動物か人間を元にして描くよな? 見たことのない……奇抜すぎるモンは、かえって受けが悪い。そうだろ?」


 唐突な問いに困惑したが、京助は頷いた。


 人間のような仕草をする動物、あるいは、人間にあるはずのものが欠けている姿――。


「よく見知ったモノを、奇妙に描いてこその化物絵だ、と俺は思っていてな。巨大化させるのもわかりやすいが……もう一つ、人を化物として描くのに、有効な手法があるだろ?」


「……〈逆さま〉、か?」


 京助の答えに、愁水が満足げに応じた。


「ご名答。わかるヤツにはわかる。わからなければ、そのままでいい――。そういう絵を描いてやるよ。ま、それでも咎められれば……」


「一蓮托生、か。いいぜ、俺ぁあんたに賭けさせてもらうよ」


 ぱっと、道が開けたようだった。


 禁じられたのであれば、どこまでも先を行き、監視の目を掻い潜ってやればいいだけのこと。


 大事な存在を失って肝まで小さくなっていたが、本来の己はこうであったと、久方ぶりに思い出した。


 規模は小さな店だが、この身一つ、才覚一つで、新参者と嘲られながらも一等地に問屋を構えられたのは、この反骨精神故だった。


「これからよろしくな、愁水」


 そう言って、勢い余って愁水と肩を組んだとき、京助はお葉の言葉も思い出した。


 ――あんたにとって、大事なことなんだからね。


 ――絵師だって、誰でもいいんじゃないのよ。


 確かに、この絵師との出逢いは、京助にとって何物にも変えがたいものになるだろう。


「そうだ、小袖には必ず、三椏を描いてくれよな」


「三椏……?」


 されるがままになって苦笑していた愁水が、不思議そうな顔で小袖を見遣った。


「似てはいるが、これは三椏じゃなくて、臘梅ろうばいだろ」


「えっ……? いや、あのな。この小袖は、先日この妓楼で亡くなったお葉ってやつのもので……」


「――何の話だ?」


 愁水の言葉は、晴れ晴れとした心持ちでいた京助を、戦慄させた。


 幽霊と化物は、違うだろ、と。




――――

*六尺:約180センチ。幕末の男性の平均身長は155-158センチ(歴史上最も低い)といわれている。

*身上半減:江戸時代の重罰。財産の半分を没収される。

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