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【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺~【幕末妖かしバディ】  作者: Yumiko
第一幕・小袖の手

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小袖の手(3)



 血相を変えて京助を訪ねてきたのは、妓楼の主人だった。


 店の者から小袖を受け取らなかったか、と問われ、不審に思った京助はとっさに、亡き妹の小袖を引っ張りだして見せた。


「違うっ、これじゃねえ」


 邪魔したな、と挨拶もそこそこに、妓楼の主人が背を向けて去っていく。


 まるで、後ろ暗いことでもあるかのように。


 ――まさか。


 疑念を抱いたが、何もしてやれないことはわかっていた。何もかも、今更だ。


 行李から小袖を取り出し、縫い目をなぞる。


 ――痛かっただろうか、怖かっただろうか。


 歯を食いしばり、うつむいた京助の顔に、ひんやりとした〈何か〉が触れた。


 息が詰まったが、京助の目元に触れた白い指は、柔らかな羽根でくすぐるように――労るように、優しかった。


「……泣いてねえよ」


 なぜか、そんな言葉が零れていた。


 そして、京助の言葉を理解したように、指が引っ込んだ。


 ふと〈違和感〉を覚えたが、よく考えるまえに、名が浮かんでいた。


 ――お葉?


 心中で呼び掛けて、京助は思い出した。

 

 ――いつか、あたしの錦絵にしきえ(*)を出して。


 それは京助が地本問屋を始めた頃の、お葉との他愛のない会話だった。


 ――美人絵か? その自信はどっからくるんだよ。


 ――あたしが美人なのは、否定しないけど。描いてほしいのは、化物絵……あたしが死んだあとのことよ。


 ――おい、縁起でもねえこと言うなよ。


 ――まあ、聞きなって。あんたにとって、大事なことなんだからね。


 得意げな顔。《《いつもの》》、あの表情だった。


 ――絵師だって、誰でもいいんじゃないのよ。《《そのとき》》、化物絵ならあの絵師が一番いっちだ――って、皆が口を揃えて言うような絵師じゃないと。


 思い返しても、変わった女だった。


 お葉は時折、あたしには少し先のことが視えるんだとうそぶいて、姉貴面で助言をよこすことがあった。


 それがまた当たるものだから、お葉は実の親兄弟を含め、周囲から疎まれ――怖がられていた。


 お葉は京助に、あんただけだと言って、寂しげに笑ったものだ。


 ――あんただけが、あたしを〈内側〉に入れてくれる。


 自分は、人の世の外側にいるーーとでも、思っていたのだろうか。その時の京助は、鼻で笑うだけだったが。


 あれは――《《こういう意味》》だったのだろうか。


 それから数日の間、〈化物〉との奇妙な生活が続いた。


 行李に仕舞った小袖はあれ以来姿を見せなかったが、部屋を留守にするたびに物の配置が変わっていたり、ふとしたときに背後に気配を感じたり――と、京助はその存在を何となく意識しているうちに、控え目に寄り添われているような心持ちになっていた。


 だから、だろうか。


 常にその気配を感じていたからか、部屋に一歩足を踏み入れただけで、京助は異変に気がついた。


 行李を開けると、小袖がなくなっていた。


 それと同時期に、例の妓楼では怪談騒ぎが起こり、京助の耳にもその噂が届いた。


 ――小袖から生える腕。


 ――捨てても戻ってくる小袖。


 今更、と躊躇ちゅうちょしていた京助は、お葉が亡くなって初めて、妓楼を訪れた。



 久方ぶりに訪れた妓楼は、ちょっとした騒ぎになっていた。


 意気消沈――していたはずの店の女たちが、二階へと続く階段を取り囲んで、浮き足立っている。


「あんた、いい所に来たじゃない。例の〈化物絵師〉が来てね、二階で描いてんのよ」


「ちょいと、覗いてきとくれよ。あたしらは邪魔するなって言われているけど、あんたなら大丈夫」


 女たちに文字通り背中を押されて、京助は二階に上がった。


 化物絵師――とは、ひと月前にふらりと江戸に現れた、愁水と名乗る絵師のことだろう。


 どの流派にも属さず、化物ばかり描く変わり者。


 噂では、その絵には化物が〈宿る〉のだという。


 絵師の逸話としてはありふれたものだが、初めて絵を見たその晩、化物が夢に現れたのだと興奮気味に話す者もおり、絵師本人も化物扱いされかねない勢いだ。


 一月でこれなら、連作で大量に刷れば、とどこの版元も考えただろうが、折悪しく、幕府に化物絵の出版を禁じられたばかりだ。


 そのためか、愁水も個人の依頼による肉筆画だけを請け負っているらしく、実際にその絵を見た者は少ないのだが――。


 件の絵師は、妓楼の主人に見守られながら、肉筆画を描き終えたところだった。


 京助は主人の肩越しに、絵を覗きこみ――思わず、喉を鳴らした。


 こちらに背を向け、鏡台を覗きこむ女の絵。


 ほっそりとした首筋に、鏡面をすがるように這う指。


 繊細さが目を惹く一方で、鏡に映る女の切れ長の目は憂いを湛えながらも、同時に名状しがたい凄みのようなものを漂わせていた。


 ――これは、化けて出てきそうだな。


 密かに驚嘆していると、とっくに京助の存在に気づいていたらしく、濃紺の着流しを着た総髪の絵師が立ち上がって、京助を振り返った。



――――

錦絵:江戸時代の浮世絵の名称。にしきのように美しいことから名付けられた。多数の色を重ねてる木版画。歌舞伎や美人画、名所絵などの最新の風俗を伝え、庶民のメディアとして大流行。

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