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幽世庵モノガタリ~化物絵師と鵺~【幕末あやかしバディ×民俗学ミステリー・全3部・9月末完結予定】  作者: Yumiko
第九幕 天が泣く―白狐

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白狐(3)



「――やだっ、愁水先生じゃない。どうしたの?」


 茶屋に集まっていた娘の一団が、愁水に気づいてにわかに色めき立つ。


 娘らは神職姿の嗣巳には遠慮がちだが、それでも密かに、狩人のような視線を向けてくる。


 品定めされるのが煩わしく、嗣巳は物珍しそうに通りを見回す柊を連れて、距離を取った。


「よお、久しぶりだな。最近は、妙なことは起きてねえか?」


 愁水が話を振ると、我先にと声が上がった。


「聞いてよ先生。ここのところ、真夜中に獣の鳴き声がするんだけど――」


「もう、それはあたしが言おうと思ったのにっ。狐の鳴き声でしょ?」


「ええ、鵺じゃなかった?」


「鵺の声は、女の悲鳴に似ていると言うが――」


 愁水が呟くと、やだ愁水先生、と弾んだ声が上がる。その語頭につく「やだ」が何を指すのか、嗣巳には分からない。


「――とにかくね、不気味な鳴き声ってこと。〈神隠し〉の騒ぎもあるし、無関係じゃないかもしれないわ」


「神隠し? 行方不明者がいるのか」


 愁水が問い返すと、


「老若男女問わず、よ。最初は文吉っていう職人だったかしら」


「あら、文吉さんなら帰ってきたじゃない」


「でも、自分の名前も思い出せないって話じゃない。ずうっとぼんやりしててさ」


「あとは……有名な版元さんの家も、娘さんが夜に出ていったきりって聞いたけれど。ね、気になるなら、迷子探しの石標を覗いてみたら?」

 

「ああ、そうさせてもらう。いつもありがとな」


 娘らが名残惜しそうな声を上げながら、嗣巳には意味ありげな流し目を送ってくる。


 返礼として微笑んではみたが、愁水は何とも言えない顔だ。


「まさか、それで笑ったつもりかよ?」


「愛嬌について、お前にとやかく言われたくないな」


「何言ってやがる。俺は愛嬌たっぷりだろうが」


「ふてぶてしい、の間違いだろう」


 軽口を叩きながら、愁水は一石橋で足を止めた。東西にかかる八つの橋が一望できるため、〈八ツ見橋〉とも呼ばれる橋だ。


 その橋の南際に、子どもの似顔絵を張った石標が立っていた。


「これが〈よひ子のるべ〉、迷子探しの石標だ」


 この辺りは盛り場だから、迷子も多い。迷子が出た場合は町内が保護することになっており、保護者が見つかるまでの養育費は町の地主が出し合うため、このような仕組みができたのだ。


 迷子を探す者は右に、保護した者は左に紙を貼るのだが――。


「……清野屋の、京」


 右に京の名を見つけた愁水は、歩き疲れたらしい柊を嗣巳の腕に預け、素早く身をひるがえした。




 京助の店は閉まっており、愁水は裏長屋に回って京助を訪ねた。


「京助、お京は?」


「ああ……今朝がた、千里せんりが連れ戻してくれた……」


 やつれた様子の京助が、のっそりと戸口に現れた。


「お京はな、同じ長屋に住む、小せえ娘の面倒を見てやってたんだよ。親が帰って来ねえってんで、長屋みんなで面倒を見てたんだけどよ……」


 上がってくれ、と京助が力のない声で促す。


 長屋には既に、滝と雨月の姿があった。滝の腕に抱かれて、京はぼんやりと虚空を見つめている。


「愁さん……」


 滝がすがるように、愁水を見上げてくる。


 京を抱きながら、三味線のばちを握るその指は皮がけて、赤くれている。獏のときのように、必死に呼び続けていたのだろう。


 愁水は滝の手から、そっと撥を取り上げた。


「姐さん、その辺でやめておけ。今回は勝手が違うみてえだ」


 視線をずらせば、布団に寝かされている青年――京が千里と名付けた獏が、苦悶くもんの表情で眠っている。


「京は、その娘が〈化物の行列〉について行こうとするのを止めに入って、身代わりになったんだ。千里のおかげで助かったみてえだが……その千里も、話の途中で倒れちまって……」


 この有様を見れば、助かったとは言い難い。


「二人とも、魂は抜けていない」


 愁水が目で問うと、嗣巳が簡潔にそう答えた。


「お京も千里も、助かるってことか……?」


 一睡もしていないらしく、そう呟いた京助がふらりとよろめいた。


「お京は目を離しちまうと、どこかに行こうとすんだよ。そんで、愁水を呼ぶのに手間取っちまって……。みんな、来てくれてありがとな……」 


「どうにかしてやるから、落ち着けよ。――嗣巳、こいつはどういう状態だ?」


「強烈な暗示にかかっているようなものだな。どうにかしたいなら、〈形代かたしろ〉を使え。やり方は教えただろう」


 嗣巳が懐から、人形ひとがたの紙を差し出した。けがれを移した形代で身代わりの式神を作り、〈化物の行列〉の後を追わせろ、ということだ。


 愁水はその紙を京の口元に近づけ、吐息に触れさせる。


 簡単な命令文を唱えたのち、中国漢代の公文書末尾に書かれた言葉である、「急々如律令きゅうきゅうにょりつりょう」、つまり「|急いで律令の如くに行え《法のように急いで施行せよ》」、と陰陽術のやり方で付け加えれば、京にそっくりの動く人形にんぎょうの出来上がりだ。


「そんなら、夜になるまで待つか。俺が見ているから、今のうちに休んでろよ」


 滝と京助は気が抜けたように、深く息をついて頷いた。




 梅雨の湿気を含んだ生暖かい夜風が、急に冷え込んだ。


 霧が忍び寄り、群青色の闇を覆う。行灯あんどんを持つ手元さえ白くかすみ、一歩先も覚束おぼつかない。


「こいつは役に立たねえな」


 戸口で京助に行灯を返し、京から絶対に目を離すなと言い含めておく。


「柊、本当について来るんだな?」


 愁水が再度尋ねると、柊はしっかりと頷いた。


「この闇夜では、狐火がお役に立つはずです」


 青みを帯びた白銀の狐火が虚空こくういくつも浮かび、周囲を照らす。


 失敗した蠱毒こどくの状態がわからないまま、取り込まれる恐れのある柊を連れて行くのは気乗りしないが、約束は約束だ。


 しかし、奮然ふんぜんと歩みだしたそばから、柊が足を取られ、顔から転びそうになる。


 愁水が寸前で襟首えりくびつかんで引き戻すと、柊は驚いた拍子に飛び出した狐の耳を伏せて、か細い声で謝った。


「お願いです、愁水さま。弱くても、置いていかないで……」


「あのな、常に強くる必要はねえんだ。ここぞという時に、全力を出せればいい。それまで温存しとけよ。俺が連れて行ってやるから」


 頷いた柊が、びくりと肩をすくませる。霧に紛れて、引き摺るように行進する足音が幾重いくえにも重なって聞こえてきた。


 京の姿をした形代の式神を振り返ったとき、雨月と共に戸口から顔を出していた滝の、案じるような眼差しと目が合った。


 何か言いかけたようだが、霧が流れ込み、眼前を白く塗り潰す。


 視界がふさがれる寸前、形代の式神が破裂した。


「――けがれを溜め込めなかったか。小娘を押さえておかんと、逃げるぞ」


 愁水の耳元で、嗣巳が忠告する。


「お京――」


 愁水が一歩踏み出す前に、すぐそばを軽い足音が駆け抜けた。


「お京ちゃん!」


 滝が悲鳴をあげて、その後を追う。


「待て、姐さんっ」


 愁水は咄嗟とっさに手を伸ばしたが、着物の裾が指をすり抜け、掴み損ねた。


 柊を脇に抱え、即座に走り出す。京助と雨月の騒ぐ声がしたが、すぐに途切れた。嗣巳が止めたのだろうと察して、その場は任せることにする。


 愁水、と嗣巳に名を呼ばれた気がしたが、不意に全ての音が消失した。方向感覚も狂い、己がどこに向かって進んでいるのかも判然としない。


 ――化物の通り道に入ったか?


 ほんの僅かな間だが、暗がりを突き抜けると、足裏に感じる土の感触が変わった。


 むせ返るような、緑の濃い匂いに包まれる。気づけば、愁水はどこか山の麓の木立に立っていた。


 首を巡らせれば、遠くに火の見(やぐら)の提灯が小さく揺れているのが見えた。市中でないことは確かだが、江戸近郊であることは確かだ。


「お京ちゃん……!」


 背後で滝の悲鳴が上がり、愁水は声の方へと走った。


「どこだ、姐さん!」


「愁さん、ここに井戸が……!」


「――愁水さま! 水の匂いはあっち!」


 脇に抱えていた柊が、腕をすり抜けて駆け出した。狐火で照らされた道を追うと、その先の井戸で、滝が京とみ合っていた。


 虚ろな目をした京が、井戸へ身を投げようとしている。


 いち早く駆けつけた柊が、京に手を伸ばす。その刹那、腐敗臭のする黒く太い腕が何本も這い出し、柊と京を井戸へ引きずり込もうとした。


 柊の指が腰の刀を抜こうともがくが、絡みつく腕に阻まれて、届かない。


 愁水は黒い腕と柊の間に滑り込み、そのつかを逆手に掴み取った。


 抜き放った刀を反転させ、切っ先を突きつける。黒い腕が怯んだように揺れ、拘束が緩んだ隙に刀を捨てて柊と京の腕を掴むと、背後に突き飛ばした。


「その刀持って、今すぐ離れろ!」


 ――器、見つけた。


 指示を出したそのわずかな間に、愁水の眼前で、眼孔のない黒い顔が、裂けるような大口を開けていた。


 視界が激しく揺れ、背中から水面に叩きつけられる。その衝撃で、どろりと粘ついた液体を口に流し込まれていた。


 昏い水のなかで、呼吸を奪われ、黒い腕が無数に体を這い回る。


 懐の札に伸ばした手も絡め取られ、肺に残った最後の空気が、愁水の口元から大きな気泡となって、ごぼりとこぼれた。





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