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幽世庵モノガタリ~化物絵師と鵺~【幕末あやかしバディ・民俗学ミステリー/第二部完結】  作者: Yumiko
第九幕 天が泣く―白狐

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白狐(2)


「今日は何の御用ですか、雅空まさあき殿?」


 大半の化物を凍りつかせる、嗣巳の冷めた一瞥いちべつを、雅空は薄い笑みで軽々と受け流す。


 力の差は歴然としており、愁水が雅空に連れて行かれたときも、抵抗すら出来なかったほどだ。


 公家と見紛う優美なたたずまいに、底意地の悪い笑み。


 よわい千年をとうに超えたこの狐は、最上位の〈天狐てんこ〉に次ぐ通力を持つ、〈空狐くうこ〉なのだ。


 この高位の狐と最初に出くわしたのは、嗣巳と共に江戸へ向かう道中――百々目鬼とどめきの一件の直後だった。


 鵺の血を吸った〈魔の筆〉で、化物に居場所を与える人間の絵師、というものに興味を持った雅空は、人の世で言えば十日ほど、愁水を化物の棲家すみかに〈かどわかし〉た。


 そこで〈修行〉と称して仕込まれたのが画業の心得というのも、雅空の酔狂ぶりを物語る。

 

「……えらい、怖い顔しはって」


 雅空は面白がるように嗣巳と愁水を見比べていたが、不意に居住まいを正した。


「僕の眷属けんぞくが、君らもよう知っとる陰陽師の蠱毒こどくに巻き込まれてしもてな。蠱毒の〈なり損ない〉と化して、夜な夜な市中を練り歩いては、人間から〈名前〉を奪っとるんやけど――」


「その眷属ってのは、柊の一族のことか?」


 愁水が身を乗り出すと、雅空にすかさず扇ですねを叩かれた。


「お前っ、貴人はそんなことやらねえぞ」


「化物贔屓(びいき)は結構なことやけど、話は最後までお聞きよし」


 雅空が言葉を切り、庵の柴戸に目を向ける。柊がおずおずと顔を覗かせていた。


「雅空さま……」


本復ほんぷくしはったようで何よりやな、〈天泣てんきゅう〉」


「天泣? 何だそりゃ」


「よお泣くうえに、泣けば雷雨が降るもんやから、一族の者からは天泣と呼ばれとった。もちろん真名とちごうてな」


「雷雨……?」


 愁水と嗣巳は同時に呟き、ようやく人に化けられた子狐を見遣みやった。


「見えへんやろ? せやけど、天泣は一族のなかで最も天狐の血が色濃く現れた子や。そろそろ通力に目覚めてもええ頃合いなんやけど、今のところはこの通り。せやから愁水、君にこの子を鍛えてもらいたい」


「何だよ、眷属を救えとは言わねえのか?」


「……江戸市中にぎょうさんある稲荷の社は、この先ほとんど残らへん。合祀ごうし政策、地震、空襲――何より、信仰心の喪失。ここで散っとくんが幸せかもしらへんなあ」


 未来を見通す空狐の言葉は、愁水には到底理解できるものではない。


「先のことなんざ、今を生きるやつには関係ねえだろうが」


 愁水がそうすごんでみせると、雅空は柔らかな微苦笑を浮かべた。


「僕の眷属を救おうと思うてくれるんやったら、なおさら、天泣を鍛えてもらわんと」


 口調は軽いが、思いがけず真摯しんしな眼差しとぶつかり、愁水は文句を引っ込めた。


「……その依頼、高くつくからな」


「落着したときには、今までよう導いてもろてありがとう言うて、君から頭下げたはるやろなあ」


 冗談ぬかせ、と短く応じて、愁水は立ち上がった。


「そんなら早速、鍛えてやるよ。来い、柊。この奥の湿地には、大木よりもでかい大蛇がんでいるんだ。いまからそいつに会わせる。度胸試しに丁度いいだろ?」


「……愁水。〈丁度いい〉の塩梅あんばいが、私から見ても怪しいぞ」


 黙っていた嗣巳が口を挟み、雅空が扇で口元を隠したが、笑いを噛み殺し損ねて、声が漏れている。


「連れて行ってください、愁水さま」


 童女の着物姿から、凛々しい水干すいかん姿に転じた柊が、震えながら言った。すでに涙ぐんでおり、快晴の空から小雨が降ってくる。


 柊を連れて湿地に出掛けた愁水は、半時もせずに庵へ引き返した。





「――もう帰ってきたのか」


 嗣巳が茶を啜っていると、愁水が社務所に顔を出した。


 ちなみに、茶請ちゃうけにしているのはこの近くの音無川のほとり、芋坂にある〈藤の木茶屋〉の羽二重団子だ。


 その団子を見遣り、愁水が顔をしかめる。


「お前、また水代の姿で行っただろ。店の前を通ったら、店主が『妹さんが買いに来られましたよ』だと」


「おまけしてくれるからな。――ほら、柊。団子をやるから泣きやみなさい」


 嗣巳は悪びれず、庵の縁側に茶器まで運んだ。


 愁水もどかりと腰を下ろし、菓子に手を伸ばす。


 羽二重のようにきめ細かい団子は、歯ざわりが良い。こし餡で包んだものと、生醤油のつけ焼きの二種あるが、どちらも嗣巳の好物だ。


「柊のその怪我は? 大蛇と戦ったわけじゃないだろう」


「気配に気圧されて、転んじまっただけだ」


 愁水の隣で、柊は菓子を食べ終えたあとも、申し訳なさそうにうつむいていた。膝のあたりに血が滲んでおり、痛そうではある。


「もうちっと段階を踏んでやるか」


「最初から、そうしてやれ。お前を基準にするな」

 

 嗣巳の言葉を聞き流し、愁水は庵から刀を持って来た。


「それは――」


「〈天狗〉が置いていった、破邪の刀だ。化物を傷つけずに、〈圧〉だけで退散させる」


 柊が、呆気にとられた顔で愁水を見上げた。


「どうした?」


「その刀を、何故いつも持ち歩かないのですか……? 化物と対峙して、無傷でいられるとは限らないのに……」


「破邪の武器をぶら下げたまま、俺を信用しろとは言えねえよ。柊、そいつはお前が持っておけ。天狗の圧に慣れりゃあ、耐性もつくだろ。――構えろ、柊」


 柊に破邪の刀を渡し、愁水自身は何の変哲もない刀を手に取った。


 刀を右脇に構えた愁水が、柄を握り、流れるような所作で抜刀する。


 落ち着いた動作だが、無駄のない動きと静けさ――〈間〉が、逆に恐ろしい。斬るはずがないとわかっていても、ぞくりとくるものがある。


 決して届かない場所から切っ先を柊に向け、しばし対峙したのち、刀を鞘に納めた愁水は感嘆の声を上げた。


「――すげえな、納刀までに気絶したぞ」


 天狗の刀と愁水、両方に気圧された柊は、目を覚ましたのち、哀れなほど気落ちしていた。


「その悔しさを、覚えておけよ。それがお前の力になる」


 愁水は柊の頭を荒っぽく撫でて、その腰元に破邪の刀を結んでやった。


 そうして元服前の武家の子息に見えるように仕立てると、市中を同心よろしく、柊と共に見回ると言う。


「……私も同行してやる」


 こちらに背を向けた愁水を、嗣巳は思わず呼び止めていた。


「ああ? まだ食い足りねえのかよ」


「――そういうことにしておこう」


 煮え切らねえな、と眉を潜めた愁水だが、深追いはしてこない。もっとも問われたところで、嗣巳も答えなど持ち合わせていない。


 己の目の届かない所に、愁水をりたくなかった。


 ――ただ、それだけのことだ。





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