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幽世庵モノガタリ~化物絵師と鵺~【幕末あやかしバディ・民俗学ミステリー/第二部完結】  作者: Yumiko
第九幕 天が泣く―白狐

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白狐(1)


 名は、魂を〈うつわ〉に縛るモノ。


 命を寿ことほぎぎ、まじなうモノ。


 だから、私の名を呼んで。


 この浮世で、己を見失わずにいられるように――。




 

 笛のが鳴る。


 太鼓のおとが響く。


 自棄やけ酒をあおり、千鳥足で帰路にいた文吉ぶんきちは、その途次とじで〈異形の行列〉に出くわした。


 朱色の野点傘のだてがさ、宙を彷徨さまよう蒼白い炎。


 皆、狐の面で顔を隠している。


 狐の嫁入り行列――だとは、思わなかった。


 うつむききながら、体を引きるように進む陰鬱いんうつさまは、むしろ葬列に近い。


 ――何だ、ありゃあ。気味の悪い。


 文吉はそそくさと背を向けたはずだったが、足は勝手に行列へと向き、気づけばその最後尾に加わっていた。


 ――どうなってんだ? 身体が、言うことを聞かねえっ……。


 行列から離れようと、心はもがいている。しかし、次第に奇妙な居心地の良さを覚え始め、文吉は抵抗を止めた。


 狐面の一行は誰も振り返らないが、文吉がそこに居ることを受け入れている。


 大きなものの一部となるような感覚は、酒では満たせなかった心の欠落を、ゆるやかに満たしてくれた。


 天涯孤独の身で生国しょうごくから江戸に流れ着き、孤独と無聊ぶりょうを酒で紛らわしながら、毎日をただ〈やり過ごす〉日々だった。


 常に愛想のいい笑顔を張りつけ、長屋の近所づきあいも仕事も上手くこなしているが、誰かと深く関わることはない。故郷ではその出自から爪弾つまはじきにされ、村祭りの行列は遠くから眺めるばかりだった。


 ――己を捨てて、この行列の一部になれたなら。


 そう願う頃には、文吉は《《己の名前を忘れていた》》。


 稲荷の社の手前にある狭い小径こみちを通り、山の木立に分け入っていく。行列は暗闇を突き進み、何の目印もない寂れた井戸へと順々に吸い込まれていった。


 文吉も後に続こうとしたが、井戸の手前で何かに弾かれた。


 ――名が手に入った。


 ――けれども、我らの〈器〉は、これではない……。


 幾重もの嘆きの声を聞きながら、文吉はその場に崩折くずおれた。


 もう、何も考えられない。


 文吉が動けずにいると、背後から二人分の足音が近づいてきた。


「――実に、半端な〈蠱毒こどく〉だ。お前が躊躇ためらうから、一族で喰らいあったというのに〈一つ〉にも成り切れず……どろどろに溶け合ったまま、もがき苦しんでいるよ、真澄」


「面目ございません、ご当主様……」


「半端な覚悟は、悲劇しか生まないと分かっただろう。これは愁水の筆に吸わせるしか、使い道もないな」


「そんな……危険すぎるのでは? 愁水を死なせては、ご当主様の計画が……」


「では、蠱毒を完成させろ。《《立派な》》化物に育てば、改めて迎えに来よう。……どの道、〈空狐くうこ〉が動けば愁水の力になるだろう。人の世に介入するモノでもないが、同族のことだしな」


 男が立ち去りかけて、冷たく言い放った。


「失敗は許すが、心変わりは許さない。――次はないぞ、真澄」


 真澄、と呼ばれた中性的な声のぬしが何と答えたのか、気が遠のきかけていた文吉には、もはや聞き取れなかった。





 早朝の境内に、清々しい風が吹き渡る。


 今朝は久方ぶりの快晴で、抜けるような青空を映したように、幽世庵の庭では露草つゆくさが鮮やかな青い花弁を広げている。


 昼にはしぼむため、早朝にしか見られない光景だが、愛でるためではなく、愁水が絵具の材として植えたものだ。


 露草の汁から抽出した染料〈青花あおばな〉は、浸透性が良く、和紙の上に深みのある青を表現できる。


 露草を摘み始めた愁水は、ふと、庵の屋根に目をやった。


 植物から色を抽出するのはもちろん、鉱石を砕いて、独自の配合で岩絵具を作ることもあるが――貝殻を屋根などの屋外で干して作る胡粉ごふんは、完成まで数年かかるため、着手していない。


 一所ひとところに根を張ることなどできないだろうと、心のどこかで予感しているからだ。


 愁水の作業を横目に、嗣巳は今朝も不満げな顔で朝餉あさげを口に運んでいる。


 いまは〈同居人〉が増えたため、嗣巳の前にはもう一つ箱膳はこぜんがある。その一つを食べ終えた〈童女〉が、愁水の元へ駆け寄ってきた。


「……愁水さま、何をしているの?」


「絵の具を作るのに、露草を摘んでんだ。手伝ってくれるか? ――柊」


 愁水が頼むと、童女は――人間に化けた柊が、嬉しげに頷いた。


 ようやく化けられるほど回復した柊だが、目の前で一族が互いに〈喰らい合う〉姿を見たために、心の傷は深い。


 気が紛れるなら何でもいいのだが、いまの柊には単調な作業が合っているようだ。


「露草の汁を採ったら、刷毛はけで和紙に塗り重ねて、日差しに当てて乾燥させる。繊細なもんで、液体や粉末では保存できねえんだ。使うときは、短冊状に切って――小皿に乗せて、水を含んだ筆で溶く」

 

 こんなふうに、と依頼の絵に青花をたっぷり用いて描いてみせれば、柊は目を輝かせて見入る。

 

 愁水は少しばかり考えて、仕上げに歌を添えた。


 ――月草のれる命にある人を いかに知りてか後に逢はむと言ふ


「愁水さま。これ、どういう意味?」


「――月草のように、儚い仮の命しか持たぬ身で、どうして後にも逢おうと言うのですか……ってな」


「短くても、いつか終わるとしても……また逢えるって信じているから、だよね?」


 柊の解釈に、愁水は意表をつかれた。


 月草は、露草のことだ。露草の青は美しいが、色がせやすく、水で洗うと溶けてしまうため、歌では人の心の移ろいやすさ、儚さを指すものとして詠われる。


 だが柊はこの歌を、想い人に袖にされた恨み言、とは取らなかったようだ。愁水と同じように。


 詠み人知らずなのだから、解釈はこれくらい自由でも構わないだろう。


「――これで完成だ。俺はもう一眠りさせてもらうぞ」


 絵を仕上げた愁水は嗣巳にそう言い置いて、布団の上に身を投げ出した。


 朝餉の後に二度寝をするのは珍しいことでもなく、嗣巳も昼過ぎまでは起こさない――のだが。


 深く眠り込む寸前で、布団を引き剥がされた。


「何しやがる……」


 体を起こした愁水は、相手の顔を見てうめき声をあげた。


 烏帽子えぼしをかぶり、狩衣をまとった美貌の男が、狐目をいっそう細め、優雅に蝙蝠扇かわほりおうぎ(*)を仰いでいた。


 人間のよわいでいえば三十過ぎの見目だが、実際はそう可愛げのあるものではない。


「……雅空まさあき殿、もう少し寝かせてやってください」


 庵の戸が開き、嗣巳の声が静かに割って入った。


「あきまへんよ、こないな無精を許して。また〈うち〉にてもろて、きゅうえてやらんといかんなあ、愁水?」


「うるせえ、人攫ひとさらい」


「人聞きの悪い。師匠の間違いやろ?」


 文字通り、人を喰いかねない笑みを唇の端に刻んで、雅空はゆったりと首を傾げた。


 雅空のほうでは〈ありがたい修行〉を積ませている気でいるのだから、話は平行線を辿る一方だ。


 ――有無を言わさず、愁水を連れ去っておきながら。



――――

*蝙蝠扇:数本の骨の片面に紙を張った平安時代の扇の総称。扇子の原型。



 


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