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幽世庵モノガタリ~化物絵師と鵺~【幕末あやかしバディ・民俗学ミステリー】  作者: Yumiko
第八幕 雨夜の月―蛇神

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蛇神(7)


「百合……?」


 手を伸ばせば、百合が愛しげに頬をすり寄せ、細く冷たい手を重ねてきた。


 幻では、ない。


 ひんやりとした肌に触れ、熱いものがこみ上げてくる。


「私は、お前を失わずに済んだのか……?」


「俺は祓い屋じゃねえ、と言っただろ。――そいつが土地に縛られた祟り神だろうが、別のモノに憑けば移動は可能だ。例えば、その掛け軸とかな」


 愁水の言葉が、上手く呑み込めない。芝居を打たれたのだと気づくまで、しばしの間があった。


「あとは穢れを祓ってやれば、守り神としてれる。――おい、聞いているか? そっちも、俺に一計がある。任せてくれねえか?」


「ああ……頼む」


 隼之介は一つ頷いて、頭を下げた。


 要するに化物絵師というのは、〈化物に居場所を提供する〉という意味だったらしい。


 一部焼け焦げた座敷を見渡し、どこか胸がすいた。鬼火は跡形もなく消え、己の一部も一緒に焼け落ちたようだった。


 欲しいものに、手を伸ばすことすらできなかった己と共に。


 こちらを案じて見つめる百合と卯之助を見やり、隼之介は震える吐息を漏らして、さらに深く頭を下げた。


「礼を言う、愁水殿。これからは己の手で、全て――」


「ほらな、また肩に力が入ってるぜ。ここに居るのは皆、〈共犯者〉だ。ほかに言う言葉があるだろ?」


 目の前に膝をついた愁水の顔を見上げ、隼之介は晴れやかな心持ちで頷いた。


「――では、手伝ってくれ」





 絵巻物さながらの花嫁道中を、愁水は滝と共に、愛宕あたごの山頂から眺めていた。


 護衛の武士や、嫁入り道具を運ぶ人足、〈姫〉のともをする侍女――。


 輿こしに乗った花嫁の姿を垣間見て、愁水は微かに口端を上げた。窮屈な輿こしのなかでも、人に化けた花嫁は会心の笑みを浮かべていたはずだ。


 腹をくくってからの隼之介の動きは、迅速じんそくだった。家格の開きを埋めるため、養子縁組を三度挟んで、梅雨明けも待たずに百合を嫁に迎えたのだ。


 家柄を重視するものの、養子縁組という抜け道のおかげで、武家の婚姻も存外どうにかなるものだ。


「――ふふ。皆、嫁入り道具を探しているね」


 花嫁道中に駆けつけた人々の列を見やり、滝がどこか得意げに言う。


 愁水が視線で問うと、


「江戸中の瓦版が、花嫁の持つ化物絵師の作――〈雨夜月之古図あまよのつきのこず〉の噂でもちきりなんだから」


 夫婦を守護し、あらゆる厄災を退けるという蛇神を描いたこの絵が持ち込まれた途端、三組のどの養家も、それ以上の恩恵に預かったという。


 その霊験に最もあやかったのが、縁談相手の水沢家だ。若君をさいなんでいた祟り神は消え去り、持ち主の娘もまた、将来有望な若君に見初められた――。


 その噂が江戸市中に出回って間もなく、化物ばかりを描く戯作げさく者、滝亭右橘りゅうていうきつが、清野屋から一冊の戯作を出した。


 武家に伝わる守り神と、若様の悲恋――そこから一転して、異類婚姻譚には珍しい、幸せな顛末までを描いた作で、挿絵を描いたのはくだんの愁水である。


 ――という筋書きが、愁水たちの思惑以上に浸透していたようだ。


「そうか。上手くいって何よりだが、流行ってのは本当に読めねえな。こないだまで蛇の祟りを真に受けてたじゃねえか」


「いまはもう、白蛇信仰が流行りよ。歯痛に効くだの富くじが当たるだのって、尾ひれのつきっぷりも面白いんだから。でも、この流行りもいつまで続くかしらね」


「まあ、今回は流行り続けなくても構わねえんだ。目的はもう果たしたからな」


「噂で〈上書き〉する、って話?」


「ああ。あの白蛇は自滅した藩主のせいで、水沢家の人間に祟り神と認識されちまったからな。その穢れを祓うなら、より多くの人間に守り神として認識させて、上書きしてやりゃあいい」


 家臣は若様の快癒を羽黒山の白蛇の霊験と思っており、代々語り継がれた〈祟り神〉は討ち果たされたこととなっている。


 となれば、曰くつきの白蛇の絵を持つ花嫁は縁起が良いと、水沢家の者は歓迎しているらしい。


 むろん、そう吹聴したのは隼之介本人だが――。


「なるほどね。怪異を認めて、語り継ぐのは人間だものね。人間の勝手に振り回されて、可哀想な気もするけれど……」


「俺は時々、人間のほうこそ封じてやりたくなる」


「言うと思った。でも、愁さんのおかげで若様も本当の願いに気づけたんだから、そう言いながら人間も一緒に救っているのよねえ」


 知り合って日は浅いが、愁水の気質をよく理解している滝は、こんな皮肉にも声を立てて笑ってくれる。


 その気安さから、愁水はふと呟いていた。


「人間は、手前てめえすら騙そうとするものなんだな」


「だから、他人が必要なんだろうね。一人では気づけないことが、あまりにも多いから」


 意表を突かれ、愁水は滝の凛とした横顔を見やった。


「あたしは他人の温もりに触れるまで、自分の身体が冷えていたことにも気がつかなかったよ。わからないことは、いつだって他人が教えてくれる――そんな気がするね」


 滝の眼差しは、柔らかく、温かい。――彼女の描く怪異譚と、同様に。


 愁水が滝の言葉を胸の内で反芻はんすうしていると、遠くから強い風が吹き渡ってきた。


 生憎の曇り空だが、四方を見渡しても遮るもののない景色は、胸がすく。


 内海から左に目を向ければ、江戸城の彼方には筑波山までもが望める。


 滝に誘われなければ、見られなかった景色だ。


 嫁入り行列が中屋敷に入るのを見届けて、愁水は滝に向き直った。


「悪かったな、手伝ってもらっちまって。今度改めて、礼をさせてくれ」


「水臭いね。持ちつ持たれつ、だよ」


「……いい言葉だな」


 愁水は最後にもう一度、中屋敷を振り返った。


 時花神はやりがみとしてはすぐに忘れられるだろうが、事の顛末てんまつは水沢家の記録と滝の物語によって、語り継がれていくだろう。


 ――せめて、忘れないで。


 白蛇が祭礼を望んだのも、そんなささやかな願いによるものだった。


 縛りつけられ、欲を満たす道具として使われたとしても、己の存在を忘れてくれるな――と。


 その祭祀を〈あえて〉行わず、鬼火に焼かれたといういつかの藩主も、あるいは同じ願いを持っていたのかもしれないと、愁水は想察している。


 人の心はもろい。


 その生は儚い。


 最後に残るのはおそらく、ひとかけらの想いだけだ。


 ならばその想いを残すことが、己の本懐なのだろうと思う。


「俺たちは、〈生きた証〉を紙に刻み付けているようなもんだな」


 愁水の呟きに、滝は目を細めて頷いた。


 薄っぺらい紙では心もとないが、抗うように描き続けることこそが、生きることに繋がる。


 ――他人を、巻き込みながら。


「また組もうぜ、姐さん」


 愁水はそう告げて、桜川の前で滝と別れた。


 花嫁道中の終わりを待っていたかのように、霧雨が降り始める。


 愁水にとっては傘を差すほどではないが、気になって振り返ると、滝の元へ妙齢の女が――人に化けた雨月が、傘を持って駆け寄るところだった。


 ――雨が降っていても逢いたい女、か。

 

 ふとそんなことを考えて、愁水は微笑を浮かべて背を向けた。




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