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【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺〜  作者: Yumiko
第八幕 雨夜の月―蛇神

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蛇神(4)



「――困ってんなら、俺にけ。こっから連れ出して、じっくり話を聞いてやる」


 愁水が腕を噛まれたまま振り払わずに語りかけると、蛇のあごがふっと緩んだ。


 かすみのように蛇体が消える。刹那、どろりとした熱塊のようなものが身の内に流れ込み、その熾熱しねつと重圧に体がふらつきかけた。


――……祟り神か。


 家の守り神のはずだが、穢れを溜め込みすぎたらしい。


 嗣巳の冷ややかな目と小言が浮かび、愁水は心中で苦笑する。


「兄上は助かるのか? 早う、侍医を呼ばぬと……」


「いや、もうじき落ち着くはずだ。心配なら、この札を枕元に置いてやれ」


 隼之介の呼吸が整うのを確認して、愁水は懐から鵺の札を差し出した。


「礼を言う、愁水殿。家臣も鬼火が視えると言って、怯える始末でな。〈化物絵師〉の札があれば、皆安心するだろう」


「鬼火……?」


「祭礼を欠かしたために、酷く祟った年……その代の藩主の手記には、鬼火を視た者は遠からず、死に至る――と、記されておったのだ」


 蛇は、水に属するモノだ。


 ――その鬼火は、どこから来た?

 

 愁水は口を開きかけたが、熱に侵されて、思考が怪しい。正直に言うと、立っているのがやっとだ。


 また様子を見に来ると言い置いて、愁水は足早に城を後にした。




 ――危なかった。


 水沢家の城から出た真澄は、ほんのわずかな差で城門をくぐった愁水の背を見送り、そっと息を吐いた。


 黒蝶の式神に愁水を偵察させ、手近にあった木の上で待機する。成り行きを見守る間、真澄はじっと己の手を見下ろした。


 傷心の白蛇に首輪をめるのは、容易たやすかった。


 生涯を縛る代わりに、強力な力で願いを叶えるという守り神。祟り神へと変容しているのも、《《都合が良かった》》。


 穢れは、強ければ強いほど良い。


 ――隼之介のためなら、何だってしてやるよ。


 ――あたしはもう、どうなったって構わないんだ。


 必死に城主を掻き抱いていた白蛇は、真澄の甘言にあっさりと騙された。


 ――それなら、この首輪で力を増強すればいい。その《《若様の願い》》をきっと叶えてくれる。


 真澄には、白蛇の願いが痛いほどよく分かった。城主の願いと、同様に。


 真澄は懐から、朧に持たされていた雲外鏡うんがいきょう――真実を映すという鏡を取り出した。


 鏡には、城の上空に漂う鬼火の正体が映し出されている。


「……本当に、難儀だね」


 真澄は小さく呟いた。


 弱者が大事なものを守ろうとするのなら、己の身を差し出すしかない。そして選択肢に自己犠牲を入れたとき、結末は既に決まっているのだ。


 人は、己の望み以上の未来を勝ち得ない。


 そうと分かっていても、実際には長年染みついた既成観念や思い込みに囚われて、手を伸ばすことすら思いつけない――。


 霧雨が降りだして、景色が灰色に沈む。


 片目を閉じて、式神から送られてくる映像に集中する。


「――愁水」


 指が動きかけたが、間に合わなかった。


 愁水が、白蛇に噛まれた。そのうえ祟り神に体を貸すものだから、本当に無茶をする。


 すぐにでも飛び出して行きたかったけれど、首輪への関与を疑われるような真似は出来ない。愁水の軽蔑の眼差しを想像して、小さく肩を震わせた。


 愁水が城を出て、充分に離れるのを待ってから、木の上から飛び降りた。


 あともう少ししたら、繁華な通りに出る。そこまで行ったら、後ろから声をかけて――。


 真澄が歩みを速めたとき、愁水とすれ違った女が、驚いたように足を止めた。


 女のほっそりと白い手が伸びて、愁水の額に触れる。


 藤色の蛇の目傘から覗いた横顔は、気後れするほど美しく――優しげだった。


 往来では雨を気にした人々が忙しなく行き交っており、道の端で立ち止まっている二人には目もくれない。


 女が少し怒ったように、愁水の頬に手を添える。愁水は驚いたように目をみはり、その手を掴んで――目を閉じた。


 心の臓が、強烈な痛みを訴えた。


 愁水はおそらく、真澄の前ではあんなふうに、弱みを見せたりしない。


 ――やめて……触らないで……!


 心が発した悲鳴に、真澄は愕然がくぜんとした。


 ――まさか、悋気りんき(*)だとでも?


 真澄は一歩も動けないまま、そんなはずはないと否定した。


 どんな形でも、《《例え当人が望まなくても》》、愁水が《《真澄の変わりに》》幸せになってくれれば、真澄も《《報われる》》はずだった。


 その想いは、いまも変わらない。


 それなのに、知らない女が愁水の傍に寄り添うのを見た途端、こう思うのを止められなかった。


 ――奪われた、と。


「違う……っ」


 体がよろめいて、転びそうになる。その拍子に、懐から雲外鏡を取り落としてしまった。


 慌てて身をかがめた真澄は、その鏡に映る像を見て、凍りついた。


 鏡のなかで、愁水の隣にいるのは――真澄だった。


「……知りたくなかったな」


 真澄は反対の方へと歩き出したが、足がもつれて、今度は受け身も取れずに転んでいた。不幸中の幸いだったのは、そこが泥濘ぬかるみでなかったことか。


 両手をついて、起き上がる。利き手がずきりとうずいたが、これまでにしてきたことを考えれば、己には痛がる資格すらなかった。


 そのまま歩き出そうとしたところで、背後から腕を取られた。


「――何やってんだよ。ボロボロじゃねえか」

 

 愁水の声に、息が詰まった。


 振り返ると、蛇の目傘の女はいなくなっていた。


「どうせ、また無茶してんだろ。傘も差さねえで」


「愁水こそ……傘はないし、具合は悪そうだし」


「俺はいいんだ、頑丈だからな。――いままで見てきたんなら、知ってるだろ」


 含みのある言葉に、真澄は息を詰まらせた。


「あの黒蝶の式神、お前のだろ」


 ――近づきすぎた。


 悔やんだけれど、もう遅い。


「どうして……」


「何となくだ。依頼をこなすたび、俺の身を案じるみてえに、ちらちらと視界に入ってくる。――危なっかしいのはお前のほうだと、言ってやりたかった」


 愁水の切れ長の目が、真澄を正面から見据えてくる。深く黒い瞳に吸い込まれそうで、ただその目を見つめ返すことしかできなかった。


「馬鹿だな。泣くほど嫌なら、やめちまえ」


「泣いてなんか……。やめるって、何を……?」


「ずっと思い詰めた目をして、苦しんでいる。――ってのは、百々目鬼の言葉だ。お前が何をしているかは知らねえが、気にするな、とも言っていたな」


 それ以上、立っていられなかった。足元から崩れ落ちた真澄を、愁水の熱く大きな手が支えてくれた。


 愁水の腕のなかから、鋭く力強い目を覗き込む。


 ――今なら、えるかもしれない。


 懐から雲外鏡を取り出したけれど、鏡面には何も映っていなかった。


 〈何も〉知らず、記憶もない愁水に、真の望みなど持てるはずもない。


 ふと、このまま突き進んで、真澄の思う〈幸福〉を押しつけたところで、何の意味があるのかと焦燥に駆られる。


 ――人は、己の望み以上の未来を勝ち得ない。


 真澄は愁水の首に両腕を絡めて、抱き寄せた。自身の言葉に、突き動かされるままに。









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