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【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺〜  作者: YU
第七幕・鬼雨に喰らう―獏

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獏(3)


「化物の匂いって、雨月のか?」


 愁水は羽織の袖に鼻を近づけたが、わからない。


「あの猫又の匂いじゃない。お前のほうは薄いから、直接会っていないんだろう」


「だったら、寝込んでるやつらの長屋だな。お京はほとんど引きこもってるって話だから――」


「……化物を引き寄せる、化物好きの娘か。さぞかし、人の世では生きにくいのだろうな」


 体を離した嗣巳が、庵を見やって呟いた。


 わらべに怖がられる嗣巳だが、京は《《一目で》》嗣巳にも心を開き、にっこりと微笑んで見せたのだ。


 嗣巳の困惑顔は見ものだったが、京助の気苦労を思えば笑ってもいられない。


 正体を見破った上で、鵺を怖れない童とは――。


「――なあ、愁水。〈化物好みの人間〉がどういう者か、わかるか?」


 嗣巳が縦長の瞳を細め、楽しげに問いかけてくる。


「わからねえが、どうせろくでもねえ理由だろ」


 愁水は一蹴いっしゅうしたが、鵺の瞳の底に深い闇を見た気がして、憎まれ口を叩く気は失せた。



 ――この子の簪、もう流行遅れなのよねえ。


 ――この帯、もう少し帯幅が広ければ買ったのに。


 通りを歩きながら、流行はやりに敏感そうな人の目を見つめて、心を読む。


 番付を作ったときも、京はこうして流行りを掴んだのだ。


 あまりやると頭が痛くなるのだが、京は流行りを知るために――京助の役に立つために、苦手な雑踏の中を果敢かかんに進んでいく。


 目当ては、京助と一緒に住む大伝馬町一丁目の長屋のすぐ近く、二丁目から三丁目の問屋街だ。


 一丁目、二丁目は木綿問屋で賑わうが、二丁目からは薬種や文具を扱う問屋が目立ちはじめる。三丁目になると鼈甲べっこう象牙ぞうげ細工、宝飾品の問屋が立ち並び、行き交う人々もどことなく華があるように見える。


「お京、はぐれるなよ」


 京助に手を差し出されて、そっと手を乗せる。


 京助をあおぎ見ると、物言いたげな――困惑した表情を浮かべていた。


 ――俺は、お京のことをわかってやれねえ。


 そんな心の声が聞こえて、京はひゅっと息を呑んだ。


 心の臓が早鐘を打ち、体が芯から冷えていく。


 通りの店を見に行きたい、と言い出したのは京だ。それなのに、行き交う人間の顔ばかり見つめていたのだから、不審に思われて当然だと思う。


 けれど、兄には――母の面影を残すこの顔には、そんな目で見られたくなかった。


 立ち止まりかけたとき、ばくの声が、京の耳の奥で響いた。


 ――顔を上げて、胸を張って。


 あの時、獏はそう言ったのだ。


「人間は外見に騙される。内実がともわないものは看過かんかされるけど、中身はいずれ、外見に引きずられるものだよ」


 京が首を傾げると、男――獏は、笑って言い直した。


「後から〈本当〉にすればいいんだから、あなどられないように、自信を持って胸を張りなよ――ってこと」


 獏は京の手を引かれ、地本問屋へと連れて行かれ――。


 快活に笑う兄を遠目に見て、京はきゅっと唇を噛んだ。目元が、母に似ていた。京は、母には似ていないのだけれど――。


「君、名前は何て言うの?」


 獏は別れ際、京に名を尋ねた。


「京……」


「お京ちゃんね。妹の京だと、胸を張って言っておいで。それから……忠告してあげる。化物に、こんな風に名前を教えてはいけないよ」


 獏はひらりと手を振って、雑踏のなかに消えていった。


 あれ以来、姿を見かけていないけれど――。


「……お京?」


 京助に声をかけられて、はっと顔を上げる。


 ――おあにさまの心は、もう読みたくない。


「流行りはわかったから、もういいわ。帰ろう、お兄さま」


 京は明るく笑って、ぱっと顔を背けた。


 実際、流行りそうなものはわかった。


 男女問わず、皆、品のある〈ありがちな意匠いしょう〉にいている。


 けれど下品なほど派手なものは馬鹿にされるため、程よく教養をにじませなければ、振り向いてもらえない。


 こういうときは――。


 京は辺りを見回して、ちょうど良い二人組みを見つけた。


 大通だいつう(*)と呼ばれそうな、渋い色合いのつむぎ(*)の羽織を着た壮年の男二人が、書物屋(*)の画譜がふ(*)を熱心に覗きこんでいる。


 その二人が立ち去ったあとで、京はそこに描かれていたものを指差して言った。


「お兄さま。愁水先生に〈これ〉を描いてもらったら、きっと売れるわ」


 京は自信たっぷりに――あえて、普通の娘ではないのだと強調するように言った。


 隠してもどうせ不気味がられるのだから、それならいっそ、振り切ってしまえばいい。発言に説得力を持たせるために、本音を押し殺して演技する。


 今度こそ、上手く立ち回らなければ。


 役に立つ娘なのだと、価値を示さなければ――。


 内心で焦る京には、京助の眼差しの意味がわからなかった。




「――〈蜃気楼図しんきろうず〉、これでいいか?」


 愁水が京に手招きして、仕上がった版下絵はんしたえ(*)を見せてくれた。


 大ハマグリが煙のような妖気を吐き、その中に楼閣が浮かび上がるという、蜃気楼の図だ。


 京が書物屋で買ってもらった画譜がふを示して、〈地本問屋として〉依頼したものだった。


 ――奇抜で、幻想的。


 中国のいにしえの記述による構図だけれど、愁水の阿蘭陀おらんだ画法(*)による浮絵うきえ(*)との組み合わせで、新たに発見されたようなおもむきがある。


 ベロ藍(*)で描かれた空と海は境が曖昧で、静かにたたずむ幻の楼閣と、うつつの景色も混ざり合って見える。


「ね、愁水先生。海に雲母きら(*)の粉をまいたら、もっと綺麗じゃない?」


「先生はよせって言ってるだろ。――それにしても、雲母摺きらずりか。お京は目利きだな」

 

 愁水は童とあなどることなく、真剣な顔で言った。


 相変わらず、愁水の心は読めない。けれど、〈京助の妹〉という立場を利用して遊びに来る京を、愁水は拒まなかった。


 ――好きな時にりゃいい。


 愁水の無頓着な物言いや態度は、京を安心させてくれる。少なくとも、ここに居てもいいのだと思わせてくれる――。


「――愁水、客だ」


 庵に顔を出した嗣巳が、壮年の男を連れてきた。今日は嗣巳のいる鵺代神社のほうにも参拝客が二組来ており、昼前だというのに忙しそうだ。


 その客が帰ったかと思えば、嗣巳が不機嫌そうに、愁水の絵を指して言った。


 藍色の浴衣を着た女たちが、大鉢おおばちに浮かぶ紅白の白玉(*)を覗き込んで、嬉しげに目を細めている絵だ。


「今日はこれにしてくれ。白玉なら、お前でも失敗しないだろう?」


「てめえ、俺がいつも失敗してるみてえじゃねえか」


「自覚があって何よりだ」


 一見剣呑(けんのん)とした会話だが、憎まれ口を叩きながらも、愁水の横顔はどこか楽しげに見える。


 嗣巳は表情を変えないけれど、愁水にしか敬語を崩さないし、何より――愁水のことを、よく見ている。


 ――あたしには、そんな相手がいない。


 こっちを見てほしい、と見つめてみたけれど、二人とも京の視線に気づかずに、それぞれ庵を出ていってしまった。


 たったいま、ここに居てもいいのだと安心したところなのに、もう不安に揺れている。


 蜃気楼図を手元に引き寄せた京は、心惹かれ、目を逸らせなくなった。


 ハマグリの吐く煙に浮かんだ、遠景の楼閣。


 ここには、誰もいない。

 

 ――この絵の中に、入れたらいいのに……。


 初めから誰もいなければ、孤独を感じることもないかもしれない。


「そいつが気に入ったか?」


 白玉の入った器を持って戻ってきた愁水が、京の顔を覗き込んできた。


「うん……」


「よし。俺と賭けをしようぜ、お京。もしこの絵が売れたら、俺がお前に肉筆画を描いてやるよ」


「売れなかったら?」


 京がむくれて尋ねると、愁水がにっと笑って言った。


「反対に、お京が俺に絵を描くんだ」


「いやだ!」


「じゃあ、しっかり売らねえとな。――ほら、白玉」


 愁水が白玉を渡そうとすると、


「待て、私が毒味してやるから」


 と、嗣巳が至極真面目な顔で言うので、京は少しだけ笑えた。




 蜃気楼図は、京の予想通りよく売れた。


 愁水は肉筆画を描いてくれると言ったし、京助は職人に頼んで、一点物のかんざし——峰全面に煙と楼閣とを螺鈿金蒔絵らでんきんまきえで描いた、見事な鼈甲べっこうの簪を贈ってくれた。


 ――ここに居ても、いいのかもしれない。


 そう思えるようになったある日、京は長屋の前で綺麗な娘と出くわした。


「あら、あんたが京助さんの妹さん?」


 勝ち気そうな人だと思ったけれど、優しく好意的な目だと思った。


 こくりと頷くと、娘は親しげに肩を抱いてきた。


「そうなの、仲良くしてちょうだいね」


 娘と目を合わせた京は、ぞっとして肩を震わせた。


 ――京助さんに近づくためには、妹を取り込んでおかなくちゃね。


 娘の目から流れ込んでくる思念は、京助の商いや容姿の評判など――打算的なものばかりだった。


「……お兄さまは、あなたの装飾品じゃない」


 京は思わず、娘の〈心の声〉に反論してしまった。

 


――――

*大通:遊芸などに詳しい、いきな人物。江戸時代のカリスマ。

*紬:糸の段階で染色をした後に布を織った絹織物。

*書物屋:専門的な学術書などを出版、販売。絵草紙や浮世絵を売る地本問屋(絵草紙屋)と区別された。

*画譜:花鳥風月などの手本を載せた、絵の教科書、見本帳。

*版下絵:木版画の墨一色の清書原画。

*阿蘭陀画法:西洋の透視図法/遠近法のこと。

*浮絵:背景が奥に、手前の景色が浮き出して見える絵。

*ベロ藍:

*雲母:

*紅白の白玉:江戸時代の白玉は、食紅や紅花などで着色したものが主流で、砂糖水や冷や水に浮いていた。江戸っ子の夏の風物詩。



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