表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺〜  作者: YU
第七幕・鬼雨に喰らう―獏

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/71

獏(4)



「――いやね、あんた。何言ってんの?」


 娘の笑みが歪み、瞳の奥が揺れる。目の前にいるのは幼い娘ではなく、不気味なモノだと気付きはじめたときの、〈いつもの反応〉だ。


 そうとわかっていて、京は止められなかった。


「本当に好いているわけじゃないなら、おあにさまに近づかないで」


 見透かすように、まっすぐに瞳を見つめてやれば、人は本能的に京を恐れる。目の前の娘も後退って、きびすを返した。


 ――あたしが、お兄さまを守らないと。


 そのときは達成感すらあったのに、次の日、京はひどく後悔した。


「――ねえ。あんた、お京ちゃんでしょう?」


 長屋の井戸端に集まる〈いつもの三人娘〉に声をかけられて、京は立ちすくんだ。


 京は、この年かさの娘たちが怖かった。人好きのするにこやかな表情を浮かべているのに、流れ込んでくる心の声は妬みや不満でいっぱいで、絡みつくようにねばっこい。


「今日は一段と上等なかんざしだねえ。よく見せとくれよ。いつも遠目に見て、羨ましいと思っていたんだよねえ」


 ――はん、相変わらずの左団扇ってわけかい。


「清野屋さん、今日も繁盛してたわねえ。また滝亭右橘りゅうていうきつの新作がでるそうじゃないの。今度も、愁水が挿絵を描くんだってね。――ね、お京ちゃん。売り出すまえに、こっそり貸しとくれよ。ちょいと自慢してやりたくって。ね、同じ長屋のよしみってことでさ」


「お、お兄さまに聞かないと……」


 京が蚊の鳴くような声で答えると、いたたまれないような沈黙が流れる。一拍置いて、心の声がどっと噴きだすように流れこんできた。


 ――ああ、いやだ。〈お兄さま〉だなんて、呼び方まで気取ってる。


 ――愛想の悪いうえに、けちときた。


 ――京助さんも可哀想に、この娘がいなけりゃねえ。


「やめ……やめて……」


 耳をふさいでも、静止の声をあげても、心の声は止められない。


 ――こないだの縁談、この娘が原因で、破談になったそうじゃない。評判の小町(*)だったのにねえ。


 その言葉を聞いた途端、京は膝から崩れ落ちていた。呼吸が速くなって、うまく息を吸えない。


「苦しいの? お京ちゃん、長屋には誰かいるっ?」


 京は弱々しく首を振った。本当は肩を掴んでいる手を振り払いたかったけれど、力が入らない。


 三人娘に体を抱えられて、京は表店の問屋のほうへ運ばれた。


 京助が血相を変えて、医者を連れてくる。ほんの半時ほどで落ち着いたのだが、京は布団から出してもらえなかった。


 ぼんやりと天井を見つめていると、障子の向こうから、京助の声が聞こえてきた。


「――お京のためにも、どこか別の場所にやるほうがいいかもな」


 京の目から、涙がこぼれた。


 どうして、あたしは上手くやれないんだろう――。


 誰にも見つからないように外へ飛び出すと、大雨が降っていた。宵闇の裏通りには、人っ子一人いない。


 ――これから、どこへ行こう。


 京がうつむいていると、影が差して、雨がさえぎられた。京は外套がいとうにすっぽりと包まれていた。


「――その悪夢、俺が喰ってあげる」


 獏が妖しい笑みを浮かべて、京を見下ろしている。


 京は手を伸ばして、獏の着物を掴んだ


「――ぜんぶ、食べて」


 自分で驚くほど、京の声は冷たく響いた。


「あたしの嫌いなもの、ぜんぶ食べて。それができないなら、あたしを〈ここじゃないどこか〉に連れていって」


 あやすように京の背に触れていた手が止まり、獏がかすかに笑った気配がした。


「どちらも、叶えてあげようか?」


 顔を伏せた京は、獏が浮かべた表情に気づかないまま、頷いた。




 作業の手を止めた愁水は、勢いを増した雨音につられて、開け放っていた庵の柴戸しばとから外を見遣った。


 鬼が降らせたような、大雨――。


「……鬼雨きう、か」


 奇しくも、隣で茶を飲んでいた嗣巳がそう呟いた。


「こういう陰気な日は、人間が気病みして、化物が活気づくものだが。……件の話、〈眠り病〉と呼ばれるようになったらしいな」


「ああ。呆けるだけだったやつも、とうとう眠っちまったらしい」


 しかも、その数は急増している。食事をらずに眠り続ければ、当然、人間の体は衰弱して死に至る。


 体を揺り動かせば寝言などの反応があるため、魂を奪われたわけではない、となると――。


「――獏だろう」


 愁水の筆が止まったままなのを見かねてか、嗣巳が言った。


「それは俺も考えた。だけど、獏にそんな力はねえだろ」


 愁水は手元にあった画譜の、獏の項目を開いた。


 獏は、悪夢を食べてくれる〈縁起物〉。獏を描いた札や箱枕、獏の形をした獏枕は、室町時代から根強く好まれている意匠だ。


 昔は眠っている間に魂が遊離すると信じられていたから、魂が悪鬼にさらわれてしまわないよう、寝具に呪術的な工夫を凝らしたのだ。


 しかしいまの時代、本気で悪夢を恐れる者はいないだろう。せいぜい、暮らしをいろどる縁起物を楽しむ程度で、獏自体は一貫して恐怖の対象ではない――のだが。


「陰陽師の首輪のせいだとは思わないか?」


「まあ、そいつのせいなんだろうが……」


 愁水は途中で言葉を切った。


 それは、ありえる。いや、獏の引き起こした怪異、ということでいいのだが――何か、引っ掛かる。


「なんで、獏なんだろうな。大勢殺してえってんなら、他にもっと怖がられる怪異はあるだろ?」


「……殺しが目的ではないんだろう」


 ふいと、嗣巳が顔を背ける。


 ――何か、知ってやがるな。


 愁水が鋭く一瞥いちべつすると、嗣巳は気乗りしない様子で口を開いた。


「獏は、中国起源の神獣だ。喰うのは夢ではなく、人間の魂を狙う妖や精霊だった。それが室町の日本で変容した。――何故か?」


 嗣巳の問いに、愁水はしばし黙考もっこうした。


 獏の由来は愁水も知っている。『山海経せんがいきょう(*)』には、『このけものは鉄と銅を食べ、他の食物を食べない』とあった。


 夢といえば、中国には夢を喰う獏奇ばくきという神がいる。それから、人の心や悪夢を吞む、伯奇はくきという巫女も。


 由来は諸説あり、それらを混同した――と言えばそれまでだが、嗣巳の望む答えではないだろう。


「……人が望んだから、か?」


 愁水の答えに、嗣巳は満足げに笑ってみせた。


「ご名答。――神も妖も、人が望むままに変容していくものだ。誰かが獏に願えば、目覚めぬ夢を与えることも、結果として人死が出ることもあるだろうな」


「獏だとして、どうやって捕まえりゃあいいんだよ。相手は夢の中にんでいるんだろ?」


「眠っている者のなかに、〈宿主〉がいるはずだ。その者を特定して、夢から獏を引きずり出せばいい」


 ――まるで、最初からわかっていたような物言いだ。


「……さっきから、妙に言い切るじゃねえか。お前、獏の仕業だとわかっていやがっただろ」


「匂いで、大方な」


「てめえっ、何で最初に言わなかった?」


 愁水が凄むと、嗣巳は不快そうに目を細めた。


「勘違いするなよ、愁水。私はおぼろの思い通りになるのが不快なだけで、直接関係しないならどうでもいい。……人助けでもしていると思ったか?」


 怒りのあまり、言葉が出ない。


 どこかで、この鵺の〈善性〉を信じていた、己への怒りもある。


 愁水は黙って、黒羽織にそでを通した。


「愁水、どこへ行く?」


「その宿主とやらを探すんだよ。わかってんのに聞くな」


 嗣巳に人間を助ける義理などないと、わかっている。手前勝手だという自覚もあるが――むかつくものは、むかつくのだ。


 柴戸を開け放った愁水は、振り返って尋ねた。


「……宿主の探し方は?」


「言わん」


 にべもなく断られ、愁水は足音も荒く庵を出た。




「――愁水。お京が、目を覚まさねえ」


 京助の地本問屋が閉まっていたため、裏長屋に回った途端、店主本人とぶつかりかけた。


 京助の切迫した様子に加えて、静まり返った長屋の様子も気にかかる。


「そんで、いつから寝込んでるんだ?」


「おとといだ。もっと早く、おめえに相談すべきだった……」


「心配すんな、二日じゃ早いほうだ。お京の様子はどんなだ?」


 憔悴した京助の肩を掴み、京の眠る部屋へと案内させる。


 障子を開けた京助は、はっと息を呑んだ。


 黒の外套を着た若い男が、ゆっくりとこちらを振り返る。浮世離れした端整な顔が、愁水を見て疲れたように笑った。




――――

*小町:評判の美女。

*山海経:古代中国の神話や地理をまとめた書。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ