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【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺~【幕末妖かしバディ】  作者: Yumiko
第七幕・鬼雨に喰らう―獏

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獏(2)




 愁水が絵を描きだすと、絵から飛び出した鼠――旧鼠きゅうそが、ちょろちょろと庵の中を走り出した。


 片手を伸ばして構ってやれば、指先に旧鼠の長い歯が当たる。甘噛み程度で痛くも何ともないのだが、狐の威嚇と鼠の悲鳴で、途端に騒がしくなる。


 狐――ひいらぎに追いかけられた旧鼠は、すごすごと絵の中に逃げ帰った。柊が化物として格上なのか、どうも、旧鼠のほうは強く出られないようだ。


「――ますます、化物屋敷だな」


 すまし顔でそう言った嗣巳に、愁水はにやりと笑いかけた。


「その筆頭だろうが。心配しなくても、旧鼠のほうはもらい手が決まったぞ」


「先刻の客か。鳥居ですれ違ったが、わざわざ大坂(*)から来たと言っていたな」


「ああ、養鼠家ようそかってやつだと。大坂じゃ、愛玩あいがん用に毛色の珍しい奇品きひん(*)を育てるのが流行はやってるらしいな。――柊も欲しいと言われたが、断った」


 すでに愛着が湧いている、という以上に、柊は力が強すぎる。少なくとも、〈蠱毒こどく〉の件が片付くまでは手放せない。


 愁水が頭をでてやると、柊は満足げに喉を鳴らして、掛け軸の中へと戻っていった。


 そうか、と相槌あいづちを打ったきり、嗣巳は黙って愁水の手元を見ている。庵はあっという間に静まり返り、その〈圧〉に押し負けた愁水は、絵に集中せざるを得ない。


 何が面白いのか、このぬえは愁水が描く様を眺めるのが好きらしい。


 邪魔ではないが、題材をすぐに思いつかないときはきまりが悪い。ここのところ錦絵にしきえの依頼が続いたため、流行りものもネタ切れだった。


「――やめた、ちょっくら出掛けてくる」


 しばらく筆を遊ばせていた愁水は、諦めた。こういう時は怪異騒動の聞き込みも兼ねて、繁華な界隈かいわいを歩くに限る。


「〈昨日の話〉も確認してえしな」


 食事も取らずに、ぼんやりとほうける者。仕事に行かず、眠り続ける者。


 そんな風に突然活力を失う者が、ある界隈で集中的に増えているのだと、鵺代神社の参拝客が昨晩相談しに来たのだ。


「愁水、日本橋に行くなら――」


「甘味だろ?」


 六月十六日――菓子を食べて無病息災を願う〈嘉祥かじょう〉の日が近づいており、菓子屋が新作に力を入れているらしい。


 そう聞きつけてから、嗣巳の道楽(*)に〈食べ比べ〉という余計なものが加わってしまい、愁水も外出のたびに方々《ほうぼう》へ買いに行かされている。


 愁水が先回りして言うと、嗣巳は重々しく頷いてみせた。


「今日は六月一日――氷室ひむろの節句だから、氷餅こおりもちがいいだろう」


「氷餅……餅が凍ってんのか?」


「いや、餅を寒中にさらして凍らせたものを氷室(*)で保存して、六月一日に食べるんだと。信州(*)では庶民の保存食だが、江戸では贈答品として出回っているそうだ」


 妙に熱のこもった口調で、製法まで語りだそうとする嗣巳を押し止め、愁水は早々に庵を出た。


 そろそろ、情報の仕入れ先を突き止めたほうが良さそうだ――と、嘆息しつつ。


 日本橋界隈で聞き込みを終え、実際に寝込んだ者の様子を確認した愁水は何軒か菓子屋を見て回ったが、それらしい菓子は見つからなかった。


 高級品の〈氷〉と名のつくことから予想はしていたが、菓子屋によれば、氷餅は将軍家への献上品や大名間の贈答品であり、買うとしても地方の特産品や薬用食品を扱う薬種やくしゅ問屋でしか買えないらしい。


 これだけ調べ回って、手ぶらで帰るのはくやしい。


 代わりになる菓子は――と考えて、愁水は京助の地本問屋に足を向けた。


 京助は不在だったが、店先にちょうど、菓子屋の新しい〈見立番付みたてばんづけ〉(*)が並んでいた。


 店番の小僧から一枚買って眺めていると、愁水の脇の辺りからひょっこりと、幼い娘が顔を覗かせた。


 年は、十歳頃か。華やかな島田髷(*)に、派手ではないが上等な小袖を着ており、かんざしや帯留めからも裕福な商家の娘だろうと思った。


「――その番付のお店、あたしが選んだの」


 と、娘が得意げに言う。見立番付は苦情防止のためか、作者や版元の名が偽名か空欄であることが多い。


 それに気づいたのか、


「本当よ、あたしは清野京助の妹なんだから。名前だって、京って言うのよ」


 愁水がまだ何も言わないうちに、娘は急いで言った。


「疑っちゃいねえよ。――そうか、京助の妹か」


 京助とは仕事の話ばかりであったから、妹がいても可笑しくはない。


 しかし、娘は何が嬉しかったのか、食い入るように愁水の目を見つめて――奇妙なことを言った。


「――あなた、化物?」


 愁水の背後で、盛大に吹き出す音がした。京助が腹を抱えて、笑っている。


「こいつは有名な〈化物絵師〉愁水先生だから、間違っちゃいねえなあ」


 京助はそう言って、相好を崩す。


 幼い妹には上等な着物を着せて、京助自身はいつも通りの質素な装いだ。


 可愛がっているのは、わかるのだが――。


「なんだ、愁水。番付を買ってくれたのか。菓子ってことは、あの神主さんへの土産か?」


「ああ。何か、氷っぽい菓子がありゃ――」


錦玉羹きんぎょくかん(*)はっ? 寒天で砂糖を固めた、透明な菓子なの。お店の地図、描いてあげる。待ってて!」


 横から口を挟んだ娘が、慌ただしく店の奥へと駆けていく。


「あんたの妹、ずいぶん人懐っこいな」


「いや……」


 その背中を見送った京助が、顔を曇らせて言った。


「あの子は、根っからの人嫌いだ。寺子屋も、他の手習いも続かねえ」


「性格は、あんたに似なかったのか」


「……そもそも、俺は先月まで妹がいたなんて、知らなかったんだ」


 妹だと名乗るから、受け入れたのだという。それでどこかぎこちなかったのかと納得したが、さすがの愁水も呆れ返った。


「疑わなかったのか?」


 そう問いかけたのは、京助が今をときめく地本問屋の主だからだ。


「お京は、目鼻立ちが父に似ているからな。そこは疑っちゃいねえが……正直、血縁云々(うんぬん)は気にしねえよ。苦労したみたいだからな。俺は独り身だし、気が済むまでここに居ればいい」


 当人が良いのであれば、愁水から言うことは何もない。人は良いが、騙されて損をするほど愚鈍ぐどんでもない。


「――機嫌良く通えたのは、お滝ちゃんのとこだけだ」


 何か気がかりがあるのか、京助が意味ありげに呟いた。


「姐さんってことは、三味線か」


 音曲おんぎょくのことは門外漢もんがいかんだが、あのゆったりと幻想的な旋律は、もう一度聴いてみたいと思う。


 雨音に耳を傾けながら、ほっそりと白い指で三味線を爪弾つまびく様を思い出す。美人画の中に紛れ込んだかと思うほど、あでやかだった。

 

「――愁水様」


 と、不意に背後から声がかかった。


 妙齢の女が、風呂敷を抱えて立っている。覚えのない顔だが、猫目を細めて会釈するのを見て、気がついた。


「お前、雨月か?」


「はい、滝様のお使いで参りました。新作の執筆で難儀なんぎされているので、仕上がった所までお届けに上がったのです」


「なんだ。姐さんも筆が止まってんのか」


 愁水がふっと笑ったところで、京が戻ってきた。雨月の姿で会うのは初めてらしく、雨月が身をかがめて挨拶をしようとする。


 それを遮って、京はただ一言、こう言った。


「――良かったね」




「――あの娘、化物の匂いがするぞ」


 庵に帰ると、待っていた嗣巳が開口一番にそう言った。


 いおりに遊びに行きたい、と京が駄々をこねたため、京助が迎えに来るまでの間と約束させて、幽世庵に連れて来たのだ。


「化物の……?」

 

 京は、雨月の正体を看破かんぱしていたようだった。愁水と滝への懐きぶりも、〈化物好き〉が理由ではないかと、京助は心配しているらしい。


 帰り際、京助はこう打ち明けたのだ。


 ――あの子は、人嫌いで……その反動で、化物に傾倒けいとうしている気がすんだよ。


「人嫌いの化物好き、か」


 京が愁水の習作を眺めている間に、庭であらましを話して聞かせると、嗣巳が唇の端に、あの人を喰ったような笑みを浮かべた。


「なんだよ、不気味だな」


「いや、何も。……愁水、お前、どこへ行った?」


 社務所に引っ込もうとしていた嗣巳が、足を止めて引き返してきた。


「地本問屋と菓子屋……長屋も何軒か回ったな。ほら、昨夜の相談事の件だ」


 愁水の首元に顔を寄せた嗣巳が、目を細めて言った。


「――お前、あの娘と〈同じ化物〉の匂いがするぞ」




――――

*大坂:現在の表記「大阪」になるのは明治以降。

*奇品:江戸中期以降、自然変異した動植物に美と希少性を見出す文化。「変わりもの」のこと。

*道楽:趣味のこと。特に、江戸っ子が夢中になったものを指す。

*氷室:氷や雪を蓄えた穴や部屋のこと。古代から冷温貯蔵庫として使われた。

*信州:主に現在の長野県。


*見立番付:江戸~明治時代に流行した一枚物の摺物すりもの。相撲の番付形式に見立て、様々な事物(名所、名産、料理屋、書物、歌舞伎役者など)に序列を付けた。当時の流行や格式を示すランキング/ガイドブックのようなもの。


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