表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺~【幕末妖かしバディ】  作者: Yumiko
第七幕・鬼雨に喰らう―獏

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/51

獏(1)



 ――ゆうべの夢は、ばくにあげます。


 悪い夢を見たときは、そう唱えるのだ。

 

 きっと、獏が喰ってくれるから――。




「――あいつが、父上の大事な顕微鏡を壊したんだっ! 俺達じゃない!」


「そうだよ、俺も見た!」


 後妻の息子達が結託けったくして、きょうに罪をなすり付けるのはいつものことだ。特に、二つ下の義弟は、京をこの屋敷から追い出そうと躍起やっきになっている。


 母の連れ子であった京は、いまの父とは血の繋がりがなく、どんなに無罪を訴えても聞き入れてもらえない。


 初めて〈断罪〉されたとき、助けを求めて周囲を見渡した京は、絶望して凍りついた。


 取り囲んで成り行きを見ていた奉公人たちは、京の〈不幸〉を《《楽しんで》》いた。


 真偽など、はなから問題ではなかったのだ。


 この広い屋敷に、京の居場所はどこにもない。それならばせめて、出来るだけ目立たず、静かにちぢこまっていようと決めたのだが――。


「違う、あたしじゃないっ……!」


 今日は、必死にあらがった。


 南蛮なんばんから取り寄せたという顕微鏡はとても高価なもので、義父は誰も触れるなと厳命していたのだ。


 次に何か壊せば絶縁する、と義父から言い渡されていた京には、後がなかった。


 十歳の娘が――身の回りのことは下女に任せきりだった旗本の娘が、その身一つで放り出されれば、どうなるか。


 ――お前、知っているか?


 と、知識を仕入れてきた義弟にさんざん脅されてきた京は、震え上がった。


「――また、お前か」


 断罪の場に現れた義父は、片手を握ったり開いたりして、何らかの衝動を抑えているようだった。


 ――本当は、京を斬ってしまいたいのだ。


 刀で斬って、井戸に落とす。鮮血と暗い水を想起して、京は口を利けなくなった。


「路銀を持って、今すぐ出て行け」


「あ、あたしは……」


 早く行け、と怒鳴ったきり、義父は背を向けて、二度と京を振り返らなかった。


 屋敷から叩き出された京に、下女から巾着を奪った義弟が、路銀を投げつけてきた。


 義弟は、勝ち誇っていた。そこに悪意はない。純粋に、〈化物〉を退治してやったと得意になっているのだ。


「お願い、何か一つでもいいから、かか様の物をちょうだい!」


 京は哀願したが、義弟は馬鹿にしてわらった。


「そんなもの、母上がとっくに捨ててしまったさ」


「家紋の入った印籠いんろうもっ?」


「なんにも残っちゃいないんだから、そうだろうな」


 京の最後の〈希望〉が、音を立てて崩れた。


 ――お京。貴女のおあにさまは、錦絵や草双紙を作っていなさるのよ。


 一家が没落して離散したのち、母がこの家に嫁いでから生まれた京は、十歳年上の〈お兄さま〉と会ったこともなかった。


 この家に入る条件として、母は兄を奉公に出したきり、何も告げずに行方をくらませたのだ。


 兄は、母を恨んでいるかもしれない。それでも、妹が訪ねてくれば、助けてくれるのではないか。


 そういう希望が、たったいま、無惨にも壊されてしまったのだ。


 兄妹を示すものは、もう何もない。あるとすれば、名前に同じ字を持つということだけ。


 京は地面に這いつくばったまま、義弟を睨み上げた。


「あんた、自分より弟のほうがおとと様に期待されているから、必死なんだよね。今も、お父様と弟のことを考えている……」


 平生は決してやらないことを、京は怒りに任せてやった。つまり、義弟の目を真っ直ぐに見て、考えを《《読んで》》やったのだ。


「お前っ、この化物! やっぱり、人の心が読めるんだろっ?」


「そうだよ。あんたの考えていることは、全部わかる。この恨みは、大人になっても忘れないから。あんたが一番困るときに現れて、きっと仕返ししてやるから……!」


 さっと青ざめた義弟が、わめきながら履いていた草履を京に投げつけ、逃げて行った。


 草履は、京の頬をしたたかに打った。京は痛みと悔しさで顔をぐしゃぐしゃにしながら、路銀をのろのろと拾った。


 誰か、呼び止めてくれるのではないか。期待したのは僅かな間で、冷たい雨に耐えかねて歩きだした。


 ――妹だって、信じてもらえないかもしれない。でも、それでもお兄さまのところに行かないと……。


 京はすれ違う者に道を聞きながら、地本問屋のつどう日本橋を目指した。


 小雨が降り始め、やがて本降りとなる。京はうつむきながら、ぐるぐると同じことを考えた。


 ――もしお兄さまが受け入れてくれても、心を読めるなんて、疑われないようにしなきゃ。


 相手の目を見ると、その時、最も強く考えていることが頭に流れ込んでくる。それは言葉であったり、風景であったりもするが、相手が困っているときはつい、口を挟んでしまう。


 京が優しいから、ではない。自分が優しくされたいから、必死になってしまうのだ。


 ――寂しい。辛い。


 実の母ですら、京の異能いのうをもて余していた。


 顔も知らない兄となれば、きっと――。


 ぐっしょりと雨に濡れた小袖が肌にまとわりついて、京の体温を奪っていく。


 今年の梅雨は底冷えするほど寒く、心までてつきそうになる。


 日が暮れて宵闇になる頃、京はようやく繁華な通りにたどり着いた。


 知っているのは「京助」という名と、「錦絵や草双紙」を売っていることだけ。それでも、母が誇らしげに言っていたのだから、きっと見つかるだろう。


 最後の力を振り絞って走り出そうとしたとき、京は腕を捕まれて、人気のない路地に引きずりこまれていた。


 抵抗する間もなく、路銀の入った巾着を奪われる。


「着物も高そうだな。いじまうか?」


 容赦ねえな、と野太い笑い声が上がる。


 京は震えながら、取り囲む男たちの顔を見た。京より少しばかり年上の、まだ幼さの残る顔立ちだが、こんな悪事には慣れているようなのが見て取れる。


「――ゆうべの夢は、ばくにあげます」


 もうだめだ、と思ったとき、京の口から、そんな言葉がこぼれていた。


 京が悪夢を見るたびに、母が教えてくれた呪文だった。


「ああ? 何言ってんだ、こいつ」


「――その〈悪夢〉、俺が喰ってあげる」


 穏やかな声が、不意に割って入った。男たちが瞬く間に倒れ伏し、寝息を立て始める。


 元服(*)したかどうか――といった年頃の男子が、涼しげな顔に薄い笑みを浮かべていた。


 着物の上に外套がいとうを羽織り、さっぱりと短い総髪という、異人のような恰好をしている。


 それに――鉄の〈首輪〉。


 どう見ても奇妙な風体だが、それ以上に、京を驚かせたことがあった。


 ――このひと、《《心が読めない》》?。


「君は良い〈客〉になりそうだ。困ったことがあれば、いつでも俺を呼んで」


「もしかして、獏……?」


 一層笑みを深めた男に手を引かれ、京は表通りに出た。


 昨今は異人が闊歩かっぽすることもあり、男の美しい容姿――女形の役者みたい、という声が京の耳に届いた――に惹かれて視線が集中するものの、排他的な眼差しは見当たらない。


 京が自分の足を見つめて歩いていると、〈呪文のような言葉〉をかけられた。


 男が――獏が、笑っている。


 京は頷いて、立ち止まった獏の視線の先にいる男――兄である、地本問屋の京助を見つめ、その背に向かって走りだした。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ