表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺~【幕末妖かしバディ】  作者: Yumiko
第六幕・追憶の雨香―猫又

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/51

猫又(5)




 長く項垂うなだれていた滝は、寒々しくなった部屋を見渡してから、鏡台に映る己の姿に目を留めた。


 目の下に、うっすらとくまができている。寝るには早いが、滝は布団を敷いて、横になった。


 静まり返った部屋が、雨音で満たされる。


 この部屋で一人きりで眠るのは初めてのことで、滝は何度も寝返りを打った。


 ――とうとう、正体を暴いてしまった。


 暗がりから噴き出すように、後悔がどっと押し寄せて来る。


 ――一人でいることは、こんなにも心細い。


 澪の異変に気づかないふりをしてきたのは、問えば失うとわかっていたからだ。


 怪異(たん)のお決まり。正体を見破られた化物は、例外なく去っていく。


「たとえ、化物でも……」


 滝は零れ出た言葉を呑みこんで、目を閉じた。


 


 翌朝、雨月は根岸までの道のりを数歩後下がってついてきた。人の姿になっても、言葉を交わしても、愛猫は相変わらず不器用だ。


 滝は苦笑を隠して、何も言わずに歩き続けた。


 本石町から根岸まで、小雨の中を歩いて半時ほど。繁華な問屋街を通り過ぎ、寺の立ち並ぶ四軒寺町しけんてらまちから団子坂を下っていくつかの橋を渡ると、不意に緑の匂いが濃くなり――見渡す限り一面に、田地が広がっていた。


 王子から流れ込む音無川に沿って歩いて行けば、山茶花さざんかや寒竹の生垣に囲まれた文人墨客ぶんじんぼっかくの庵、大名の下屋敷などもぽつぽつと現れる。


 豆富とうふ茶屋や羽二重はぶたえ団子の茶屋を過ぎると、樹木が鬱蒼うっそうと生い茂り、奥には大蛇がむと噂される湿地が見えてきた。


 目印として教えられていたのは、下流の五行松――通称、時雨の松だ。錦絵にも描かれる名所は、松の大樹が豊かに茂り、垂れ下がった枝の下には茶店があって、逍遥しょうよう(*)する人の姿がある。


 この名所の手前で曲がったところで、後ろを歩いていた雨月が先導して、竹藪たけやぶの奥へと進んでいった。


「鵺代神社……」


 現れた青銅の鳥居の社額を見上げて、滝はその名を呟いた。今朝、鵺代神社に行くのだと長屋の住人に話したら、あそこは化物封じの霊験あらたかだと聞かされて、不安になった。


 もし、愁水がちらりと零した〈相棒〉とやらが、祓い屋であったとしたら――雨月まで退治されてしまうのではないか。


 ――そうなったら、雨月を連れて、逃げなければ。


 滝は爪音の主さえどうにかしてくれれば、それで良かった。雨月のほうは、このままでいいと思っている。


 周囲の寺院が趣向を凝らした庭園を持つなか、鵺代神社はこぢんまりとした切妻造きりつまづくりの本殿と社務所を持つだけの、簡素な造りだった。竹藪に囲まれた境内は昼間でもどこか薄暗く、参拝客の姿も見当たらない。


「――お待ちしておりました。〈幽世庵〉のお客様ですね」


 滝が周囲を見渡していると、竹林の影から足音もなく、白衣に紫袴の神主が現れた。


 背まで届く長い髪を総髪にした、女と見紛みまごうような美しい顔立ちの男が、涼やかな目、形の良い唇に、薄い笑みを浮かべている。


 優しげに見えるが、その表情はどこか作り物めいていた。浮世離れした秀麗さがそのような印象を与えるのか、それとも――。


「私は鵺代神社の神主、嗣巳と申します。幽世庵までご案内いたしましょう」


 年の頃は、二十を少し過ぎたところだろうか。落ち着いて品のある物腰には、老成した風格すら漂っている。


 そんな男がなぜ、愁水の小間使いのようなことをしているのか。


 滝が疑問に思いながら歩を進めると、雨月は滝の背中に隠れるようにしてついてきた。猫の耳がついていたなら、平たく伏せているところだろう。


「あんた、何が怖いの?」


 滝が問いかけると、


「――私でしょう」


 と、嗣巳が前を向いたまま答えた。


「貴女についてきた〈あれ〉も、いまは私を恐れて、近づいて来ませんね」


「えっ……」


 勢いよく振り返ると、いましがた通ってきた鳥居のまえに、虚無僧姿の男が立っていた。編み笠で相変わらず顔は見えないが、目が合ったような気がして、恐怖で膝が崩れそうになる。


 すかさず嗣巳が手を伸ばして支えてくれたが、顔を上げた滝は、総毛立った。


 嗣巳は縦長の瞳孔をさらに細めて、圧倒的な力を誇る捕食者のように、悠然と微笑んでいた。


 ふと、水溜まりで何かが揺れたような気がして、嗣巳の足元に目を留める。


 虎の足、狸の胴、蛇の尾――。


 ――鵺?


 ぱっと顔を上げると、にこやかに微笑んだ嗣巳が、竹藪を抜けた先にある、茅葺かやぶきの庵を指差して言った。


「さあ、あちらへどうぞ」




 鵺代神社の幽世庵、という物騒な名に反して、通されたのはい草の香る上品な茶室だった。


 普段から応接室として使われているようだが、見た目よりも奥行きがあり、ふすまで仕切られた向こう側は、寝食も兼ねた愁水の作業場であるという。


 滝の興味に気づいて、嗣巳が奥の部屋も見せてくれた。こざっぱりとした部屋には画材のほかに、和歌の書が文机の周囲に積み重なっていた。部屋の隅のひつも、中身は書物だろう。


 貸本屋に頼りきりの身としては羨ましいかぎりで、


「学がないだなんて、とんだ謙遜ね」


 滝が冗談半分にそう呟くと、嗣巳が苦笑を浮かべて言い添えた。


「歌だけですよ。絵師としてやっていくなら、歌を頭に入れておけ――と、言われたそうです」


 誰に、と視線だけで問いかけてみたが、嗣巳は答えなかった。


 おそらく愁水にも絵の師匠がいるのだろうと、滝も深くは考えなかった。


 滝が掛け軸に目を留めると、


「それは、愁水が〈絵師として〉初めて描いた絵ですよ。……愁水を呼んでまいりますので、どうぞごゆるりと」


 嗣巳はそう言い残して、立ち去った。


 ほかに愁水の作は見当たらない。嗣巳が離れていくぶんか緊張を解いた滝は、これが噂の――と、胸を高鳴らせた。


 絵の前に立った滝は、人々が愁水を〈化物封じの絵師〉と呼ぶ理由が、わかったような気がした。


 水辺にたたずむ狐が、こちらを振り返っている。


 ただの獣ではない。水面には細面の美しい女が映っており、化物だとわかるのだが――。


 静かに遠くを見通すような眼差しが、神気しんきのようなものを感じさせる。


 ――いまにも、動き出しそう。


 滝が見入っていると、狐の尾がふわりと揺れ、水面に映る女の目がそっと伏せられた。


 動転した滝は、よろめきながら愁水の作業場から出て、後ろ手で襖を閉めた。


 心の臓が早鐘を打っている。


 怖いのは確かだが、離れてしまうと、もう一度見てみたいような気持ちに駆られる。


 そう、怖いモノ見たさだ。


「滝様?」


 固まっている滝の顔を、雨月が気遣わしげに見上げてくる。


 猫又に、鵺に、狐――。


 幼い頃、夢想したモノたちが本当にいる。


 怖いけれど、その怖さに惹かれてしまうのは――何故だっただろう。


「滝様。恐ろしいでしょうが、もう少しの辛抱しんぼうです。化物は一匹たりとも近づけません。もちろん、私を含めて――」


 何を誤解したのか、雨月がうつむいて言った。


「違う。まだ、わからないの?」


 滝が真正面から見つめると、雨月は途方に暮れたように顔を背けた。


 傍に居て欲しいと願えば、叶うのだろうか。それとも、言ってしまえば、そこで終わるのじゃないか――。


 滝は気を落ち着けようとして、開け放たれた障子戸から庭を眺めた。


 殺風景だが、一部には露草らしき植物が植えられている。絵具の材にするのだろうと考えていると、竹林の奥に人影が見えた。


 あの、虚無僧姿の男だった。素早い動きで、こちらに向かってくる。


 ――なぜ? 入ってこられないのではなかったの?


 瞬きの間に距離を詰められ、錯乱した滝が畳の上に倒れ込むと、雨月がかばうように、滝の前に飛び出した。


 何も見るなとばかりに、雨月が滝の肩を押さえつけてくる。


 畳に血が飛んだのを見て、滝は半狂乱で雨月の名を叫んだ。




――――

*逍遙:散歩。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ